たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『マリー・アントワネット展』に行ってきました(2)

2017年03月12日 16時55分49秒 | 美術館めぐり
 1月2日に出かけたマリー・アントワネット展の写真をようやく携帯から取り込みました。会場はせまいスペースに人がひしめき合って、美術館として心地いい空間とは言えない場所で疲れましたがなんとか行くことができてよかったと思います。

再現された王妃の化粧室。
ジバンシーのデザインチームによる監修だったかな、
誰が王妃の身支度をするか侍女たちが競い合っている間、
王妃は寒さに震えながら待たされたという解説でした。

彼女たちがフランス革命がおこると、王妃の侍女というだけで命を奪われることになったのか・・・。







センスのいいアントワネットは、強い香水で体の匂いを消していたヴェルサイユ宮殿に初めてお風呂文化を持ち込みました。バスタブに白い布をはって入浴していたそうです。




再現された王妃の寝室。









こちらは実際の王妃の寝室。
現地の購入してきたヴェルサイユ宮殿見学ガイド(日本語版)からです。






 アントワネットを思う時、両親亡き後残された二人の子どもたち、とりわけ次男ルイ・シャルルがブルボン王朝の負の遺産を一身に背負う運命をたどってしまったことに思いを馳せないではいられません。ヴァレンヌ逃亡に失敗し、捕らえられたアントワネットの裁判が始まると、なんとルイ・シャルルに性的虐待をしたという嫌疑までつくられたそうです。それに対してアントワネットは毅然とした態度を貫き通したという解説でした。でもルイ・シャルルの命を守ることはできませんでした。

 こちらのサイトが参考になります。
 
 革命にのみこまれた王妃マリー・アントワネット
 http://www.marieantoinettej.com/


『クハナ』観てきました(4)

2017年03月11日 16時44分33秒 | ミュージカル・舞台・映画
「お金集めは、悲喜こもごも。

 予算の関係で、この映画は最初から「16日間で撮りきる」ということが決まっていました。雨が降ろうが、雪が降ろうが、絶対に16日で撮るのです。

予算の話が出たところで、少しだけお金の話も。『クハナ』は、総予算、約5,000万円で製作されています。5,000万円というのは、映画の世界では低予算の部類ですが、でも、最初は自主映画としてスタートした私たち(秦とそして、映画製作未経験の地元映画部)にとっては、それはもうすごい大金なんですよね。このお金を集めるために準備の一年の大半を費やしたと言っても過言ではないです。

お金の話というのはとてもデリケートで、例えば、「総予算、約5,000万円」と書くだけでも、「そういう話は生臭いから具体的な数字を書くのはやめましょう」という人が出てきたりします。「地元を盛り上げるためなら、できることは何でもしますよ」と言っていた大きな会社の社長さんが、具体的なお金の話になった瞬間に態度が急変したりもします。「東京から胡散臭いやつがやってきて、地元民を騙して金儲けをしようとしている」と陰口を叩かれたこともありました。映画の部長は、いろんな人から何度も「映画なんて実際は出来っこない。あんたが恥かくだけだから、今のうちに手を引きなさい」と忠告されたそうです。それでも、クハナ!映画部の人たちの情熱は消えず、ついに予算を集めきって3月のクランクインまでこぎつけました。

この映画のエンドロールの「協賛企業」の数!地方映画に詳しい人たちは、みんなこのエンドロールにびっくりします。これらは、ボランティアとしてこの映画のために走り回った映画部のみんなの勲章だとぼくは思っています。」

(『クハナ』公式プログラムのプロダクションノートより、文;秦建日子)


 以前にも書きましたが、エンドロールの協賛企業名をみたとき本当にびっくりました。ゼロから東海地区の名だたる企業をよくここまで集めたものだと思いました。5,000万円というのは何も持たない一個人にとっては途方もない金額ですが、大企業にとってはなんてことない金額。個人ではなく会社のお金ですから・・・。ここで比較対象として持ち出すことは適切ではないことを承知で書けば、損害賠償を求めたわたしというこんなにちっぽけな一市民をにぎりつぶすためにカイシャから弁〇士に流れたお金はたぶんはこの5分の1ぐらいと思われます。あくまでも推測ですが諸々考えるとたぶんトータルそれぐらいの、全く意味のないお金がたくさんあるところからたくさんあるところへとじゃぶじゃぶと流れていきました。話が長引けば長引くだけ弁〇士先生はお金になりますから、幼稚くさい書面をつくってはなにかとケチをつけてのらーりくらーりと話を引き伸ばしていきました。そうしないとお金になりませんからね。お金のためですよ、お金。世の中、こんなふうにない人のところにはこないようになっているんですよ、すごく実にうまーくね。こんな無意味な使われ方じゃなくって、これだけの同じお金が被災された方のために使われたらどんなに有益だろう、これだけのお金があれば大学に進学できる子がいるのに、そんな人のところへこのお金が届けばいいのに、と何度も何度も思いました。私個人の体験ばかりでなく、色々な現実をみながら、本当に必要な人のところへ、必要なだけのお金が届くことってすごく難しいことなんだとしみじみ思います。予算を集めきったこと、映画をつくりたいという想いの汗と涙の結晶と推察します。

