たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

今日は一年ぶりの上野_『ハプスブルク展』に無事行ってきました

2020年01月03日 20時56分48秒 | 美術館めぐり
 昨夜心配したとおりお隣がいびきだったのでフロアのマットレスに早めに避難して眠剤で睡眠、朝8時から9時までまたベッドに戻ってうとうとしました。それから生き返って予定どおり10時に友達と待ち合わせてアフタヌーンティーで朝食兼昼食。二時間半ほど話したあと上野のハプスブルク展へ。国立西洋美術館も何度も訪れた懐かしいところ。こうしていると都心で暮らし続けている感覚になります。家賃を払っていないので残念ながら部屋はありませんが。      

 東京でしか開催されない『ハプスブルク展』、宝塚ファン、ミュージカルファンにとっては外せません。貴重な品々が海を越えて、たぶん飛行機に乗ってこんな日本によくぞやってきてくれました。東日本大震災のあと美術展にいくたびそう思いながら感謝しています。

 2009年の『THEハプスブルク』とかぶっている作品もありました。レンブラント、ティテアーノ、ルーベンス、ペラスケスの肖像画、甲冑、金銀が散りばめられたフランツのピストルなどなど。四時間近く、足痛いですが見ごたえありました。600年続いたのでお馴染みのマリア・テレジア、マリー・アントワネット、エリザベートにたどり着くまで長かったです。写真がなかった時代は、宮廷画家に肖像画を描かせて様子を伝えていたのですね。ハプスブルク家はみんな面長で馬面といえば馬面。「戦争はよその国にまかせておけばよい、幸運なオーストリアは結婚によって絆を結」んだために血が濃くなり過ぎて生まれた不幸も多く、家系図みるとおばさんと甥っ子が結婚していたりわけわかんないですが、膨大なコレクションを遺した功績は大きいですね。政治的には疎くても収集家としてはすぐれた王様もいたようで歴代の王様それぞれすごく個性的。

 宝塚ファン、ミュージカルファンにとってはもう十分すぎるぐらい知っているはずなのにフランツ・ヨーゼフと結婚してから四年後のエリザベートの肖像画は若く生き生きとしていて瞳が透き通るように美しく、好きにならずにはいられない魅力をたたえていました。病的気質を生まれながらをもっていましたが会う人を惹きつけてはなさない不思議さがあるなとあらためて思いました。瞳に吸い込まれていきそうになりました。アントワネットの肖像画は、2年前の『マリー・アントワネット展』と同じかと思いましたが違いますね、頭の羽根飾り、白いワッカドレス、右手にバラの花をもっているのは同じですが、右側にルイ16世の肖像が置かれており、髪型と顔の向きが違います。アントワネットお気に入りの女流画家ヴィジェ・ルブランが描いたというのは共通しているのかな。ほんとにきれいな人、無知だったために民衆の憎悪を一心に集めてしまった歴史を思うと涙が出そうになりました。アントワネットのと長女マリー・テレーズと次男ルイ・シャルルがとても小さく描かれたものも(国立西洋美術館の所蔵品)あり、幸薄いアントワネットの子供たちの生涯を思うと涙。女性だったマリー・テレーズは結婚生活を送り天寿を全うしましたが、可哀想だったのは幻のルイ17世となったルイ・シャルル。生まれる家を選びとることができなかった痛ましい10歳の生涯。このことは『スカーレット・ピンパーネル』、『1789バスティーユの恋人たち』の観劇日記で書いているので今は割愛。ポスターになっているペラスケスが描いた王女マルガリータも『THEハプスブルク』でみた作品とは違うものでした。8歳の王女、ドレスは濃い青をたたえていました。大きくふくらんだドレスはスペイン宮廷で発達したもので王女はウィーンに嫁いでからもスペイン風ドレスを着たそうです。15才で叔父でもありいとこでもあるレオポルト一世と結婚し一児を生んで21才で世を去った王女。健康な血筋ではとっくになくなっていましたが夫は陽気な人で妻を大切に思い幸せな結婚生活だったというのが救いです。

 語り始めるときりがない、語りたい、圧倒的に時間が足りません。あっという間すぎる。残念・・・。