たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

2009年ルーヴル美術館展より-「4人の福音書記者」

2024年05月09日 19時00分59秒 | 美術館めぐり

ヤーコブ・ヨルダーンス

(1593-16789

《4人の福音書記者》

1625-1630年頃

油彩、カンヴァス

134 × 118 cm

 

(公式カタログより)

「ヨルダーンスによる本作品が表わしているのが福音書記者たちなのか、著述家なのか、あるいは教会神父なのか、それとも教会博士の中のキリストなのかという疑問は、最初の説、すなわち福音書記者で決着をつけてよいだろう。これは聖書の方へ身を傾けているマルコ、ルカ、マタイ、ヨハネ(彼は白い服を纏っている)であろう。この作品は、画家が自身の画業の最初期に描いたものであり(この作品を描いた時、彼は30歳前後であった)、一般にフランドル絵画と、そしてヨルダーンスの個性とも結び付けられる力強く、すばらしい出来栄えの作品の特徴を有している。彼らの顔立ちあるいは手を特徴付けているのは、時代を超えた表現へ達するまでの、妥協を許さないある種の自然主義である。ヨルダーンスは彼らの見られる角度や、人物のポーズや個性を変えながら、表情が同じになることを避ける手法を探求した。

 《4人の福音書記者》は、とりわけその主題によって我々の関心を引く。主役の者たちは、神聖な書物の方へ身を屈めているが、神の英知の前での人間の弱々しさを示す美しい動きからは、我々には彼らが書物を参照しているのか、あるいはそれを編纂しているのかわからない。ヨルダーンスが福音書記者たちに与えたこの種の感情は、衣服あるいは聖書のそれ以上には多くの解釈を引き起こさなかった。ありそうもないトーガをまとった福音書記者たちが紙に書かれた文章を解読している‐歴史的には、そのような二つ折りの本は、エルサレムでキリストが亡くなった直後には、ほとんど存在し得なかった。他の多くの偉大な芸術家と同様に、ヨルダーンスはほぼ想像もつかない古代に身体と姿を与える困難さに直面した(それほど17世紀にはその主題についての事実の要素が欠けている)。‐ヨルダーンスは自身で考え出す以外の選択肢をもっていなかったのである。」

 


5/9参議院-インフル等対策行動計画(案)ウクライナ支援、NTT法について

2024年05月09日 14時51分36秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年5月9日参議院財務金融委員会、

神谷宗幣議員質疑、

インフル等対策行動計画(案)ウクライナ支援、NTT法について 参議院議員 神谷宗幣 国会質疑 令和6年5月9日 参政党 (youtube.com)

0:06 新型インフルエンザ等対策行動計画のパブリックコメントに関して

2:26 アメリカにおけるパンデミックに対する現状とそれらを踏まえての予算について
5:30 ウクライナ支援について
9:58 NTT法に関して」
 
 
 新型インフルエンザ等対策行動計画改定案について、19万通近く寄せられたパブリックコメントを無視しないようにと言ってくれました。昨日の林官房長官記者会見はパブリックコメントを無視して6月1日に閣議決定させようとする気満々、みていて気持ち悪くなりました。この顔色、この表情、なんなん?!岸田政権に憲法を無視した独裁体制、ますますひどくなりばかり。どうやったら止められのでしょうか。
 
 
 どこにどう届くのかさっぱりわかりませんが、首相官邸にメールを送りました。コロナ対策の検証なしに改定案を閣議決定するなどあり得ません、19万近いパブリックコメントを無視しないでください、の二点。短文です。
 
 
 パブリックコメントを受けてどのぐらいの国会議員が質問主意書を出してくれるでしょうか。神谷議員と原口議員は出してくれると信じていますが、どれぐらいの国会議員が原口議員に賛同してくれるでしょうか。どらえもんさんによればパブリックコメントの声を集計しなければならないし、質問主意書に一週間で回答する決められているのでその分役人たちが改定案を進めるための時間が削られていくことになるそうです。
 