 9つの花=クハナ、オーデションをやってみたら応募者のレベルが高すぎて9人にしぼり切れずクハナキッズは10人になったとプログラムに書かれています。10人中4人が楽器を触るのもはじめてというところから、10か月でめきめきと成長していったそうです。劇中で全く楽器を演奏できなかったキッズたちが大石先生(風間とおるさん)の指導と練習で音を出すことができるようになり、練習に練習を重ねて演奏できるようになっていく姿と重なります。ドラムの瑞希ちゃん(久本眞志子さん)が手作りのドラムセットで家で練習している場面が絶妙に可愛く、なんだかいとおしく特に印象に残っています。

 主人公、真田真珠(松本来夢さん)がサックスほしくなって、でもサックスを買うためのお金を工面するのはとっても大変なことだってわかっていて、案の定お母さん(須藤理沙さん)は猛反対。お母さんがこっそり貯めていた数万円を、とぼけたふりして真珠にわたすおばあちゃん(山村美智さん)の演技が絶妙にあたたかく、いい味だしていました。とってもお茶目でかわいくて憎めない。どなたかと思ったらひょうきんアナだった山村美智子さんなんですね。女優さんになられていたとは知りませんでした。お母さん役の須藤理沙さんの庶民ぶりも絶妙でした。キッズを囲む大人たちの姿も悲喜こもごも。一緒に泣いたり笑ったり喜んだり。お金がなくては生きていくことできませんがお金だけでもない。バランス大切。あったかい仕上がりの作品。願わくば、海斗君(加藤清史郎君)もクハナキッズと一緒に大会で演奏してほしかった・・・。

 平野綾さんのブログに登場した制服姿の清史郎君の凛々しさにくらくらなりました。
 http://ameblo.jp/hirano--aya/entry-12255241181.html

 中学校卒業ですか。早いねー。高校は報道されているようにイギリスに留学するのかな。さらにさらに成長して、マリウス、アンジョルラス、ルドルフで舞台に戻ってくる日を無事に楽しみに待っていますよ。その時が訪れるまで生き延びて見届けなくっちゃ。そんなこと考えるのまだ早いですかね。父とのお別れ、3.11、母とのお別れ。一日一日を生き延びていることは奇跡なんだとあらためて気づかされてからいつもそんなことを心の底で思いながら生きています。明日のことは誰にもわかりません。この世での旅を終えるときに、「幸せな人生だった」と思えるような生き方を手探りし続けます。見つけられないうちに人生の幕が下りるなってことにならなければいいですけど、どうでしょうかね・・・。

劇中写真は、公式ツィッターからお借りしました。




なんとか無事に一週間が終わりました

2017年03月10日 23時33分31秒 | 日記
 なんとか無事に一週間が終わり、金曜日の夜を迎えています。夕刻業務を終えて外に出てみると風の冷たさに驚きました。お昼休みに行ける所がないので訪問がない限り一日中缶詰め状態になってしまいます。それはそれで息がつまってしまい窒息しそうです。ひと息入れられないの、ほんとにつらいです。自分のペースでお手洗いに行ったり、あったかい飲み物をつくったりしながらなんとかしのいでいます。先週の訪問の疲れをひきずっているせいもあってか、なんだかすごく疲れました。そこの空気だけで疲れますけどね、終わるとげっそりなって、しゃべるのも面倒くさい感じになってしまいます。なんだろうね、この疲れ。なんだろうね、働くって。お給料もらうために働くの、一日6時間ぐらいで十分だと思います。前々職のカイシャの時には、9時間とか10時間とか、海外に飛び立つために休暇を取る前なんかは12時間とか働いていましたが、もうそんなことはできないし、やりたくもありません。そんなんはもういい。でもそうすると生活することと両立しなくなるので難しいです。贅沢したいわけじゃない。ほしいものはないので、服もモノもほとんど買わないつましい暮らし。ただまた海外に飛び立ちたいし、観劇にもお金かかります。だから稼ぎも必要。カイシャから損害賠償として取れなかった分も悔しいので社会から取り戻したいしね、って思うとある程度は必要。ほんと自分の中で何を大事にするかですね。これからどうやって生きていけばいいんだろうなって思いますがわかりません。明日は3.11ですか。今日のように風が冷たかったですね。冷たい風の中で、コートも羽織らずにビルとビルを行ったり来たりしています。もちろんカイシャのためでしたよ、仕事していましたよ。ほんとによく働いていました。何しろ二人分労働が続きましたから、ほんとによく働いていましたよ。

