「「死」ということについて
教育学専攻Sさん
震災から二年半がたち、世間でもあの地震や津波は「過去」のものとなりつつある。当時自分は家のなかであの地震を体験し、テレビのニュースで津波の様子を見ていた。停電が起こったことや携帯電話がつながらなくなったことも、耳にの凍るCMしか放送しなくなったあの状況も、正直ひとつの「大イベント」でしかあり得ず、記憶は薄くなってきた。簡単に言えば他人事、切実に「自分じゃなくて良かった」と思った。同情しなかったわけではない。ただ本当の痛み悲しみは当事者にしか分からず、それにも関わらず下手な同情をしてしまうことは、被災者にとって失礼なことだ、偽善だと思った。テレビで「絆」だとか、みんなで助け合いましょうとかいうのが、正直大嫌いである。だからボランティアに行くことも考えたが、自分がそうすることをせき止める物があり、結局何もしなかった。極端な話、地震の被害に遭うのも、津波で流されてしまうのも、(原発に限っては人災だが)原発によって生活を脅かされるのも、そこに住んでいたのが悪いのだと主張する人がいてもおかしくないと思った。日本に住む以上天災を免れることはできない。それは歴史が証明している。ただそんな自分はこのままでいいのだろうかという不安もあった。周りの人間、社会はみんなで手を取り合いましょうと言っていることに、不快感を感じる自分や他人事に感じてしまう自分には、もしかしたら大きな欠陥があるのではないかとまで思ってもいた。
そんな中で夏休みの合宿で石巻に行くという話が持ち上がった。自分は是非行きたかった。ボランティアがしたいとかそんな大それた物ではなく、ただ知りたいと、被災者の人々は何を思っているのか感じたいと望んだからだ。そこの人々は災害を肌で感じ、「死」を感じたにもかかわらず、そして日本に住む以上必ずまたやってくると知りながら、何故「ここ」に残っているのか知りたかった。おそらくその土地で生きてきて、その土地が好きだからだという答えが返ってくるのであろう。しかしそのことを生の声で聞いてみたかったのだ。
合宿初日、まずは津波が住宅街を直撃した場所へ行った。そこは広大な住宅街だったが一面見通せるくらい、ほとんどのものが流されてしまっていた。その後、リアス式の海岸沿いを小一時間ほどバスに乗りながら海をしばなく眺めていた。当初自分は被災地に行ったら、おそらくひどくつらい気持ちになるんだろうなと思っていたが、実際そうではなかった。こんなことを言ったら亡くなった方に失礼かもしれないが、石巻の広大な山や自然そして巨大な海を見たとき、なんて美しいのだろう、そう思ってしまった。もちろん家々を飲み込んだ海は非常に怖く、「死にたくない」と感じさせるものがあった。しかしそれ以上に、この海に囲まれて生きていることはとても素敵なことだと強く感じたのだ。畏怖の念とはまさにこのことであると実感した。
二日目に、今回石巻を案内してくださったAさんに、海に連れて行ってもらった。普段海を仕事にしていて、震災を体験し、津波で親戚を一人亡くしている方だった。船を出してくださり。石巻の海で泳がせてくれた。その夜にはAさんに質問する機会が設けられた。そこで自分は当初からしようと決めていた質問をした。「何故ここに残るのか」と。そして石巻の海を見て、肌で感じ体験した率直な感想をAさんに伝えた。その質問に対してAさんは、「生きる術だから」と答えてくれた。「今日何故泳いでもらったかというと、被災のもとをつくったのも海、今日たのしかったそこも同じ海、海がないと生きていけない」「津波が悪いと言えば悪いのだけど、悪いのは自分たち、津波は今だけあったのではなく昔からあった。それをいかさなかった我々が悪い。」そうAさんは言った。
このとき、自分はなんて馬鹿なことを聞いてしまったのだろうかと恥ずかしくなった。Aさんは東京の大学生のためにわざわざ時間を割いてまで自分の土地を案内してくれて、生の震災を教えてくれ、石巻の海を肌で体験させてくれた。それだけでAさんが石巻で生きているのだという根拠として十分であった。身近な人を亡くし、自分も被災者である人の口から「悪いのは自分たち」だというようなことをまさか聞けるとは思ってもみなかった。自分のアイデンティティはその国、その土地の歴史、伝統文化と連続しているのだ。そういう認識は以前からあった。しかし本当にそれを体現している方を目の前にして、その認識は甘かったのだと痛感させられた。
