「見捨てられ抑うつとは‐
ボーダーライン患者の基本にある感情は何か。O・F・カンバーグは「口愛的攻撃性」であるといい、J・F・マスターソンは「見捨てられ抑うつ」であるといった。いずれも非常に未熟な攻撃性である。口愛性攻撃とは、「無慈悲な攻撃性」ともいわれ、対象への思い遣りがみられない。つまり自らの攻撃的行動の結果に対する配慮を欠落した攻撃でる。対象に対する思い遣りをもった攻撃、手加減を伴った攻撃とは異なるのである。それだけにかけがえのない対象を破壊してしまう危険を伴った攻撃といってもよい。また、「見捨てられ抑うつ」とは、マスターソンによると、離乳期の幼児が母親に見捨てられたと感じたときに体験する感情で、抑うつ、怒り、恐怖、罪業感、無力感、空しさの七つの感情が混じり合ったものだという。いわば、成人にみるような憎しみとか悲哀といった姿かたちをとるに至っていない未熟な感情体験である。この感情体験が凄まじいまでの行動化を引き起こすといってよい。それだけで最近では、この見捨てられ抑うつはボーダーラインという言葉とともに有名になっている。
問題は、臨床的にどのようなときに起こりやすいかである。一般には、治療者が休暇をとるとか、予定の日に治療(面接)ができなくなったとか、母親が何かの理由で留守をすることになったとかいった分離不安が起こる状況で出現してくることが多い。
またこの種の患者では、治療者がよくなったと思ったり、現実にそれを伝えたりしたときに見捨てられ抑うつが起こりやすいことも注意を要する。例えば、ある女性患者は、妹が家に帰ってきてから自分のいる場所がないと訴えて何かとゴチャゴチャすることが多く、病棟で数カ月にあたって、医師や看護者、さらには家族もまたすべてが気を許せない状況が続いていた。ところがそれも一段落ついて、比較的平穏な状態がみられるようになった。主治医もひと安心といった感じで、教授回診においても、そうした報告をしたのであった。ところが、その日の夕方、患者は行方不明になったのである。翌日になっても家にも帰っていないというころで、警察に捜索願いを出すことになった。ところが、その二日後になって患者一人で帰院したのであった。聞くと、「先生たちが安心しているのをみたら不安になって死にたくなった。それで、ホテルに行って手持ちの睡眠薬を10日分ほど飲んで寝ていたのだ」という。これほどひどい行動化がしばしば起こるわけではないが、普通の面接のなかでも、治療者がよくなったとか元気になったとか、神経症患者やうつ病患者であったら喜ぶような言葉が逆に不安を引き起こすことはよく知られている。
母親の内的世界から抹殺される体験‐
ところが、この見捨てられ抑うつは面接のなかでもしばしば起こることも忘れてはならない。面接中ないしはその後に荒れる状態が非常にしばしば認められるが、多くは何故に患者が荒れるのか治療者自身もよくわかっていないことが多い。若い精神治療家の場合、指導を受ける中ではじめて明らかになるとい うこともしばしばである。
私の指導した次のような症例がある。
患者は5年ほど治療を受けている26歳の独身女性である。数回前に、「先生と結婚したらってこと考えたら、それだけで頭が一杯になった」という患者の言葉があった後、面接が推移するなかで、「先生と結婚したらゲーム」でいろんなパターンを考えた。「先生が忙しくてあまり家に帰れそうになかったら友だいと遊ぼうかとか・・・」という患者に、治療者が「実際に結婚となると、性格が合うとか共通の趣味があるかとか考えねばならないしね」といってしまったのであった。患者は、次回、無断で治療を休んでしまった。そしてその次の回に「面接の後、三回ほどテレクラへ電話して、三人の男性と寝た。そしたら、そういう自分が嫌になって死んじゃえと思って薬を飲んでしまった。途中で怖くなって、先生の顔が浮かんできて30錠で止めたが、数日ベッドで苦しんでいた」と報告した。もちろん、治療者には何故にこれほどの激しい行動化を起こしたのか分からなかった。その次の回「しかし、男の子がいないとダメだし、それはそれでまた振り回されて感情が波風立って、それに耐えられなくなる。そんなことしていたら、やはり病気を治すのが先だと思った」という。さらにその次回には「男女の友情ってないのかしら。・・・映画のラブシーンと思っていたら、現実となってしまうと全然違うから、嫌なものを見てしまったという感じ」と述べている。さらにその次回には「先生に焼きもちを焼くのが特別にある。・・・先生には七人の入院患者さんがいるでしょう。空いた時間に思い出すのは誰だろうって気になる。ふと思い出してほしいのです。自然と入り込ませてほしい。先生のなかで自然に浮かんでくるような。それがあると、安心していられるというか、頼れるというか」となり、その次回に「寝てばかりいるけれども、調子はわるくない。何か夢を見ていたような気がする。先生は現実の人だなあと思えてきた」と述べるに至っている。