 わたし今こんなに疲れてしまうの、一つには乱視矯正が完全にはあっていないからっていうのがあると思います。年明けから乱視矯正用のコンタクトレンズつけていますが、わたしの乱視は角度は通常よりもひどいらしくってお値段高めの、つくっているメーカーが限られているレンズしかぴったり合うのがありません。でもそのメーカーにはお得な定額プランがないので、二週間使い捨てレンジを一週間で使い捨てるなんていう贅沢なことができないんですね。二週間も同じレンズを使っていると、こうして外に出て働らく身ではレンズが汚れきってしまって無理なんです。一週間使い続けてどうにかこうにかっていう感じです。だから乱視矯正が完全にはあっていないメーカーの定額プランで購入できる二週間レンズを一週間で取り換えながら使っています。わたし、いつの間にこんなに乱視がひどくなってしまったんだろうなあ。3年ぐらい前まではハードの乱視矯正用のレンズを使っていたような気がしますが、ハードだと装着時間が長過ぎて目がボロボロになってしまったので性能のいいレンズがどんどん出てきた使い捨てソフトレンズを使うようになったんだったかな。わたし、自分がポイ捨てにされようとしていることを知らずに、2013年の年末は具合が悪くなって休んでしまった分を取り戻そうと休暇が始まったカイシャに出勤して仕事したんですよね。その頃、なんどか眼科に通ってレンジをハードからソフトにしたような記憶があります。カイシャの空調がよくない風にさらされることが多かったせいもあったし、業務量も多かったしカイシャでの滞在時間も長かったし、なんだかほんとに苦労し尽くしました。その結末がポイ捨て、ってか。あはっ、まだ言ってますね。まだまだ言うと思います。10年ため込み続けた悔しさはそんなに簡単には消えません。争いになってしまってからの疲れも完全には癒えていないし、去年運とタイミングで社会に戻ることができてからも仕事内容と労働環境がよくなくって毎日怒られどおしで疲れました。それでもって現在(いま)。無理してるんでしょうね、わたし。ずっと無理してきたし、いまも無理しています。これからどうやって生きていけばいいんだろうなあ。考えている間に人生終わってしまいそうです。

 明日は断捨離と観劇日記更新と少し英語やれるかな。日曜はできればスパに行って体の疲れをとりたいけれど電車の往復がつらいのでどうかなあ。ポイントたまってきたので一回分無料で入れます。お正月以来行っていないので行きたいけどどうかなあ。明日も寒そうですね。

 今日も長々と徒然日記でした。

なんとかあと一日

2017年03月09日 22時39分30秒 | 日記
 木曜日の夜、ちょっとだらだらしていたらあっという間に時間が過ぎてしまいました。プライベート時間はほんとに早いです。業務時間も終わってみればあっという間ですが疲れるのでね、長いですよ、やっぱり。お昼休みにバッテリー切れ。人がいないと電話応対だけでもなんだか大変で、自分がアポとるために電話を入れるときにはバッテリー切れで声が出なくなっていたりします。わたし、電話苦手であまり好きじゃないんです。ほんとに苦手、好きじゃないなあ。今朝はひとつめの乗り換え駅で走ったのに間に合いませんでした。ほんの数秒の違い。間に合う日と間に合わない日とあります。降りてくる人の波に阻まれるんですよね。その波の中にいる男子高校生にからかわれています。なんか何十秒、一分に左右されながら暮らしている自分が悲しくなりました。一般庶民、こんなもんでしょ。特に朝は、数分が大きいです。5分の違いがものすごく大きいです。いじましいですが、わたしだけじゃない、みんなこんなもんでしょ。上り電車の人波、みんな走ってますよ、乗り換え駅で。大変ぞなもし、乗り換えは。

 今日はわたしが使わせていただいているパソコンにプリンターのドライバーをインストールする必要があり、システム担当の若い職員さんにやってもらいましたが、システム管理者の権限がないとできないことなんですが、わたし前々職のカイシャでシステム担当もどきまでやっていたおかげで、何をやっているのか理解できてしまいました。自然とカイシャでのあれこれを思い出してしまいました。海外から帰国したおじさん、おじいちゃんたち、自分で出張精算ができないので手取り足取り、ここをクリック、つぎはここをクリックって面倒みたり、時には代理で精算したりしていました。いやその前に、ウィルスチェックのお手伝いしていました。USBメモリにウィルスソフトのアップデートして、次はパソコンに完全スキャンかけてました。本来ご自身でやっていただくべきことを、わたしが代わりに海外部門のシステム担当に電話していました。そういえばK部長だったときには、パソコンにうといご自身のパソコンに疎いことがそもそも問題だったのにそんなことは全く認識されておらず、わからないとわたしに声がかかり、わたしが海外部門のシステム担当に電話して、でも今他の部署の対応中だからすぐにはいけないと言われしまい、それをK部長に伝えると、なぜかイライラとわたしがものすごく怒られて、いつもシステム担当者と部署との間で板挟みでした。システム担当者決まっていましたが、海外出張行ってしまっていなくなることもよくありました。若い人たちが一斉にいなくなっている時システム関連のことでもわたしが窓口になっていました。いつの間にかシステム担当者のメーリングリストにわたしのアドレスが加えられていました。なに書いているかわからないと思いますが、つまり本来わたしの仕事では全くないはずだったパソコン、システム関連のことも、海外出張でほとんど人がいなくなると、気がついた時にはなぜか全部わたしの責任になりとっても大変だっということです、神経をすり減らしたということです。まだまだ体が覚えていて、ふっと思い出してしまうんですねえ。わたしの中に沁みついてしまっているのだとあらためて気づかされました。まあ自ずとおぼえられたことが無駄ではなかったと思いますがね。それまではずっとパソコンから逃げていてほとんどなにも知らなかった、できなかったわたしが大きな組織のネットワークシステムの仕組み、なんとなくおぼえられました。アップデート、インストール、ダウンロード。全く言葉の意味すらわからなかったわたしが、おしえてもらいながらやっているうちにあれやこれやとなんとなくおぼえられました。それはよかったと思いますが、本来の業務の範疇をとっくに飛び越えていたというのは問題だったはずです。それがポイ捨てにされた結果、全く問題ありませんでした、となりました。それがわたしの中で今も問題なんですけど、まあこれ以上いっても仕方ないこと。ただこうして折々に思い出してしまうということはこれからも続いていくんだろうなと思います。

