たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

生きるってむずかしい

2020年01月27日 19時28分00秒 | 日記
 昨夕お風呂屋さんで体重計にのってみたらまた40㌔すれすれにところまで落ちてしまったかもしれません。こわくてまともに測れませんでした。擦り切れてしまいました。慣れない生活に一人で都心に暮らしていた時よりもすり減ってしまいました。わたしが郷里に対して完全にもう心を閉ざしているからですが、どこにいっても居心地がわるくて帰ってこなければよかったとむせびなきました。兄弟は他人、母がとつぜんあっちの世界へいってしまった8年前、天涯孤独となり、郷里は帰る場所ではなくなったことに気づかず、カウンセラーの先生の助言にしたがって母の名義になっていた土地と家、弟が自分一人の名義にしようとしていたところに無理やり自分の名前もいれてもらいました。今さらおりるとは言えないか、でも一週間前、「俺は出ていく、自分の居場所をみつけろ!」と言われたとき、「神奈川に戻りたい、戻る」と断言したからわたしもデカい家をもういらないことわかったかしらね。4月に入ったらまた失業者となり居場所がなくなることを考えると本当はいますぐ戻りたい、一日も早く戻りたい。でもまだ契約終了まであるし、自分と妹の荷物をもう少し整理したい。そうしたら納得できる。それ以上はわたしの手に負えないのでもう所有権も放棄したい。車がすべてを決める郷里でわたしは生きられないとわかったのだからもういいや、潔くいらない。仏壇なんてどうやって処分するんでしょうね、ただの粗大ごみ、家財処分一式というわけにはいかないでしょう、全部処分する道のりは険しいです。わたしの手にはこれ以上負えないので弟がお金だして処分すればいいと思います。30年余り前家を建て替えたとき、たぶん順番通りに入って次の代まで受け継がれていくという想定のもとに父と母は仏間をもうけました。まさかそれから2‐3年あとぐらいかな、いちばん先に妹が入ることになるなどだれが予想できたでしょう、家族が幸せにくらすために建て替えたはずだったデカい家、母がはりきって建てたデカい家、親がいなくないればただの荷物、遺った二人が協力しあって生きて行きましょうとはなりませんでした。切ないですね、すごく切ないです。統合失調症を発症してからも医療保護入院の期間以外はこの家にいたいと母はがんばった、母のための家でがんばった家であっちの世界へ行けたのだから母は幸せだったのだと思うことにしましょう。母が幸せだったかどうかは母にしかわからないのでわたしがそうやって納得するほかありません。生きることに正解はなくむずかしいですね。むずかしいです、ほんとに・・・。

 帰省がここまで自分を追いつめることになることを全く想定できませんでした。つらつら考えると自分はここに合わない性分、だから逃げ出したのだということを自分でようやく納得。今も適齢期ということばが郷里近郊では生きているのでしょうか、わかりませんが30数年前わたしがいわゆる適齢期だったころ、どこからきたのかわかりませんがある日知らないおばさんが、「お宅に年頃の娘さんがいるときいたので見に来た」と突然玄関にあがりこんでしばらくわたしの顔を見ていきました。母はそういうとき上手くやれる人ではないのでそのおばさんがわたしの顔を見ている間無言で和裁を続けていました。気がきく人ならお茶を出して話をするものなのでしょうか。わたしはなんと失礼な、さっさと追っ払ってくれよって内心思いましたがなにも言えませんでした。お見合いらしきことを一応したこともなんどかありました。高校時代の同級生が今でいう婚活に必死になり、結婚にこぎつけてルンルンしている様子をみながら、こんなことは自分に合わない、ぱっぴらごめんだと思いました。母が統合失調症を発症したので一緒にいるのがつらかったこともあり逃げ出しました。駅から近い暮らしへの憧れとスクーリングでなんども訪れたことのなる街へ逃げましたがしばらくしたら帰ろうかという中途半端な心持ちで、でも気がついたら30年が過ぎました。そのまま逃げ続けて全うするべきでした。集合住宅の大家がヘンな人でなく、隣にチャラ坊が越してこなくて引きこもりのオッサンもいなかったら賃貸契約の更新してましたかね、今さらそんなことを考えも仕方ないですね、今は少しでも荷物を減らしてまた旅立つ準備をすることだけ考えませう。失業者になってからの辛さは考えない、考えない。

 どこにいってもここは自分の居場所ではないのだという気持ちにしかなれないわたしは疲れ果てたさみしいへんなばあさんにしかみえないんでしょうね、お風呂屋さんでも然り。外のつぼふろに入っていたとき、すぐ近くにいた若い女の子の二人連れにじっと見られました。「見た?」「わたしも見たよ」っていう会話がきこえてきました。中ではおばさんたちにじっと見られました。お店に入ってもじっと見られる、電車の中でもじっと見られる。一瞥をくれるとかじゃなく、見る時はじっと見る。地方はどこもこういうものなのか他は暮らしたことがないのでわかりませんがこの地域性がいやでたまりません。だから病気になってしまう人だって実際にいる。わたしの中に母と同じ病気を発症する素はあると思いますが人は環境によってつくられます。この地域性だめなので母と同じ病気になる前にまた逃げ出そうと思います。

 明日は帰省した最大の納得、宝塚大劇場日帰りバスツアー、いつもより朝が早いし、眠剤のんでるので気持ち悪いの大丈夫かなあ、帰りがどうしても遅くなるので明後日の朝時間給とることにしましたが弟がたぶん夜勤で朝いるのなら鉢合わせになるのでゆっくりできない。どうなるんでしょうか。極寒の自転車はなおいっそう辛い。とにかく今夜は休まねば。そろそろ電車が少しは乗りやすくなっている頃でしょうか、電車も揺れ方がすごすぎてこれまた体にこたえる。今は無事に生き延びていくことを考えるのみ・・・。