 
 ウクライナ支援、NTT法廃止、いずれもわたしたちの声を代弁してくれた質疑。鈴木財務大臣自分の言っていることがわかっているのかわかっていないのかわかりませんんが、アメリカのウクライナ支援に日本が保証人になったことはないと答弁しています。重要。柳ケ瀬議員は聴いていると思いますが他の議員はタブレット端末みたりおしゃべりしたり、何をしているのでしょう。参政党の裏にはカルト宗教団体がいるとか、いないとか、いろいろと勉強させてもらっているスペースもどこまで真にうけていいのかそこはわかりません。こうした質疑をしてくれていることを信じるしかありません。ダメだとしてしまうのは拙速だと思います。今日本がこうなっているのは国民が野党を育ててこなかったからだと田中真紀子さん。
 
 
衆議院が財務金融委員会、参議院が財政金融委員会。
 
 
 

地方自治法改正も食料供給困難事態対策法案もヤバい

2024年05月09日 01時43分02秒 | 気になるニュースあれこれ

Xユーザーの弁護士福山和人さん: 「何度でも言う。 明日から審議入りする地方自治法改正案はヤバすぎる❗️ 自民党は、国民の安全のための改正だと弁解している。 but ①国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生or発生するおそれがある場合、という要件は非常に曖昧で、 ②…」 / X (twitter.com)

「何度でも言う。 明日から審議入りする地方自治法改正案はヤバすぎる

自民党は、国民の安全のための改正だと弁解している。

but

①国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生or発生するおそれがある場合、という要件は非常に曖昧で、

② 大臣が「必要あり」と認めれば閣議決定だけで自治体に「指示」でき、国会承認は不要。

③しかも法定受託事務だけでなく自治事務も含め対象事務は無限定。

結局この法案は

◆立法府の関与なしに行政府の独断で自治体に命令できる内閣独裁法であり、 ◆地方自治体を国の下僕化し、

◆国民主権を骨抜きにする危険がある。 ◆一時的にせよ憲法秩序を停止し、行政権力に独裁権を付与するのは、自民改憲案で狙われている緊急事態条項の先取りである。

政治改革を怠けながらこんなふざけた法案を出すなど論外だ。廃案一択。 法律家6団体の声明はこちら  

 ↓

http://jlaf.jp/kaikaku/2024/0…」

 

 

【ヒロシの国会解説】「食料供給困難事態対策法案」岸田政権は、国民を脅して言うこと聞かせようという法律が多すぎる‼️(2024年5月8日) (youtube.com)


『カール・ロジャーズ入門 自分が自分になるということ』より‐グロリアのケース‐「治療的出会い」とは

2024年05月09日 00時00分18秒 | 本あれこれ

『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』より-「フォーカシング」

「ロジャースの面接で最も有名なのが、このグロリアのケースです。

「サイコセラピィへの三つのアプローチ」という16ミリフィルムが1964年に作成され、グロリアという女性のクライエントがロジャーズ、ゲシュタルト・セラピィのパールズ、論理療法の3人にセラピィを受ける様子が記録されています。日本でも『グロリアと3人のセラピスト』という題で市販されており、観られた方もいることと思います。

 3人の一番手で登場するのがロジャーズ。30歳位の魅力的なシングル・マザーであるグロリアは、自分の性行動と、それについて9歳の娘パミーに嘘をついていることに罪悪感を抱きます。最初、グロリアは自分の性行動が娘に与える影響を気にかけてロジャーズに答えを求めますが、次第に自分自身の感情に目を向けていきます。

 

グロリア 

 私は、自分がどんなことをしても、いい気持ちでいたいんです。パミーはほんとうのことを言わなくても、まだわからないんだからと安心していたい。でもそうできないんです。私は、正直でいたいんですけれど、同時に自分で受け入れることのできないものがあるようにも感じています。