 なんとかあと一日で今週おしまい。長々と徒然日記でした。

風はまだまだ冷たいですね

2017年03月08日 21時46分34秒 | 日記
 夕刻退社時間(会社ではないので正しくは退社と言わないと思いますが他に言い方がわからずです)、外に出るとまだ明るくてすっかり陽が長くなったのを実感しますが風はまだまだ冷たいですね。今日もなんとか無事に一日が終わり夜を迎えています。中に閉じ込められているような感じも辛いですが、電車とバスを乗り継いでぐるぐるしながら慣れない所をたずねて神経使いながら慣れないことを話さなければならないのは疲れてしまって、記録をまとめたら整理したりした一日は小休止でした。今週はあとこんな感じかな、たぶん・・・。昨夜も6時間睡眠とりました。お手洗いにいきたかったはずですが、それほど疲れていたのか一晩中一度も目がさめませんでした。先週の三回の訪問がこたえています。電車とバスを乗り継いで不便なところへ行き、強烈すぎるたばこのにおいにくらくらなり。はじめてのことばかりということもあってほんとに疲れます。もう少し若いうちからやれていたらこんなに疲れないのかなあ。どうなんでしょうね、わかりませんが初めてのことをやるにはきつい年齢なんだと実感しています。いくつになってもおそいということはない、なんて言いますが、それは好きなことをやる場合のことであって、こうしてお給料をいただくための仕事となると別ですよ。生活あるので自分からカイシャを辞めることはできなかったので仕方ないのかねえ。全部自己責任なのかねえ。そりゃたしかに中途半端なまま続けた自分悪いですよ、でもねえ公平だっていうならさ、いいように使うだけ使ってきたカイシャ(書類上雇用主だったハケンカイシャのことなんかじゃなくって働いていたカイシャのことですよ)にはなんの義務も責任もないなんてそりゃあおかしくないですか、一方的にカイシャに都合よすぎませんか、っていつまでグチっとるんやって感じですかね。いやいやグチじゃなくって大事なこと。でも弱い立場の一人(いちにん)はどうすることもできません。なんの力もありません。細々と生き延びていくだけ。

 お昼休み、食堂から見上げた空は雲が流れているようにみえませんでした。プリンス・エドワード島の高い空をぐんぐんと雲が流れていくのをながめているとき、わけもなくただただ幸せでした。緯度が違うからでしょうか。日本で見上げる空は、それほどぐんぐん流れていくようにはみえません。プリンス・エドワード島は風の島、いつも風が吹いているというのもあるのかな。空を見上げながらね、思います。この世での旅を終える時後悔しない生き方ってどんな生き方なんだろう、5月以降自分これからどこでどうやって生きていけばいいんだろうって。残念ながら想いと生活は両立しません。給料もらうために働く時間はそんなに要らないです、もう。でもそんなこと言っていたら生活はできない。5月以降また収入の目途がたたなくなり、社会から孤立していくのもつらいです。こうして考えている間に人生の終わりの時を迎えてしまうのでしょうか。そんなことを思いながら、気力をふりしぼってあと二日の海に漕ぎ出していかなければなりません。はあっ!