またAさんは、何故このような大学生の企画を手伝ってくれたのかという理由に、「命」の大切さを知ってほしいのだと言っていた。海の美しさと怖さを知っている人から、聞かされた言葉には、今までテレビから聞かされていたものから感じられた偽善のようなものは、当たり前だが感じられなかった。実際Aさんは「絆」という言葉を嫌いだと言っていた。そしてこれらの言葉を聞いて、自分は石巻に来る前の悩みが晴れたような気がした。自分は津波があったとき、素直に「自分じゃなくて良かった」と思った。テレビのニュースで津波を見たときも、「死にたくない」と思った。それで良かったのだと。Aさんの言葉通り、「命」の大切さを知るのは少し自分にとっては難しいかもしれない。やはり命は存在しているからこそ認識でき、命が「存在している」を改めて感じるのは難しい。しかし、「死」を感じることはできるのではないか。「命」の存在を感じることは難しいけれど、「命」が失われていくこと=「死」を感じることは誰にでもできる。「本当に自分じゃなくて良かった」と他人事になったとしてもいい。純粋に「死にたくない」と思うこと、それはAさんの望んでいたことと共通しているのではないのだろうか。
「人生は一回きりだから大切に生きなさい」などとよく言われる。しかし本当に大切に生きられる人間は、たった一つの「命」を感じられる人間ではなく、たった一つの「死」を感じられる人間ではないか。ほんとうに大切な、一度きりの「死」を感じられる人間になりたいなと、それが石巻に行って自分が一番強く感じられたことである。
最終日に、大川小学校というところへ行った。108名の児童の内、74人が命を落とした。そこにはその近辺でなくなった方々の名前や年齢が刻まれた石碑があった。自分はその石碑を観ながら、自然と自分と同い年くらいの年齢をさがしてしまった。「この人たちのぶんまで・・・」などという素晴らしいことを思うことはできなかった。ただその名前を見て、ただ純粋に「死」を感じ、涙を流しそうになった。自然とそう行動し、そう感じていた。」
(慶応義塾大学文学部 3.11石巻復興祈念ゼミ合宿報告書より)
教育学専攻Sさん
震災から二年半がたち、世間でもあの地震や津波は「過去」のものとなりつつある。当時自分は家のなかであの地震を体験し、テレビのニュースで津波の様子を見ていた。停電が起こったことや携帯電話がつながらなくなったことも、耳にの凍るCMしか放送しなくなったあの状況も、正直ひとつの「大イベント」でしかあり得ず、記憶は薄くなってきた。簡単に言えば他人事、切実に「自分じゃなくて良かった」と思った。同情しなかったわけではない。ただ本当の痛み悲しみは当事者にしか分からず、それにも関わらず下手な同情をしてしまうことは、被災者にとって失礼なことだ、偽善だと思った。テレビで「絆」だとか、みんなで助け合いましょうとかいうのが、正直大嫌いである。だからボランティアに行くことも考えたが、自分がそうすることをせき止める物があり、結局何もしなかった。極端な話、地震の被害に遭うのも、津波で流されてしまうのも、(原発に限っては人災だが)原発によって生活を脅かされるのも、そこに住んでいたのが悪いのだと主張する人がいてもおかしくないと思った。日本に住む以上天災を免れることはできない。それは歴史が証明している。ただそんな自分はこのままでいいのだろうかという不安もあった。周りの人間、社会はみんなで手を取り合いましょうと言っていることに、不快感を感じる自分や他人事に感じてしまう自分には、もしかしたら大きな欠陥があるのではないかとまで思ってもいた。
そんな中で夏休みの合宿で石巻に行くという話が持ち上がった。自分は是非行きたかった。ボランティアがしたいとかそんな大それた物ではなく、ただ知りたいと、被災者の人々は何を思っているのか感じたいと望んだからだ。そこの人々は災害を肌で感じ、「死」を感じたにもかかわらず、そして日本に住む以上必ずまたやってくると知りながら、何故「ここ」に残っているのか知りたかった。おそらくその土地で生きてきて、その土地が好きだからだという答えが返ってくるのであろう。しかしそのことを生の声で聞いてみたかったのだ。