ロジャーズ

 自分の中にあるその部分を、自分でも受け入れることができない。なのにそのことをバミーに話してもいい気持ちでいられるなんてことがあるのかしらと、そう思うんですね。

グロリア

 そうです。

ロジャーズ

 でも自分の中には、こんな欲望や、あんな気持ちも確かにあって、それがいいものとは思えない。

グロリア

 そうです。でも、先生はただそこに座っているだけで、私はだんだん混乱していっている気がします。私は、先生にもっと何かをしてほしい。私が罪の意識から逃れられるよう手助けしてほしいんです。嘘をついたり、男の人と寝ても罪の意識を感じなくなれば、もっと楽な気持ちになれるはずでしょう。

ロジャーズ

 「いいえ、あなたを混乱させたいなんて思ってはいませんよ」と言いたい気もしますが、またこの問題はとてもプライベイトな問題だから、私があなたに代わって答えてあげることなんてできないような気もしているんです。でもとにかく、あなたが答えを求めていくのを助けてあげたいとは思っています。こんなことを言って意味があるかどうかはわかりませんけれど、私はそう思ってるんです。

 グロリアはいったん、何も答えを与えてくれないロジャーズに対して、「先生はただそこに座っているだけ。私はだんだん混乱していっている」と詰め寄って、関係が危機にさらされます。これに対してロジャーズは、「とにかくあなたの力になりたいんだ」と自分の気持ちをストレートに語ることで危機を脱しています。「一致」「純粋さ」と呼ばれるものの具体的な表現です。面接の後半部分からも、二箇所紹介しましょう。

 

ロジャーズ

 そんなユートピアの瞬間に、あなたは全体を感じるんですね。ひとつのかけらの中にもすべてを感じるっていうか。

 

グロリア

 ええでも、そんなふうに言われると息が詰まるような感じがします。というのも、そんなにいつも感じているわけではありませんから。でも、私はその全体の感じがとても好き。それは私にとってほんとうに大切なもの。

 

ロジャーズ

 その感じをそんなにしょっちゅう感じることができる人なんていないと思いますよ。でも、とってもわかる気がします。(沈黙。涙が流れる)それはあなたをほんとうに感動させるんですね。

 

グロリア

 ええ。今、私、まったく違うことを考えていたんですけど、おわかりですか。おかしなことなんですけど、先生とお話ししていて突然、こう思ったんです。「なんてうまく話ができてるんだろう。私は先生に私を認めてほしいし、先生のことは尊敬できる。でも、父は先生みたいに私に話をしてくれなかった」って。「ああ、先生が私のお父さんだったらな」って、そう言いたい気持ちなんです。どうして、そんな気持ちになったのかわかりませんけど。

 

ロジャース

 わたしには、あなたがとてもよい娘のように思えます。でおも、お父さんに自分の気持ちを話せなかったことを本当に残念に思ってるんですね。

 

 ロジャースはここでグロリアに、「私には、あなたがとてもよい娘のように思えます」と言い、これによりさらに面接は深められていきます。面接のふり返りでロジャーズは、これを「逆転移」という言葉で解釈することもできるけれど、それは真実の関係の世界について言葉遊びをしているにすぎない、と言ってそれを退けます。

 終結部分はこうです。

 

グロリア

  父は、わたしがほんとうに好きになれるタイプの人ではないんです。私はもっと理解力があって、愛情のある人が好き。父はたしかに可愛いがってはくれましたけど、でもそれは、協力しあえたり通じあえたり、というやり方ではなかったんです。

 

ロジャーズ

「私は永遠にあざむかれている」そう思ってるんですね。

 

グロリア

 それで代わりの人を求めてしまうと思うんです。先生と話をするのが好きなように、私は、尊敬できる男の人が好き。先生がたに対して深いところで本当に近く感じるのは、父の代わりのようなものですね。

 

ロジャーズ

 それは、偽りではないと思いますよ。

 

グロリア

 でも、先生はほんとうは父ではありません。

 

ロジャーズ

 ええ。でも、ほんとうに親密な関係です。

 