 3月8日は水木しげるさんのお誕生日だそうです。ツィッターで見つけました。

 水木しげるの幸福の七か条、

①成功や勝ち負けや栄誉を目的に、ことを行ってはいけない。

②しないではいられないことをし続けなさい。

③他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

④好きの力を信じる。

⑤才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

⑥怠け者になりなさい。

⑦目に見えない世界を信じる。


 わたし、書くことが好きで書かずにはいられません。こうして無事に書けるかぎりは書き続けると思います。よろしかったらまた訪問してください。

 今日も徒然日記でした。なんか胃の痛みがとまらないっす。


風の冷たい一日でした

2017年03月07日 21時50分26秒 | 日記
 3月7日、わたしの??回目の誕生日でしたが、なにということもなく、わたし自身の頭の中がそれどころではなく過ぎました。春のプリンス・エドワード島でご一緒になった方がメッセージをくださいました。ありがとうございます。昨日アップしたプリンス・エドワード島の高い空、一緒に見上げましたね。この世での旅を終えるときに、ああほんとに旅してよかった、素敵な時間だったと思えるひととき、心の宝物。お金にはかえられません。いろんな意味で無理しましたが、あの時でなければならなかったんだと思います。

 午後は訪問。朝どこに行くんだっけともう一度おさらいし、また次に行くところの行き方を調べてアポどりもすませました。お昼を食べてしばらくすると、また電車を乗り継ぎ、バスに乗り換えて目的地へ向かいました。案の定、バスの乗り場がわかりづらい駅で時間かかりました。外は風が冷たいのでお手洗いにもいきたくなるし、エスカレーターを上ったり降りたり、駅の中を歩いたり、ぐるぐる、ぐるぐる。目が回ってしまい、どこへ何しにいくのか、繰り返しているとだんだんわからなくなってきてしまいます。目的地近くのバス停で降りたら、ほんとに風が冷たくってこたえました。バスの乗車時間は10分ぐらいだったのがせめてもの幸いでした。目的地では、~らしくしなければと緊張しましたがなんだかすっごい間抜けで~らしくはみえなかっただろうと思います。わたし、記録を書くためにとりあえずのメモを取る時はすっごいぐちゃぐちゃで人にはみせられないメモの取り方しかできません。それをみながら記憶があるうちにまとめるのがいつものやり方。だから先方から書いているのをちらっとみられるとすっごい恥ずかしい、すっごい困る。思っていたよりも時間も短く、緊張感を強いられるようなことも先週ほどにはなかったですが、それは結果。はじめて行く所ではじめて会うひとたち。ひとつひとつ慣れないことの連続で疲れます。移動だけでも大変なので消耗します。この繰り返しがあと何回あるのだろう。求められようとしていることを全部こなすのは無理だろうなあ。全部電車とバスを乗り継ぐ不便な場所。バスが一時間に一本しかないとか、逃さないようにと緊張してしまいます。都度バス乗り場とバスの時間も調べて、個人的には利用することのない駅に行って、まず無事にバス乗り場にたどりつく。それだけでも大変なこと。遠くはないですが、あっちへこっちへと目が回ってしまいます。はあっ、大変なりや。ほんとに自分、ちゃんとできているのかな。できているはずですがどうなんでしょうか。自分ではよくわかりません。思ったよりも早く終わりましたがまた就労場所へ戻るのはつらすぎるので連絡をいれて予定通り直帰。疲れました。いつもより一時間20分ぐらい早く帰りついたのでヘンな感じでしたが、毎日これぐらいで十分だなあと思います。でもそうすると安定的な暮らしを維持していけるだけの収入は得られないですね。ジレンマ・・・

 2年前の今頃、カイシャとの争いを続けるか続けないか、普通の裁判でいえば証人尋問にあたるような審問に進むか、納得にはあまりにも程遠い結末を呑むか、選択しなければなりませんでした。嗚咽のような想いをしながら納得には程遠い結末を呑みました。それでよかったと昨日なんとなく思い返していました。審問に進んでカイシャの弁護士のつるしあげにさらされていたら、さらに泥沼にはまって裁判なんてことになったら終わらなくなってしまっただろうし、わたしは再起不能になるぐらいの深い心の傷を負うことになってしまっただろうと想像しました。想像でしか考えることできませんが、日本の司法のなかでは、そもそも弱い立場のものが強い立場のものから人として傷つけられることから守られるような仕組みがないです。カイシャのようにじゃぶじゃぶとお金を出せるわけじゃないので弱いですよ。そのまんまで望まない争いになってしまったら闘っていくしかないわけで、そりゃ弱いですよ。弱くて当然なんですよ、そこを守ってくれる仕組みがないです。だから弱い立場のものが争いは弱い立場の心身のエネルギーを吸い上げてカラカラにします。すり切れるだけすり切りさせます。わたしなんかのことでこんなんだから大きな組織を相手に争っている方々はほんとに大変ですよね。争うということはどういうことなのか、身をもって知りました。学びとなりました。

 お誕生日なのでね、ささやかにケーキをいただきながら動画の中の王子様たちで目を潤します。明日はまだ水曜日、明日も風の冷たい一日になりそうですね。なんとか無事に終わっていきますように、今夜眠ったら明日また出勤できますように、役割を果たすことができますように。色々と書きたいことは休日までおあずけ。