混乱を起こして、何とか自分を取り戻したのは六週後である。この間を回復過程とみてその心理的意味を読んでいくと、見捨てられ抑うつの実態がよくわかってくる。
まず混乱の原因となった遣り取りは、患者が「結婚したらゲーム」と述べたことに対して治療者が「結婚するときの現実」でもって反応してしまったことにあるといってよいであろう。そして、引き起こされた混乱は、治療者の内裏を得るべくテレクラに走ったわけであるが、それは混乱を治めるどころか、倍増させてしまった。遂には、自殺を企図ないしは意識を無くしてしまおうとする行為に走らせてしまったのである。ときに経過とともに、彼女は、自分が真に求めているのは「男と女の関係」ではなく、「友情」に似たある種の支えであることに気づくようになる。そして、その友情とは、先生が自分のことを忘れないことだという洞察に到達するが、それは「自分が先生の内的世界で生きる」ことといってよい。
いわば、「見捨てられる」とうことは「対象(母親)の内的世界から抹消される」という体験といってよいであろう。見捨てられ抑うつは、母親が留守をしたり、他のことで忙しかったり、母親が他のことに心を奪われていたり、患者の訴えたり話したりすることによってピントのはずれた返事をしたりしたときにしばしばみられるが、母親に「抹消された」という気持ちになるのは、もっと深いところの感情体験というべきであろう。おそらく、幼いときの「抹消体験」に裏打ちされたものと考えていた方が自然である。
例えば、幼児の心身症や小学生の不登校などで、母親が兄弟の病気や受験のことで心がいっぱいになっていたり、夫や義父母との軋轢に心の余裕を失っていたりといったことがしばしば認められるが、これらの症例にある寂しさや不満は状況をある程度は理解しているといったところがあるし、一方の母親もときにはその子のことを思い出してはいるが故に、こうした神経症水準の反応に留まっている。必ずしも見捨てられ抑うつとはいえないのである。母親の内的世界から抹殺されるという体験にはもっと強烈な契機が含まれているとみなければならない。
ボーダーライン・マザーと鏡像現象-
こうしたことを考えるなかで思い出されるのが(Ⅰ・第三章で紹介した)K子の症例で出てくる鏡像現象である。彼女によると、電車の窓に映った自分の姿を見ていたら窓の中の自分の方に生気が吸い込まれて、現実の自分の中身が空になり、パニックになった。これをきっかけに、彼女は自分の中に《死んだ人々》がたくさんいることを想起し、次第に買って欲しいものを次々と要求できるようになった。ここで死んだ人々とは、母親に欲しいものを要求してしりぞけられた自分のことを指すことは論じるまでもない。
最初、筆者はこの鏡像現象が何を意味するのかよくわからなかった。しかし後で振り返ってみると、かなり重要な意味を秘めたものであること、ことに見捨てられ抑うつをめぐる心性と密接に関連していることを知るに至った。それを説明するために、ここでK子と母親の関係の推移を再び追うことにする。
入院してきたK子は、最初、「母は私の病気を理解してくれない。私は父親似だと思うけど、母のように振る舞うように仕向けられてきた」といい、家に帰ることをかたくなに拒んでいた。そんなある日、母親との同席面接をもったが、そのとき母親はK子の過剰服薬や手首自傷を「病気ではありません。甘えですよ」と断じてはばからなかった。そして、「子育てだって、食べるもの、着るものすべて、私の手作りだった」という母親に、K子は「そうです。うちの親は非の打ちどころがない。だから家を出たくなるのです」というのが精一杯であった。
ところが、治療的変化が起こって家族そろっての生活が可能になって退院した後、入院中に知り合ったH君との付き合いを母親や治療者に反対されているような気持ちを訴えるようになった。そして、他の患者が治療者に甘える詩型をみて、甘えてもよいことを知ると、今度は、母親に対して「ムカッ」とくるようになったと報告し、「中学1年のころから、怒らない、泣かない、笑わない、感情のない子どもだったけど、このごろよく怒るようになった」と述べるまでになった。さらに激しいのは自分だけではなく母親もまた激しいことにも気づくようになった。「すごくお天気屋で、ひどいときは手がつけられなかった」と語るまでになった。