グロリア

 ええわかります。でも、やっぱり偽りのように思います。だって、先生が私をほんとうに親密に感じてくれるはずありませんもの。先生はまだ、私のこと、そんなに知らないから。

 

ロジャーズ

 私にわかるのは、私がそんなふうに感じているっていうこと。今この瞬間、私があなたをほんとうに親密に感じているということです。

 

 この終結部分についていは、評価が分かれることでしょう。たった一回きりの面接、それもわずか30分の面接を映像にとられ、パールズやエリスのそれと比較されることもあって、かなり力んでいたのではないでしょうか。伊藤博(1992)は、このグロリアと最初に紹介したブライアンのケースにおけるロジャーズの発言数を比較し、前者は後者の二倍半であることを指摘して、「ロジャーズはしゃべりすぎではないか」と言っています。

 私も、このグロリアとの面接全体に、どこか強引さのようなものを感じてしまい、あまり好きになれません。「自然体のロジャーズ」ではないように感じるのです。もっともロジャーズ自身は、この面接について、実に満足のいくものだったと語っていますが。

 ツィムリング(1996)によれば、このグロリアとの面接で、ロジャーズは驚くほど頻繁に自分の人生観を語っており、クライエントの感情への共感よりも自分自身の感情や価値観の表明に重点が置かれた応答は、実に20にも上ると言います。しかもこのうちの約半分は、グロリアからの質問に答えたものですが、後の半分は、自分のほうから語り始めたものだというのです。そしてロジャーズのこれらの応答の多くは、グロリアの注意を彼女自身の感情の流れから逸らすことになってしまっている、と言います。

 その具体例としてツィムリングは、フィルムが止められた後の二人の短い会話を引用しています。「誰かに父親のように愛されたい」という気持ちを語り続けるグロリア。でも自分が実際に遊んでいるのは、皮肉にも自分が尊敬できないタイプの男たちなのだ、と彼女は言います。その後の二人の会話。

 

ロジャーズ

 あなたはお父さんに肘鉄砲を食らわしているのですね。

 

グロリア

 え?大人の男を求めながら、ですか。

 

ロジャーズ

 いいえ。あなたが本当には求めていないタイプの男と遊びに出かけることによってです。

 

グロリア

 でも私はそんなことはしたくない。どうしてそんなタイプの男ばかり私の側にやってくるのか、私にはわからないんです。

 

 ツィムリングも言うように、ここでもロジャーズはたしかに、グロリアの感情に共感するのでなく、自分自身の枠組みから言葉を発しています。このケースにおけるロジャーズの応答には、グロリアの体験過程のレヴェルを下げてしまったものも多いと指摘する研究もあります。

 このように、グロリアのケースにおけるロジャーズの応答は、決してスマートなものではありません。「クライエント中心」の典型的な応答とはかなり違うものです。

 にもかかわらずこの後、グロリアとロジャーズの間には、長い間かなり親密な関係が維持されていきました。ロジャーズ、エリス、パールズの3人の面接を終えた直後、インタビュアーから質問されたグロリアは、次に会うとしたらパールズに会いたい、と言っています。しかし実際には、この面接の二年後グロリアはロジャーズのワークショップに参加します。そしてそれ以降、彼女が若くして不慮の死をとげるまでの15年間、グロリアはロジャーズ夫妻を精神的な両親とみなして、連絡を取り続けていったのです。

 何がグロリアをしてロジャーズのもとに向かわせてたのでしょうか。この謎から、「ロジャーズとグロリアー物議をかもすフィルムと継続する関係」というタイトルの論文も書かれているほどです。いわゆる「クライエント中心」というより、この頃のロジャーズがしきりに強調していた「実存的な出会い」の要素がよく伝わってくるこの面接は、これらかも貴重な研究資料として論議の的になり続けることでしょう。」

 

 (諸富祥彦『カール・ロジャーズ入門-自分が”自分”になるということ』1997年10月10日大一刷発行コスモス・ライブラリー、255~261頁)