 長々と徒然日記でした。



明日も寒いですね

2017年03月06日 21時45分50秒 | 日記
 月曜日の夜、冷え込んでいます。暖房入っていないと寒いですが、暖房入っていると気持ち悪いです。電車の中もスーパーやお店の中も一歩足を踏み入れた途端暑くって着込んでいる身にはこたえます。でも外は寒いので着込まないわけにはいかないんですよね。あー、きつい。明日はまだ火曜日。午後はまた訪問です。先々週アポ済みですが、どこに行くんだっけとプリントアウトしてあった資料をあらためて確認したら電車に2回、バスに1回乗らなければならないところでした。距離は短いですけどね、ぐるぐるぐるぐる何回も乗ったり降りたり、通勤だけでも片道2回乗り換えているのにさらに乗り換えて目が回ってしまいます。バス停からはすぐみたいですが、建物の入口からすぐに目的の場所までたどり着けるわけではなく、たぶんまたビルの中をたくさん歩かなければなりません。エレベーターに乗ったり降りたり。バスは特に本数が少ないと逃してしまわないようにと時刻表みながら気をつかいます。お手洗いにいきたくなるしね。これだけでもすでに十分きついのに、さらに神経を使いながら話をして確認すべきことを確認する役割を果たさなければなりません。まだ次があるんですよね、自分の持ち分もあるし、すごくきついなあ。次もその次も電車とバスを乗り継いで不便な場所へ。不便な所にしかない場所を訪ねなければならないのでそうならざるを得ませんが、きついです。アポどりしなければなりません。それもエネルギー消耗します。会ったことない、なんにも知らない人と話さなければならないので神経を使います。すごく疲れているのに、緊張しているせいか、歳をとってきたせいか、疲れがとりきれないまま目がさめてしまったりします。(上の部屋の人の足音、12時過ぎても響いてくるし・・・)。わたし、もつのかなあ。もう無理かもしれません。一日一日で考えていくしかありません。ばかみたいにミュージカルの動画をだらだらと流すのがささやかな息抜き。明日一日がどうか無事に過ぎていきますように・・・。

 明日は??回目の誕生日なんですけど、なんにも思いません。なんとか無事に一日が終わりますようにと祈るのみです。

 プリンス・エドワード島の高い空。オーウエル・コーナー歴史村の草の上に寝転んで見上げた高い、高い空。吸い込まれていきそうでした。自分も宇宙の一部なんだなと実感しました。この世にいる間にいつかまた訪れることができますように・・・。
 

映画『クハナ』観てきました(3)

2017年03月05日 19時09分18秒 | ミュージカル・舞台・映画
 『クハナ』観てきました、2016年10月20日

 『クハナ』観てきました(2)、2016年10月23日

 ようやくこちらの記事の続きです。ようやくあらためてゆっくりとパンフレットを読み返しました。

 映画『クハナ』、DVDとブルーレイが発売されることになったようでおめでとうございます。一人でも多くの方に鑑賞していただける機会が増えることになりました。秦監督がパンフレットに書かれているように、この世での旅を終える間際人生を振り返るとき、いい仕事ができた、いい人生だったと心の底から思えるようなお仕事をされたと思います。たぶん清史郎君が出ていなければ出会うことのなかった映画ですが、清史郎君が出ていることで出会うことができた作品。カイシャからポイ捨てにされたので損害賠償を求めたら争いとなってしまい、擦り切れるだけ擦り切れて疲弊し、社会への希望が全く見えなくなってしまったわたしにとって、希望のひとしずくを心に落としてくれたような作品。

こんな物語でした。

「西田真珠は、三重県桑名市に住む小学6年生の女の子。真珠の通う小学校は、町の人口減少や少子化のせいで廃校が決まっていて、そのせいか毎日の生活にいまひとつ張り合いがない。親友の瑞希は、同級生の海斗に初恋真っ只中だが、実は海斗の親は東京からの転勤組で、真珠や瑞希など地元密着型の大人たちとは、いろいろとうまくいっていなかった。

そんなとき、元々はプロのジャズプレイヤーという先生が新しく赴任してきて、真珠たちは小学校生活の最後にジャズのビッグバンドをやることになった。大人たちのゴタゴタや、海斗の突然の転校などを乗り越え、真珠たちのビッグバンドは県大会を勝ち東海大会へと突き進む快進撃を見せる。

ところが、クライマックスの東海大会の本番直前、真珠のアルトサックスが壊れてしまう!!どうする真珠!!壊れたサックスを抱えたまま、満員の観客が見守るステージの上に出た真珠の取った行動とは・・・!! 

