エリザベート:花總まり
トート:井上芳雄
フランツ:田代万里生
ルドルフ:古川雄大
ゾフィー:剣幸
ルキーニ:山崎育三郎
少年ルドルフ:松井月杜
2015年6月20日(土)、夜の部を観劇しました。満員御礼。8月分まで全席完売。
希望がどこにあるのかわからなくてあれやこれや思い悩んでいることを、帝劇にいる間は忘れようと決めて、劇場に入りました。
その前に、衣装展とパネル展をやっている日比谷シャンテを歩いていたら、八重洲ブックセンターの前で、小池先生をお見かけしました。目があったかもしれません。
初日プレビューよりさらに安定していました。
トートダンサーの空間の作り方もより躍動感と美しさが増したかなと感じました。
八人のダンサーの方々の衣装や化粧が少しずつ違うのかな。
舞台の照明が落ちている中で、トートダンサーが最初に姿を現して、霊廟の空間を作った後、ルキーニの裁判の場面となり、ハプスブルクの黄昏を生きた人々が登場。
この最初のトートダンサーたちの動く音が、演奏が始まる前の静かな舞台から聴こえるのが好きだったりします。
他にも彼らの踊る時の音が聴こえる場面はあります。
シュっていう感じでしょうか。
マントさばきも動きもみなさんていねいで美しいです。
結婚式の後の舞踏会で、一緒に踊っていたはずのフランツとシシィの相手が、いつの間にかそれぞれ相手がトートダンサーに入れ替わり、
シシィは彼らと踊りながら最後にトートの前に導かれていきます。
舞踏会で宮廷人たちとトートダンサーが入り混じって踊り歌う場面から、トートとシシィだけになる場面の流れと動きが美しいと思いました。
井上さんトートは、眼差しと表情と手の動き、指の動きでより妖しく美しく黄泉の帝王の雰囲気をかもし出されていました。
歌い方も今までの井上さんの舞台の中で一番好きな感じです。
トートって何歳ぐらいの設定なのかな。年齢がないですね。
でもあんまりオジサンでは観客が納得できませんね。
井上さんの実年齢とシシィをひたすら追いかけるトートの雰囲気とがいちばん合う頃なのかもしれません。
舞台の進行と共に、宮廷人たちの鬘に白髪が交じってくる中で、トートとルキーニは歳をとりません。
花ちゃんシシィは、宝塚の時と違って地声で歌っているので、より強く自分を貫いて生き抜こうとする女性像を感じました。
少女時代から晩年までをていねいに演じ分けられています。
声量も宝塚時代よりもずっとあります。
二幕は「私が踊る時」で、一人で歩いてゆけるとトートとはりあう強い感じから、ルドルフの死を経て、「夜のボート」でフランツとすれ違い、耐えがたい孤独の中で、トートを待ちながら生きている場面まで、怒涛のように大きく進んでいきますが、シシィの移ろいがより伝わってきました。
田代さんフランツの老いてからの歌と演技も秀逸。
トートに身内が次々と亡くなっていく悪夢をみせられる時の、あらがえない運命にもてあそばれる孤独の中でも、シシィへの変わらない思い、深い愛情を持ち続けている感じが、よくフランツを体現されています。
剣さんゾフィの存在感はさすがというべきでしょうか。
名前はずっと以前から知っているのに舞台で拝見するのは初めてだと思います。
晩年の「義務を忘れたものは滅びてしまうのよ」と帝国の行く末を案じながら、フランツに思いは届かず旅立っていく、その姿もまた孤独に満ちています。
山崎さんルキーニは、さらにルキーニに同化している感でよくなっていました。
たしかな歌唱力があって、出ずっぱりの舞台のそれぞれの場面で、それぞれの歌い方ができているのだとあらためて思いました。
狂言回しから、トートからナイフを渡された瞬間に狂気の表情へと変貌する、その変化も見逃せません。
トートと絡みついたり、トートのしもべ的な雰囲気が醸し出されているのは、井上さんと山崎さんのもともとの信頼関係からくる雰囲気なんでしょうか。
子ルドは今日も月杜君でした。かわいいし、歌声もきれい。
「もう何日もママの顔を見ていない」
ママにあんなに会いたがっているのに、皇太子であるために会わせてもらえない。
なんだか痛々しくなってしまいます。
幼いルドルフは孤独感に忍び寄ってくるトートに安心して心を開いてしまいます。
この時すでにおもちゃのピストルを手にしていて、大人になってからのトートとの再会を暗示しています。
シシィの気質を受けついだルドルフを、ゾフィとフランツは軍人として育てようとしたことがのちの父子の対立へとつながっていきます。
次回の観劇予定は一カ月後。
その間に、世の中の理不尽さとおかしさを知り過ぎてしまった自分は立ち直って、どこかに希望を見い出して歩き出すことができているでしょうか。
今日の舞台からもらったエネルギーを一カ月がんばれるでしょうか。
そんな思いを胸に帝劇をあとにしました。
どこかに希望を見い出したい。
希望がみえないと前にすすむことはできないでしょう。
シアターガイドを読むと、花總さんは「私だけに」を、希望の歌の側面を感じながら歌われているそうです。
エネルギーもらえたかな。
そんな話はまた次の機会に。
宝塚初演でシシィを演じた花總さんと、東宝初演でルドルフだった井上さんがトートを演じて同じ舞台に立っているというのは、やっぱりなんだか不思議な感じがしました。
絵になるお二人です。
舞台写真は東宝の公式フェイスブックからお借りしました。
ハンガリーの戴冠式の場面。
花總さんシシィとフランツ。
手前は山崎さんルキーニ。