そして、「父と母がTVの前で酒呑みながらいろいろ頼むので前掛けをしてサービスしはじめたら母が私の欠点をあれこれ挙げつらうようなことばかりいうので、そんなら止めるといったら、母が怒りだして大喧嘩になった。それで部屋に帰ってむくれていると、父がはいってきて話を聞いてくれた。母は感情的で、父は冷静なんですよね。母の中に自分をみるような気がする。最近、感情が戻ってきたと思っていたら、ときどき見境をなくして感情的になってしまう」と述べている。さらに、地下鉄のホームで自分を批判する声が聞こえて気分がわるくなったといって、外来治療になってはじめて母親が同伴したが、そのとき「H君の電話がいけなかったのよ」と断じる母親に激しく食ってかかるのが印象的であった。このように母親と烈しくわたり合えるK子の姿は、かつて入院中の母親同席面接のときの「甘えですよ」と断じる母親に何もいえないK子とは別人のようであった。
このように感情を取り戻し、母親ともわたり合えるようになるなかで発生したのが、鏡に映った自分の中に生気が吸い込まれる体験をした先述の鏡像現象であった。この空っぽになった自分の内面の感覚は考えてみるとずっとあったが、これは幼稚園から帰ったとき、母と弟が一緒に庭で遊んでいる光景をみて、全く見知らぬ世界に入ったような気になった思い出と密接に関連するという。その後、「最近、つまらないものを欲しいといい出したら聞かないことがよく出てくるようになった」と報告している。これを境にK子は治療者からの出立の道を歩きだした。
この経過は、母親の激しい感情の突出に圧倒されて、反撃もできないままに従っていたK子が治療のなかで自らの感情を取り戻し、「自分を」取り返していくプロセスを示しているといってよいであろう。そのなかで、筆者は母親がK子に向かって激しい感情を浴びせる場面に二度ほど遭遇した。ひとつは入院中の同席面接で、自傷・自殺行為を「甘えだ」となじった場面であり、もうひとつは地下鉄で幻聴らしき体験をしてパニックとなり付き添ってきたときで、「友だちのせいだ」と断じた場面である。最初の場面では母親の感情に圧倒されて返す言葉もない様子であったが、付き添いの場面では激しく反論するK子がいたのであった。おそらく、子どものころK子が激しい母親の感情に圧倒されずに、大声で「ワッ」と泣くという反応でもできておれば、成人してボーダーライン患者となることもなかったのではないかと思われる。
また、注目すべきは鏡像現象の起源ともいえる、幼稚園のときの母親と弟が庭先で遊んでいるのを目撃してまったく別世界にいる自分を体験したと述べている思い出である。これを理解するのにK子に成育史上に特異な問題のあったことを挙げておく必要があろう。それは次のようなエピソードである。K子には、生後まもなくして死んだ兄がいたが母親の悲しみようなただごとではなかった。その悲しみのなかでできたのがK子であった。そのため、彼女は兄代わりにそだてられたという。中学生になってボーイフレンドを家に連れていくと、母親は喜んで彼らをもてなしたが、それが習慣化していた。つまりK子は母親を喜ばすためにボーイフレンドを家に連れてきていたのであるが、それは母親に兄をあてがう以外の何の意味もなかったのである。彼女は「幸せになると不安になり、嬉しいと終わりを考える。これは兄のことが関係していると思います。母は私の中に兄をみているでしょう。だから、私は母のなかにはいないんですよね」と述べているほどである。
こうした現象に気づいて注意してみていると、症例の指導や学界発表会などでも、治療がある転換期にさしかかると、母親が激しく退行を起こして、死んでやる ただではおかないゾ!と息巻く姿を前にして、子どもが戸惑っている場面が出てくる症例をままみかけるのである。また前節の症例においても、勉強しないとヒステリーをおこしたり髪の毛を引っ張ったりする母親の姿を描いて、ただ脅えていたと患者は述べている。多くはこの場面で誰かに支えられると感情が回復し、自分を取り戻してくるのである。そしてこの種の症例では、この母子間で展開される感情的爆発の背後に、子どもが母親の世界に住めないなんらかの事情があるという前史があるのである。
J・F・マスターソンは、ボーダライン・マザーという概念を提唱してボーダライン理解に貢献した。子どもだけではなく、母親もまたボーダライン構造をもった人格であるということであるが、筆者の経験からみると、これらの母親には、ただ単に感情的でひとりよがりな母親というだけではなく、将来ボーダライン患者になる子どもを自分の世界に住まわすことのできない側面のあることを念頭にいれておくことが大事なような気がしている。
そして、それからの治療的回復が可能となるのは、母親の激しい感情が爆発する場面で誰か仲介的な役割をしてくれる人間がいて、子どもにも反撃するチャンスを与える機会を作ってくれる状況だということである。この症例では、先述したように、母子同席面接のときと母親の付き添いのときの治療者と、TV前での激しい母子間の大喧嘩のときの父親の仲裁とがそれに当たるということができる。」
(牛島定信『心の健康を求めて‐現代家族の病理‐』慶応義塾大学出版、 138~147頁より)
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