子どもたちの勇気と情熱が、閉塞気味の街の大人たちを元気にしていく!笑いと涙と音楽に溢れたハートウォーミングな物語です!」

 全文プログラムからの引用です。サックスが壊れてしまった真珠(松本来夢さん)は、東海大会の舞台上で「サックスがこわれた~♪」とうたい、結局失格となりますがみんなが笑顔と涙に溢れた舞台に誰も悔いはありませんでした。この大会に出場するための経費を捻出するために、元ジャズプレーヤーの大石先生(風間トオルさん)がようやく手放す決心をしたジャズピアノをネットで競売にかけることになり、こっそり校長先生(多岐川裕美さん)も入札。落札したのは、大石先生と息子の悟(南圭介さん)とのバスの中でのやりとりを聞いていたバスの運転手(ウド鈴木さん)。バスの運転手はジャズの愛好家で、真珠たちとジャズレコードを抱えた運転手がぶつかってレコードを落としてしまったときに、落札したのは運転手だったとわかるオチだったと思います。「人生、楽しまなくっちゃ!」。運転手の笑顔で映画はエンドロールへ。

 同世代の風間トオルさんが演じる大石先生に感情移入しました。元ジャスプレーヤーだった大石先生は、有名なジャズプレーヤー?の直筆サインがあるピアノを持っていることが自慢でした。なかなか収入が安定する仕事をできなかったお父さんをなじる息子とのせめぎあいの末に、やっと子どもたちの東海大会の出場の経費を捻出するため楽器店へとピアノを持ち込んでみると、ほとんど値段がつかないことがわかりました。ずっとずっと大事にしてきた自慢のピアノは金銭的にはすでに価値のないものだったのです。それでもジャズをあきらめきれない大石先生にとっては宝物でした。それを子どもたちのためにネットで競売にかけることにしたのです。生活していくためにはプロのジャズプレーヤーをあきらめなければならない、でもジャズをあきらめきれずに赴任した小学校で子どもたちとジャズ部をたちあげていく大石先生。ごはんをたべていくことと熱い想いとの両立はむずかしいですね。それでもどこかに熱い想いをずっと持ち続けていくことで、いつかこうしてなにかに結びつていくような出会いがおのずとやってくるものなのか、熱い想いは無駄ではなかったのか。正解はありません。

 一台のパソコンを前にみんなが競売の成り行きを見守っているとき、自宅のマンションで娘に手伝ってもらい退職金をはたいてもいいと入札に参加する校長先生。うまく書き切れていませんが、みんなのやさしさ、あったかさを救い上げるストーリィでした。桑名市の工場は閉鎖され、また次の赴任地へ工場長として転勤していくことになった海斗(加藤清史郎君)は、対立することになってしまった同級生たちになにも告げずに静かに桑名市を去っていきます。海斗君の思いをよせる瑞希(久本眞志子さん)の姿はせつなかったですね。海斗君、東海大会の会場でクハナキッズの演奏を見守っていました。清史郎君ファンとしては、セリフのほとんどないこの時の表情がすごく素敵でした。

 本当に人生の最期を迎えるときこれでよかったんだと思える生き方、この世の旅を悔いなく終える生き方とはどんな生き方なんでしょうね。心の中で彷徨い続けながら、現実にはまた明日から辛い一週間へと漕ぎ出していかなければなりません。年度末でね、職員がやりきていない訪問を3月末までにわたしがこなさなければならないんです。今週は今のところ火曜だけですがその先も予定を決めていかなければなりません。行き先は不便なところばかりなので、時刻表と地図をみながら電車とバスを乗り継いで、お手洗いに行くのも不便だし、訪問先で話をするためには事前に内容をまとめてもいかなければならないし、本来の自分の受け持ち分もまだあるし、なんだかなあ。目の前のことに捉われてこれが人の役に立っていることなのかどうかわからなくなっていますがこなさなければならないので捉われざるを得ません。残念ですが、これが自分に与えられた役割なのだろうかと問いかけながら月曜日の海へと漕ぎ出していく準備をします。

 やっとここまで書けました。

旅の思い出写真_モン・サン・ミッシェル

2017年03月04日 23時37分06秒 | パリから世界遺産を訪ねて
 まだまだモノがあふれかえっていてぐちゃぐちゃなので少しずつ整理中、そんな心の断捨離は続いています。

 メルキュール・モンサンミッシェルで一泊した翌日、2008年9月9日(火)、晴れわたった空のもとで訪れたモン・サン・ミッシェル修道院。

『地球の歩き方』より

「708年、アヴランシュの司教聖オベールが夢の中で神のお告げを受けて小さな礼拝堂を建てたことから、モン・サン・ミッシェルの歴史は始まる。966年に修道院の建設が本格的に始まり、その後、数世紀にわたって増改築が繰り返されてきた。こうして、中世のさまざまな建築様式が混ざり合った独特の造りとなっている。例えば11世紀に造られたサン・マルタン地下聖堂はロマネスク様式のオリジナルの形を残しているが、もともとロマネスク様式で造られた教会の内陣は15世紀にフランボワイヤン・ゴシック様式に造り替えられている。

 一番の見どころは北面の3階建て2棟を含む部分で、「ラ・メルヴェイユ(驚異)」と呼ばれ、ゴシック建築における傑作と称えられている。

 最上階にある13世紀の回廊は、2列に並んだ円柱がリズミカルに美を奏でる、まさに瞑想にふさわしい神秘に満ちた空間となっている。円柱が交互に立っているのは修道士の歩くリズムに合わせたものだという。回廊の隣は修道士の大食堂。その階下には、騎士の間と賓客室がある。

