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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

【独自取材】ワクチン接種後から体調不良が続く子どもたち

2024年05月29日 20時01分43秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年5月27日大阪日日新聞

【独自取材】ワクチン接種後から体調不良が続く子どもたち(週刊大阪日日新聞) - Yahoo!ニュース

「時はコロナ禍。「思いやりワクチン」と題して、テレビやネットなどさまざまな媒体で接種が推奨された。日本小児科学会は子への接種を躊躇する保護者に対して「子どもたちにも是非ワクチンを受けさせてあげてください!」とうたうほど、子どもへのワクチン接種も当然という風潮が高まった。疑う余地もない状況の中、ワクチンが原因かどうかは分からないが、接種後に何年も苦しんでいる少女たちがいる。副反応の疑いのある実態について紹介する。(加藤有里子)

「息できない」と玄関前で硬直(接種当時、中学1年の女子)

政府や行政から「思いやりワクチン」が推奨される中、2021年10月半ばに接種したのはBさんの中学1年(当時)の娘。Bさんは「同級生など周りで接種者が多く、『思いやりワクチン』としてうたわれていたので何の疑いもなく接種させた」と話す。

翌朝、娘が「苦しい」と訴えたものの、平熱だったので登校させた。しかし、すぐに早退し、自宅に帰ってきた娘は、「息ができない。寒い。足の裏が氷を張ったみたいに冷たい」と訴え、玄関に倒れこみ、動かなくなった。「顔色は非常に悪く、ふらふらだったが、足の裏は全く冷たくなかった」(Bさん)。

かかりつけ医やワクチンを接種した診療所の医師は、様子見と言いながら娘が悪寒で震え、10秒も立っていられない状態に病院側も不安を感じたのか、医療センターに行くように言われた。

精密検査は異常なし 総合病院では「心の問題」と診断

心臓、エコー、血液検査は異常なし。反射検査も行ったところ、こちらも問題は見られなかった。次に、母子センターで受診。歩くことが困難なことから松葉杖の貸与はできたものの、「心の問題」と言われるなど、埒(らち)があかない状況に悩んでいた。

インターネットやツイッターなどで似た症状がないか調べる中、Bさんがたどり着いた先は長尾クリニック(尼崎市)だった。「前身・後進歩行するや、長尾和宏院長(当時)が『明らかに異常ではないか』と言ってくれた」(Bさん)。「ワクチン後遺症」と初めて診断され、治療を受けたりサプリを服用したりして、回復に向かうことができた。

現在、高校1年生になり、接種前の生活にまで戻ったとは言わないまでも、徐々に症状は良くなってきている。ただ、無理をすると慢性疲労になるため体に負担をかけないように注意しているという。Bさんは「後遺症とは気付かず、突然の体調不良に見舞われている人がいるはず。少しでも知ってもらいたい」と熱く訴えた。

 Bさんはワクチン被害救済申請を行い、審査待ちだ。

横になれず体操座りで寝続ける小学6年生(接種当時)女子

「頭を抱えながら『身体がおかしい、身体がおかしい』と母親である私に訴えてきた」と話すのはAさん。娘が小学6年生(当時)の時に急に体調不良を感じたのは、2021年9月9日の接種から2週間後の9月23日秋分の日のことだった。

 その日、自宅近くの休日診療所で受診し、「お腹からの風邪」と診断され、1日分の胃腸薬、ビオフェルミンが処方された。翌日、かかりつけ医のもとで診察を受けたが、同様に、お腹からの風邪と診断された。

だが、薬を服用しても、食欲不振、悪寒、怠さ、微熱がつづいた。回復するどころか、「しんどいから横になって寝られない」と言い出し、体操座りで寝る日々がつづいたという。

舌が突然、白い苔が生えた状態に

体調不良を訴えてから5日後、『口が痛いと同時に、舌がモコモコする』というので見ると、舌に白い苔のような物がびっしり付いていた」(Aさん)。Aさんの娘は過去に、周期性発熱症を患ったことがあり、当時の医師を頼り、関西圏内の総合病院まで足を運んで受診した。

しかし、ここでも「お腹の風邪」と診断され、血液検査にも異常はなかった。舌は、「ガンジタ菌」の症状ではないかと塗り薬が処方され、白い出来物が無くなったものの、今度は赤くブツブツしたいちごのような出来物に変化した。Aさんは「舌の出来物が赤くなってから、口の中がすごく痛いと訴えていた」と話す。

2021年10月1日からは、別の総合病院に入院。骨髄検査以外の全ての検査をしたが、何も異常値がなかった。ワクチン接種から体調不良が続いていることから、Aさんは医師に、ワクチンによる副作用ではないか尋ねたが、「0.3㍉を1回打っただけでしょ」と言われ、ワクチン接種での体調不良のアプローチはしてくれなかったという。