合宿初日、まずは津波が住宅街を直撃した場所へ行った。そこは広大な住宅街だったが一面見通せるくらい、ほとんどのものが流されてしまっていた。その後、リアス式の海岸沿いを小一時間ほどバスに乗りながら海をしばなく眺めていた。当初自分は被災地に行ったら、おそらくひどくつらい気持ちになるんだろうなと思っていたが、実際そうではなかった。こんなことを言ったら亡くなった方に失礼かもしれないが、石巻の広大な山や自然そして巨大な海を見たとき、なんて美しいのだろう、そう思ってしまった。もちろん家々を飲み込んだ海は非常に怖く、「死にたくない」と感じさせるものがあった。しかしそれ以上に、この海に囲まれて生きていることはとても素敵なことだと強く感じたのだ。畏怖の念とはまさにこのことであると実感した。
二日目に、今回石巻を案内してくださったAさんに、海に連れて行ってもらった。普段海を仕事にしていて、震災を体験し、津波で親戚を一人亡くしている方だった。船を出してくださり。石巻の海で泳がせてくれた。その夜にはAさんに質問する機会が設けられた。そこで自分は当初からしようと決めていた質問をした。「何故ここに残るのか」と。そして石巻の海を見て、肌で感じ体験した率直な感想をAさんに伝えた。その質問に対してAさんは、「生きる術だから」と答えてくれた。「今日何故泳いでもらったかというと、被災のもとをつくったのも海、今日たのしかったそこも同じ海、海がないと生きていけない」「津波が悪いと言えば悪いのだけど、悪いのは自分たち、津波は今だけあったのではなく昔からあった。それをいかさなかった我々が悪い。」そうAさんは言った。
このとき、自分はなんて馬鹿なことを聞いてしまったのだろうかと恥ずかしくなった。Aさんは東京の大学生のためにわざわざ時間を割いてまで自分の土地を案内してくれて、生の震災を教えてくれ、石巻の海を肌で体験させてくれた。それだけでAさんが石巻で生きているのだという根拠として十分であった。身近な人を亡くし、自分も被災者である人の口から「悪いのは自分たち」だというようなことをまさか聞けるとは思ってもみなかった。自分のアイデンティティはその国、その土地の歴史、伝統文化と連続しているのだ。そういう認識は以前からあった。しかし本当にそれを体現している方を目の前にして、その認識は甘かったのだと痛感させられた。
またAさんは、何故このような大学生の企画を手伝ってくれたのかという理由に、「命」の大切さを知ってほしいのだと言っていた。海の美しさと怖さを知っている人から、聞かされた言葉には、今までテレビから聞かされていたものから感じられた偽善のようなものは、当たり前だが感じられなかった。実際Aさんは「絆」という言葉を嫌いだと言っていた。そしてこれらの言葉を聞いて、自分は石巻に来る前の悩みが晴れたような気がした。自分は津波があったとき、素直に「自分じゃなくて良かった」と思った。テレビのニュースで津波を見たときも、「死にたくない」と思った。それで良かったのだと。Aさんの言葉通り、「命」の大切さを知るのは少し自分にとっては難しいかもしれない。やはり命は存在しているからこそ認識でき、命が「存在している」を改めて感じるのは難しい。しかし、「死」を感じることはできるのではないか。「命」の存在を感じることは難しいけれど、「命」が失われていくこと=「死」を感じることは誰にでもできる。「本当に自分じゃなくて良かった」と他人事になったとしてもいい。純粋に「死にたくない」と思うこと、それはAさんの望んでいたことと共通しているのではないのだろうか。
「人生は一回きりだから大切に生きなさい」などとよく言われる。しかし本当に大切に生きられる人間は、たった一つの「命」を感じられる人間ではなく、たった一つの「死」を感じられる人間ではないか。ほんとうに大切な、一度きりの「死」を感じられる人間になりたいなと、それが石巻に行って自分が一番強く感じられたことである。
最終日に、大川小学校というところへ行った。108名の児童の内、74人が命を落とした。そこにはその近辺でなくなった方々の名前や年齢が刻まれた石碑があった。自分はその石碑を観ながら、自然と自分と同い年くらいの年齢をさがしてしまった。「この人たちのぶんまで・・・」などという素晴らしいことを思うことはできなかった。ただその名前を見て、ただ純粋に「死」を感じ、涙を流しそうになった。自然とそう行動し、そう感じていた。」
(慶応義塾大学文学部 3.11石巻復興祈念ゼミ合宿報告書より)