 中世の頃には多くの巡礼者を受け入れたモン・サン・ミッシェルだが、18世紀には牢獄として使われた歴史をもつ。このため、修道院の内部には労働に使われた大車輪、さらに死体収容所の跡まで残っている。修道会はフランス革命時に解散させられたが、牢獄としての役割は続き、さまざまな政治犯や反体制派の人々がこの島に送られた。牢獄としての役目の終えたのは1863年のこと。やがて中世芸術を再評価する動きとともに、モン・サン・ミッシェルの比類ない景勝美が注目され、現在ではフランスで最も人気のある観光地となっている。

 修道院の見どころは、建築のほかにもうひとつ。ここからのパノラミックな眺望だ。西側テラスに出ると、晴れた日なら対岸のグランヴィルまで見渡せる壮大な眺めを満喫できる。時間があれば、湾を取り囲む海岸線を散策してみるのもおもしろい。さまざまな角度からモン・サン・ミッシェルを眺められる道で、また新たな魅力を発見することだろう。」

ごつごつ、ごつごつとした石の要塞を実感。足元も石。当然ですが歩いて観光したので、この日の夕方になって足がかなり疲れていることを感じました。イヤホンガイドもぶら下げていたので荷物重かったし、観光地めぐりは体力、健康な体があってこそです。









西側テラスの足元。モン・サン・ミッシェルの建築に携わった人たちの名前だったかな、イニシャルだったかな?が刻まされているという説明だったと思います。



西側テラスで空を見上げて撮りました。
より空に近く、より神様に近づこうとして高くつくったという説明があったと思いますが見上げているとその想いを肌で感じることができました。






西側テラスから対岸を眺めることができました。イギリスとの100年戦争の時には、モン・サン・ミッシェルが砦となったという説明があったと思います。



西側テラスから眺めた潮の満ち引き。



出る時後ろを振り返って撮ったようが記憶があります。






 写真ありませんが、地球の歩き方に書かれている修道士たちが瞑想したという回廊はとても落ち着く雰囲気でした。身分の高い人たちが食事をする間の豪華さとその階下だったと思いますが身分の低い人たちが食事をする間の質素なことの落差も印象的でした。ヨーロッパの身分制社会は日本人がイメージするよりもはるかに強いものがあるというような記述をどこかに読んでことがありますが、身分によってこんなに扱いが違うものかと驚きました。

 修道院の観光が終わると、近くで昼食に名物というオムレツをいただきました。ボリュームのあるメインディッシュを想像していましたが、オムレツは小さくって日本なら米のかわりのような存在、一緒に魚などもいただいた記憶があります。

 すべて使い捨てカメラで撮った写真。簡単ですが、わたし自身のための旅の振り返りでした。

1991年雪組『華麗なるギャツビー』

2017年03月04日 14時43分03秒 | 宝塚
 ヘロヘロな休日、スィッチを普通に戻していくための息抜き投稿。

 平成3(1991)年、杜けあきさん率いる芝居の雪組充実期の舞台『華麗なるギャツビー』。小池先生の作品をはじめて拝見しました。脚本・演出・演技、すべてが素晴らしい舞台で、すごい才能の演出家だと感動しました。杜けあきさんがギャツビー、二番手だった一路真輝さんがニック・キャラウエイ、まだ若手だった香寿たつきさん、轟悠さんのお顔も。

 白いスーツ姿のギャツビーが「朝日がのぼる前に」を歌ったエンディング。今もよみがえってきます。宝塚100周年記念の年、青山劇場で上演された『セレブレーション宝塚』で杜けあきさんがこの歌を歌われました。その日ゲスト出演だったたーたん(香寿たつきさん)が、トークショーの時に白いスーツ姿のけあきさんがそこにいるようだったという話をされたと思います。わたしもほんとになつかしい想いでした。物語を進行を見守っていくような立ち位置にいるニック・キャラウエイを一路さんが抑えをきかせたいい演技で舞台をしっかりとささえていたのも心に残っています。この頃の雪組がほんとに好きでした。デイジーの鮎ゆうきさんはこの公演で退団されたんだったかな。このあと紫ともちゃんがけあきさんの相手役として月組から組替えで雪組に戻ってきました。芝居の雪組、充実期。今もその流れが受け継がれていることは『星逢一夜』をライブビューイングで観劇した時に書いたとおり。


 5月に日生劇場で上演される『グレード・ギャツビー』。主役は井上芳雄さん。スーツを素敵に着こなされています。個人的には一路さんが演じたニック・キャラウエイを田代万里生さんがどう演じされるのか、すごく楽しみです。海峡ひろきさんが演じたディジーの夫トム・ブキャナンが広瀬友祐さん。女性のメインキャストは全員元タカラジェンヌ。デイジーを夢咲ねねちゃんがどう演じるのか。渚あきちゃんがいるのもうれしいです。5月の仕事の予定はありませんが舞台のチケットはゲットしています。一応土日のチケット。先のことはわかりませんが楽しみな舞台です。