たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「3.11石巻復興祈念ゼミ合宿」報告書からの引用(10)

2020年03月12日 19時13分46秒 | 東日本大震災
「合宿で得た答え、そして課題 Sさん

「見たままを伝えたら良いんだよ。」

 この言葉は、今回現地を案内してくださったAさんの言葉である。

 私は、祈念ゼミ合宿で初めて被災地を訪ねた。今回の合宿で被災地を訪ねるまで、私は被災地を訪問することに少なからず抵抗があった。それには2つ理由がある。

 1点目は、あるボランティア募集の広告を見て、本来の目的から少しずれている印象を受けたからである。もちろん、ボランティアの企画に参加する人は、「例え微力でも力になれれば」というボランティア精神から参加を決める人が大半だと思う。ところが、最近あまりにも被災地のボランティアツァーや企画が増え、気軽に・お手軽感を推すような宣伝文句が目に付く。多少不謹慎かもしれないが、私はボランティアがある種のブームになってしまっているような印象を受けた。気軽に参加してもらうことが、果たして被災地や大震災の爪痕を見て、知り、命について考えることに繋がるのだろうか・・・と首を傾けてしまう。

 そして2点目は、被災者の方々の反応が分からないという点である。専門的な知識や技術を持たない私達は、お手伝い出来ることが限られている。ましてや観光気分で活動に参加されたら、被災者はどう思うだろうか。これも1点目と同様、参加者の参加理由や企画側の意図に疑問を覚えたことが抵抗を覚えた根底にあると考えられる。さらに、これらの理由には、実際に自分が被災していないという意識も要因であるように感じている。

 こうした思いから、私は今回の合宿にあたってどのような姿勢で臨むべきなのか戸惑っている。また、私用で合宿を途中参加させていただくことになっていたため、Aさんには事前に個別に連絡をとっていたこともあり、より一層「どう参加したら向こうの方に嫌な思いをさせないだろうか」と考えこんでしまった。余談だが、この事前連絡で、Aさんに、「宿泊先までのバスがない場合はタクシー等を利用することも考えている」と伝えた際の会話である。Aさんは私の提案に対し、こう言った。「震災後、私たちも知らない人が町に増えた。だから、いくらタクシーとはいえ何が起こるかわからないから、私が迎えに行くようにする。」この話を受け、私はAさんの心遣いに対して感謝の念と共に、被災地の変化をそこに感じた。人が増えた、ということは必ずしも喜ばしいことではなく、そこに暮らす人々の懸念事項になることもあるのだと実感した。これは、私たち日本人が外国人に対して抱きがちな“よそ者”というイメージに通じる部分があるのかもしれない。

 こうした何気ない会話から、震災の前と後の変化についても少し考えながら私は現地に赴いた。仙台駅から石巻イオンモールに向かい、そこから石巻市内をバスで回った。そこで目にしたのは、至る所に残存する被害の爪痕であった。市内や人々が多く利用するであろう中心部から少し奥まった場所に移動するにつれ、その跡を目にする頻度は高くなった。優先順位の高いところから復旧作業が行われるのは当然のことと思う。しかしながら、まだ修復作業途中の場所に掲げられた「がんばろう東北」の文字が、私の眼には実に寂しく映った。そして、この寂しさが完全に取っ払われるのは何時頃のことになるだろうかと考えた。

 さて、ここで「復興」について少し言及して行きたい。私は前述したように、まだ復興は途中の段階であると思っていた。ところが、民宿のご主人のお話でそれは全くもって甘い考え出会ったことを痛感した。これはどういうことかというと、「復興」が帰路に立たされているということである。彼の話には「これからの」復興という言葉が多く出てきた。この「これから」には「本当の復興」という意味、そして願いが込められていた。震災から2年半以上が経った今だからこそ、考えていかなければならない現状がそこにはあった。

「貰い病」という言葉を耳にしたことがある人はいるだろうか。私は初耳だったのだが、少しこの言葉を聞いてショックを受けた。支援をする人が良かれと思ってしていた支援が、実は被災者の自立心を妨げるきっかけになり得るということだったからである。被災のショックやあまりに変わり果てた地元・故郷の姿に、働く意欲や前向きな気持ちを忘れてしまった人々がいるという現状を指している。勿論、支援の手は必要だろう。しかい、被災者がいつまでも被災者のままではいけないのだ。そこに「これからの」復興の本質があるといえるだろう。「がんばろう東北」のスローガンに見られるように、私たちが「がんばってね東北」から「がんばれ東北」という立場に少しずつシフトしていかなければならないのだ。傍らに寄り添うのではなく、少し離れた所から見守る。これが「これからの」復興に繋がるのではないだろうか。

 また、この合宿を通して、私が現地を訪ねるまでに感じていた何かしらの抵抗がどうなったかについての話にも少し触れておこうと思う。この抵抗に、やはり合宿の随所で少なからず影響を受けた。顕著だったのは、実際に被害を受けた小学校や港近くを訪ね、持っていたカメラのシャッターを切ろうとした時である。その時、一瞬シャッターボタンを押すのを躊躇った。写真を撮ることに満足してしまったら、私も疑問を覚えた側と何ら変わりない。という考えがふっと脳裏に浮かんだのだ。そして、ここで感じたことをどう話せばいよいのかと出発以前にも増して戸惑ってしまった。ところが、有難いことにこの自分勝手な戸惑いは、この合宿中にある一言で払拭される。それが、冒頭のAさんの言葉である。私はこのとてつもなくシンプルな一言に、がーんと頭を打たれた。そして、これが私の求めていた答えであり、課題なのではないかと感じている。

 余計な言葉で飾らず、見たままを伝えること。これは、簡単なようだで一番難しいのかもしれない。しかし、合宿で出会ったこの答えに「がんばれ東北」という思いと共に、私は真正面から向き合っていきたいと思う。」

(慶応義塾大学文学部 3.11石巻復興祈念ゼミ合宿報告書より)

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