たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

懐かしい街を歩いて心が生き返る

2020年01月02日 21時54分29秒 | 日記
 紅ゆずるさんのメモリアルブックをみてから訪れたいと思っていた横浜のみなとみらい地区を久しぶりに訪れました。わたしたぶん空き家だらけで真っ暗、車だらけ、ショッピングモールの中だけが街の暮らしに適応できずおかしくなりそうになっています。人が行き交う懐かしい街を歩いて生き返ってきたみたいです。東急の桜木町駅はなくなってしまいましたが、まだ郷里にいた頃慶応義塾大学の通信教育のスクーリングに出席するため桜木町にあったユースホステルに何度も泊まっていました。まだ母から逃げてひとり暮らしをすることを自分で全く思っていなかったときからこの街に暮らしたいなといつしかなんとなく漠然と考えるようになっていました。ひとり暮らしをはじめてまだ知り合いがおらず寂しくてたまらかなったときも桜木町界隈を訪れていました。東京に通勤していた間はほとんど訪れることがありませんでしたが、社会から孤立していた頃は用向きのあと訪れる機会がなんどもありました。だから日本丸が帆をはっていなくても、だれがいるわけでなくても、今みなとみらい地区として整備されているこの街はわたしにとって懐かしいところ。30年ぶりで郷里に暮らしてみて自分には街を歩く生活が性分にあっているのだとつくづくわかりました。断捨離の気がすんだら戻りたいです。年齢高くなって今さらやり直しができるのかどうかわかりませんが、家賃払う生活に戻れるのかわかりませんが街を歩く生活に戻りたいです。プリンス・エドワード島がわたしにとって心のふるさとだと勝手に思うのは旅人として訪れるからですね、車社会なのでたぶん暮らすことはできません。街がいいみたいです、わたしには。

 赤レンガ倉庫内のカフェレストランで海鮮丼をいただきました。ぜいたくなことです。懐かしいベイブリッジの灯り、暗いですが「海猿」に登場した海上保安庁の船も変わらず停泊していました。実際ここでドラマが撮影されたのかどうかはわたしわかっていません。灯りが離れがたく、また必ず来ると心に誓いました。瞬く街の灯りを眺めながら、穏やかな海を眺めながら、この平和がつづいていきますようにと祈りました。

 京浜東北線に乗るのが久しぶりに嬉しい自分、完全におのぼりさん状態。明日は友達と早いランチをしてから美術館へ。チケット、コンビニで簡単に購入できました。大混雑だと思いますが楽しみ。無事な一日でありますように・・・。

 紅さんのコンサート、梅田芸術劇場のS席をファンクラブの先行で申し込みましたがB席となりました。激戦なんですね、行けるだけありがたい。いろいろと感謝、ありがたいことばかりなのだと気持ちが上向きになれると気づいている自分。

 イビキのすごい人が必ずいるのであまり眠れない可能性大ですがお風呂であったまって眠剤で休みます。都心の街も夜空に星が瞬いています。

 9連休、早すぎる・・・。


 










また旅人としてもどってきました

2020年01月02日 16時42分13秒 | 日記
 30年間暮らした街にまた旅人として戻ってきました。家から最寄り駅まで、巡回バスが走っていないのでいちばん車があぶないところを歩いて7分ぐらいのバス停までいき、そこから最寄り駅までタクシー。わずかな時間ですが890円かかりました。信号もなんにもないので車だと早いですが遠い。父と母の葬儀から法事まで7回帰省しましたそのたびにタクシー代千円以上かかったことを思い出しました。遠いです、ほんとに遠い。自分は郷里で暮らすことができないという確信に心のなかで涙が流れます。家賃を払うことで享受できていた都心の利便性の高い暮らし。真っ暗な郷里とあまりにも違いすぎてしまい心身共についていくことができません。慣れない田舎暮らしで体がいたんでしまっているみたいです。新幹線を降りる近くになって股関節に走る痛みで足がつりそうになりました。よくあるのですがそのたびに自分でどきっとします。なんとか無事ですが疲れが出てきています。スパにチェックインしたら倒れてしまった人がいて自分も気をつけねばと思います。街を歩く生活がいい、子供のころから車は苦手。手放してしまった暮らしを取り戻すことができるのか。家賃を払っていない今は戻る部屋がない、少し敗北感。昨夜は眠剤1錠で7時間ほど眠れました。明日は上野、明後日は日比谷。スマホでパスワードいれるのすごく苦手、家のパソコンからネットでチケット申し込んでおけばよかった。極寒、無事に楽しめますように・・・。

 新富士駅からみた富士山はくもった雲がかかっていました。