1カ月間、入院生活を送るも体調は全く回復せず、病名不明のまま時間が過ぎ去るだけだった。「食欲不振、吐き気で水分拒否、舌も治らない、不眠、湿疹、トイレに行くのもままならない。一向に回復の兆しが見られないので退院させた」(Aさん)。

Twitter(ツイッター、現X(エックス))で情報を探したり、友人に相談したりする中、長尾クリニック(尼崎市)長尾和宏院長(当時)がワクチン副作用の患者を診察していることを知り、駆け付けた。「コロナワクチン後遺症」「慢性疲労症候群」と診断され、イベルメクチン、ステロイド薬を処方された。半年間通い続け、少しずつ回復することができた。Aさんは「お世話になった先生の元に行っても回復せず、ワクチンの副作用についてお聞きしても、けんもほろろに突き返されていて辛い思いをしていた。やっと理解してくれる先生に出会うことができ、体調も徐々にではあるが回復に向かった」と話す。

副反応事例が多いロット番号と判明

 中学3年生となった今、体調不良を訴える日もあり、自律神経に乱れがあるものの、一時期に比べて回復しつつあるという。

Aさんは国へのワクチン被害救済申請を行い、審査待ちだ。接種したロットは、重篤な副反応を多く出しているファイザー社の「FH0151」だった。「当時、政府はワクチン接種のメリットばかり語り、推奨していた。そればかりを報道していたメディアの影響は大きいと思う」(Aさん)。」


「フォロー・ミー」-2004年5月カウンセリング総論②資料より

2024年05月29日 13時16分19秒 | グリーフケア

2004年5月21日(金)-カウンセリング総論②資料-「フォロー・ミー」

 

「フォロー・ミー」

 

上嶋洋一(京都保健衛生専門学校非常勤講師)

 

 キャロル・リード監督の「フォロー・ミー」という映画があった。

 

 結婚後間もない夫が、妻の行動に不審を抱く。“妻とはこうあるべきはずだ”という期待通りに、妻が生きてくれないからだった。他に好きな男ができたのではないかと疑った夫は、一人の探偵を雇う。その日から、その探偵が妻の後をついて歩く。常に一定の距離を置いて。決して口はきかずに。ただひたすら彼女の後を。しかし、彼女のあとをついて歩いていたその探偵が皮肉なことに、その彼女にひかれていく。自分の人生の中に一生懸命意味を見つけようとしている彼女の姿にひかれていくのである。調査の報告をする日、夫が問う。「どうだ、やっぱり男がいただろう」。その問いに答える代わりに探偵は言う。「今日からはあんなが、あんたの奥さんの後をついて歩いてご覧なさい。常に一定の距離を置いて。決して口はきかずに。ただひたすら彼女の後を。(そうすればあんたも、もう少しましな男になるかも知れない)さあ、お行きなさい」と。

 

 私は今、京都にある定時制の看護学校の非常勤講師をしている。定時制の学生たちのことを想う時、いつもこの映画が私の心に浮んでくる。もっと早く、彼らの後をついて歩くことができていたら、そしてその世界の少しでもいいから、自分の目で見、自分の心と身体で

味わい、自分のものとして感じることができていたら、自分ももう少しマシな男になっていたような気がするのだ。

 

「朝8時30分~12時30分、夜5時30分~9時まで、看護助手として働き、そして昼1時20分~4時30分まで、この学校で勉強している。毎日毎日、仕事と学校に追われて、時間が超特急で過ぎていく。しんどくて、イヤで仕方がない日もあるけれど、「頑張らないとなあ」と思いながら毎日を生きている。「なんでこんな生活しなあかんの!もう辞めたい」と思いながら、辞めないのは何でかなあと、時々ボーと考える。私は中学校に入るか入らないかの頃に看護婦になりたいと思った。でもその頃は、ただ白衣に憧れていただけかも知れない。現実は仕事はきついし、人間関係は複雑だし、毎日、身も心もボロボロ。「辞めたら楽なんだろうなあ」と思うのにやめられない。なぜかなあ・・・。たぶん、辞めても、できること、したいことがわからないし、途中で放り出すということに対する自分のプライドもあるし。それと、何回か、仕事で、「看護婦やってて良かったなあ」って思えたことがあったが、それも関係しているのかなあとも思う。」