田代さんフランツの執務室。
剣さんゾフィーが宮廷を取り仕切っています。

帝国劇場入口

キャストボード


劇場内巨大パネル


トート:井上芳雄
フランツ:田代万里生
ルドルフ:古川雄大
ゾフィー:剣幸
ルキーニ:山崎育三郎
少年ルドルフ:松井月杜
2015年6月20日(土)、夜の部を観劇しました。満員御礼。8月分まで全席完売。
希望がどこにあるのかわからなくてあれやこれや思い悩んでいることを、帝劇にいる間は忘れようと決めて、劇場に入りました。
その前に、衣装展とパネル展をやっている日比谷シャンテを歩いていたら、八重洲ブックセンターの前で、小池先生をお見かけしました。目があったかもしれません。
初日プレビューよりさらに安定していました。
トートダンサーの空間の作り方もより躍動感と美しさが増したかなと感じました。
八人のダンサーの方々の衣装や化粧が少しずつ違うのかな。
舞台の照明が落ちている中で、トートダンサーが最初に姿を現して、霊廟の空間を作った後、ルキーニの裁判の場面となり、ハプスブルクの黄昏を生きた人々が登場。
この最初のトートダンサーたちの動く音が、演奏が始まる前の静かな舞台から聴こえるのが好きだったりします。
他にも彼らの踊る時の音が聴こえる場面はあります。
シュっていう感じでしょうか。
マントさばきも動きもみなさんていねいで美しいです。
結婚式の後の舞踏会で、一緒に踊っていたはずのフランツとシシィの相手が、いつの間にかそれぞれ相手がトートダンサーに入れ替わり、
シシィは彼らと踊りながら最後にトートの前に導かれていきます。
舞踏会で宮廷人たちとトートダンサーが入り混じって踊り歌う場面から、トートとシシィだけになる場面の流れと動きが美しいと思いました。
井上さんトートは、眼差しと表情と手の動き、指の動きでより妖しく美しく黄泉の帝王の雰囲気をかもし出されていました。
歌い方も今までの井上さんの舞台の中で一番好きな感じです。
トートって何歳ぐらいの設定なのかな。年齢がないですね。
でもあんまりオジサンでは観客が納得できませんね。
井上さんの実年齢とシシィをひたすら追いかけるトートの雰囲気とがいちばん合う頃なのかもしれません。
舞台の進行と共に、宮廷人たちの鬘に白髪が交じってくる中で、トートとルキーニは歳をとりません。
花ちゃんシシィは、宝塚の時と違って地声で歌っているので、より強く自分を貫いて生き抜こうとする女性像を感じました。
少女時代から晩年までをていねいに演じ分けられています。
声量も宝塚時代よりもずっとあります。
二幕は「私が踊る時」で、一人で歩いてゆけるとトートとはりあう強い感じから、ルドルフの死を経て、「夜のボート」でフランツとすれ違い、耐えがたい孤独の中で、トートを待ちながら生きている場面まで、怒涛のように大きく進んでいきますが、シシィの移ろいがより伝わってきました。
田代さんフランツの老いてからの歌と演技も秀逸。
トートに身内が次々と亡くなっていく悪夢をみせられる時の、あらがえない運命にもてあそばれる孤独の中でも、シシィへの変わらない思い、深い愛情を持ち続けている感じが、よくフランツを体現されています。
剣さんゾフィの存在感はさすがというべきでしょうか。
名前はずっと以前から知っているのに舞台で拝見するのは初めてだと思います。
晩年の「義務を忘れたものは滅びてしまうのよ」と帝国の行く末を案じながら、フランツに思いは届かず旅立っていく、その姿もまた孤独に満ちています。
山崎さんルキーニは、さらにルキーニに同化している感でよくなっていました。
たしかな歌唱力があって、出ずっぱりの舞台のそれぞれの場面で、それぞれの歌い方ができているのだとあらためて思いました。
狂言回しから、トートからナイフを渡された瞬間に狂気の表情へと変貌する、その変化も見逃せません。
トートと絡みついたり、トートのしもべ的な雰囲気が醸し出されているのは、井上さんと山崎さんのもともとの信頼関係からくる雰囲気なんでしょうか。
子ルドは今日も月杜君でした。かわいいし、歌声もきれい。
「もう何日もママの顔を見ていない」
ママにあんなに会いたがっているのに、皇太子であるために会わせてもらえない。
なんだか痛々しくなってしまいます。
幼いルドルフは孤独感に忍び寄ってくるトートに安心して心を開いてしまいます。
この時すでにおもちゃのピストルを手にしていて、大人になってからのトートとの再会を暗示しています。
シシィの気質を受けついだルドルフを、ゾフィとフランツは軍人として育てようとしたことがのちの父子の対立へとつながっていきます。
次回の観劇予定は一カ月後。
その間に、世の中の理不尽さとおかしさを知り過ぎてしまった自分は立ち直って、どこかに希望を見い出して歩き出すことができているでしょうか。
今日の舞台からもらったエネルギーを一カ月がんばれるでしょうか。
そんな思いを胸に帝劇をあとにしました。
どこかに希望を見い出したい。
希望がみえないと前にすすむことはできないでしょう。
シアターガイドを読むと、花總さんは「私だけに」を、希望の歌の側面を感じながら歌われているそうです。
エネルギーもらえたかな。
そんな話はまた次の機会に。
宝塚初演でシシィを演じた花總さんと、東宝初演でルドルフだった井上さんがトートを演じて同じ舞台に立っているというのは、やっぱりなんだか不思議な感じがしました。
絵になるお二人です。
舞台写真は東宝の公式フェイスブックからお借りしました。
ハンガリーの戴冠式の場面。
花總さんシシィとフランツ。
手前は山崎さんルキーニ。

田代さんフランツの執務室。
剣さんゾフィーが宮廷を取り仕切っています。

帝国劇場入口

キャストボード


劇場内巨大パネル