「手術室看護にたずさわって4年目を迎える。夜に緊急のOpeの呼び出しで飛び起き、雨でも雪でも病院に駆けつけたり、デートの途中であっても、彼氏をおいてけぼりにして走りだしたり、大手術の前は、何時間も手術の勉強をしたり。夜中に血だらけのOpe室に入り、青白い顔でうなっていた患者さんと、2週間もたてばエレベーターなんかでバッタリ会ったりする。その時、胸がいっぱいになる。きっと、苦痛と不安の中、患者さんは私なんか覚えていないし、存在すら知らないと思う。「あなたの手術のために、私は一週間も前からずっと勉強し続けていました。あなたの手術のためにあの日彼を怒らせてしまいましたよ。私はあなたのために頑張ったんですよ。病棟のNsみたいに、いつもそばにはいなかったけど」・・・そんなふうに、元気になった患者さんに言えればいいけど、でも、「ああ無事に終わって良かったな」「出血が、思ったより少なくて良かったな」と心の中でつぶやいている看護も、まあいいかなと思ったりしている。」

 

 寝てばかりいる学生の向うに、こんな世界があることを、しばらくの間全く想像できず、彼らを(口にこそ出さないが)責めてばかりいたころの自分を思い出す。彼らを好きになれなくて・・・好きになれない自分をまた責めて・・・。「いっぺん見に来い!」といってくれた学生に感謝したい。

 

(『筑波大学臨床心理学会会報』1996年No.11,2頁)


入浴支援や給水支援を終え…能登町で自衛隊の帰隊式

2024年05月29日 00時48分13秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年5月28日FNNプライムオンライン、

入浴支援や給水支援を終え…能登町で自衛隊の帰隊式|FNNプライムオンライン

「能登町で能登半島地震での復旧活動などに取り組んで来た自衛隊が町を離れることになり「帰隊式(きたいしき)」が行われました。

能登町では自衛隊が入浴や給水の支援を続けてきましたが、復旧が進んできたことから町での活動を終えることになりました。

帰隊式では隊員およそ20人に対し大森凡世町長が「自衛隊の活動にどれだけ勇気づけられたか計り知れません」と感謝の言葉を述べました。

第3後方支援連隊 榊原直哉副大隊長:
「能登町についてはこれで活動は終了するんですが、引き続き珠洲市などはまだ入浴支援ありますので引き続き頑張っていきたい」

5月10日には穴水町にあった本部機能もすでに金沢に移されていて、奥能登2市2町で自衛隊が活動を続けるのは珠洲市のみとなりました。」

 

 

Xユーザーのおいこらさん@珠洲市民が2次避難先から支援さん: 「告発第1段 珠洲市の食糧問題の実態を公開します 私にはこれが今の日本で起きている事とは信じられません まず、困窮している家庭には弁当を配布するとありますが、1日1食のみの配布で、健康増進センターに指定された時間に取りに行く必要があります(15時~18時の間) 大谷地区 https://t.co/00B9EjkQta」 / X

「珠洲市の食糧問題の実態を公開します

私にはこれが今の日本で起きている事とは信じられません

まず、困窮している家庭には弁当を配布するとありますが、1日1食のみの配布で、健康増進センターに指定された時間に取りに行く必要があります(15時~18時の間)

大谷地区 動画は珠洲市から大谷へと向かうルートの一部です

今現在もこのような道もあり道幅の狭い峠を越えて車でも片道30分弱かかります

宝立地区 画像のバス時刻表の通り火、木曜日しか市の無料バスが通っておらず、弁当配布時間にバスはありません 市が配布する時間に市が運営する無料バスの時刻を設けてないという…

バスがある地域でも土日祝がバスが運休で取りに行けません 1日1個の弁当のためにここまで支給のハードルが高くて、多くの方が諦めてるのが現実です

食中毒問題にすり替えたり経済を回せと一部だけに配布を絞り、泣き寝入りさせた数が現在の「500個」という弁当の支給数なのです

私個人はまだ5万円しか義援金が貰えず、次は2~4ヶ月後に3万円が入る予定です

ライフラインの復旧もまだなのに… 特に高齢者、子供達の健康はどうなるんですか?

怒りを越えて悲しみしかありません…」

 

震災から4か月が経過した石川県珠洲市宝立町(2024年5月上旬撮影、空撮あり) (youtube.com)

 

東日本大震災から5か月後の2011年8月20日から21日にかけて、ボランティアバスに乗って石巻市へ行きました。バスの中から、災害ごみの山が築かれている光景がみえました。津波で被害にあった家の片付けが進んでいました。

 

能登半島地震後の対応、これまで違うと感じます。自民党議員が自慢げに募金活動をやっていましたが集めたお金はどこに消えたのでしょうか。震災当日、首相官邸の地下にあるオペレーションセンターに誰も入っていなかったことを原口一博議員が国会で明らかにしています。岸田政権になってからおかしなことばかりですが、日本のおかしさが次々と顕在化してきていますが、震災対応もすごくおかしいです。海外にはバンバンいってお金バラまくのに能登半島には仕方なく2回いったのみ、滞在時間は短くお金はケチケチ。どうなっているのでしょう。