「1991年は、一般職の人気の盛り上がりが話題になった年だった。
「総合職」に失望して「一般職」を選んだ女性たちは、それで満足なのだろうか。「男性社会の鋳型に無理やり適応しなくてすむ身の丈に合った仕事」を見つけることができたのだろうか。
都内の大手都市銀行支店で働く三浦弘美(28)は、海外為替を扱う部署で、伝票の処理などを扱う「一般職」だ。(略)彼女のいる支店には、コース別人事制度ができて以来、通算四人の総合職女性が配属され、全員が2-3年で退職していった。
仕事は、三浦たち一般職女性と全く同じだ。最初の総合職は、国立大学の理科系の学部を卒業した女性だった。事務作業が不得意で、作業中にふと考え込んでしまうため仕事が進まない。(略)
共通しているのは、どれも極め付けのブランドを卒業していることだった。性格な計算とマニュアルへの忠実さが要求される「一般職」の仕事になぜ大学のブランドが必要なのか、三浦には理解できなかった。
男性総合職の場合、卒業大学が同じだという先輩社員が、飲みに連れ出して悩みを聞き、職場の引き立て役になるが、彼女たちにはそんな支援の手も差し伸べられない。
(略)しかし、年期の入っている三浦たちの方が、能率や生産性では勝っているはずなのに、給料は後輩の総合職の方がはるかに高いというのだ。
86年、四年制の有名私大を卒業し大手商社に就職した井田(26)は、あえて一般職にあたる「事務職」を選んだ。金融・証券界は、幹部候補社員を「総合職」、補助業務を「一般職」と呼ぶことが多いが、多くの商社では、前者を「一般職」、後者を「事務職」と呼ぶ。
大学の会社説明会にやってきた商社の人事担当者は、井田の卒業年次から初めてコース別人事を導入すると説明し、「これからは女性の時代。一般職でも活躍できる」と力説した。
井田が一般職を選んだのは、総合職に不安があったからだ。総合職コースは、長時間労働ですべてを企業に縛られる、との印象があった。結局は、疲れ果て、使い捨てられるのでは、と不安だった。86年。雇用機会均等法が施工された年である。「会社も変わる時代。一般職でも能力を発揮できるのでは」。そんなときめきも覚えて、一般職に応募したのが失敗だった。
入社時には「総合職」採用の同期の男性と同じ額だった給料が、二年目から差がつき始めた。数年たてば、男性の3分の2になると先輩女性から聞かされ、これは合わないぞ、と思い始めた。仕事は男性社員の補助だったが、たまたま残業の多い部署に当たったせいか、帰宅は毎日終電だ。先輩の一般職女性は、30過ぎのベテランなのに、新入社員の男性の補助業務ばかり。一方、彼女の同期の男性たちは次々と昇進していく。上司の中には、有能で尊敬できる人もいないではなかった。しかし多くは、生活面の自立ができておらず、中には銀行のキャッシュカードすら使ったことがない上司もいた。
「会社の仕事ばかりで、他のことはすべて奥さんに頼んでいるようなんです。会社では、奥さん代わりに、雑用をみんな一般職女性に押しつけてくる。そのために一般職が必要なんじゃないか、と思えるくらいです。」
総合職への転換を申し出た女性の同僚は、上司に露骨に不快な顔をされ、断念した。仕事はいくらやっても補助の域を出ない。面白くなくて当たり前。しかい、責任はないから、楽といえば、楽だ。おもいあまって転職の相談をした井田に、上司は、「この会社に来る人は、女性は男性の補助、という古風な労務慣行が好きで入ってくるんだよ」と言った。
井田の体験談を、大手商社三井物産の一般職女性(23)に取材した際、ぶつけてみた。彼女は、「雑用の多さに嫌気がさすこともあります。でも、やめようか、と思う頃にボーナスがどっさりくるので、ま、もう少しやろうか、という気になって・・・」と明るく答えた。若い男性社員がいる部署では、昼も夜も会社で一緒にいるわけだから結婚の機会もある。結婚すれば仕事をやめられる。いまの職場に、若い男性社員がいないのは計算外だった。しかし、上司は理解がある。コーヒーを一般職に入れさせずに飲みたい人が自分で入れる制度にするなど、職場を改善してくれた。その意味で恵まれていると思う。仕事のあと職場の全員で、お酒を飲みにいったり遊びにいったりするのが彼女の楽しみだ。
「でも、あまり会社からの注文が多いと、一般職の女に仕事への生きがいだの会社への貢献だの要求する方がおかしい、という気になります。一生懸命やったって同じですから、女は」。
「将来」が存在しない一般職の女性は、今を陽気に生きる。明るい絶望とでも言える軽やかさがそこにあった。「一生懸命やっても同じかどうか、やってみなければわからないんじゃないの」という私の問いに、彼女はぽつりと答えた。
「有能で素晴らしい女性先輩もいるんです。その人、子会社で常務になって、新聞にも出たんです。でも、待遇は『事務職』つまり一般職のまま。給料は本社の同年配の総合職男性の半分程度なんですよ」。」
(竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』1994年、朝日新聞社発行、33-38頁より抜粋して引用しています。)
「総合職」に失望して「一般職」を選んだ女性たちは、それで満足なのだろうか。「男性社会の鋳型に無理やり適応しなくてすむ身の丈に合った仕事」を見つけることができたのだろうか。
都内の大手都市銀行支店で働く三浦弘美(28)は、海外為替を扱う部署で、伝票の処理などを扱う「一般職」だ。(略)彼女のいる支店には、コース別人事制度ができて以来、通算四人の総合職女性が配属され、全員が2-3年で退職していった。
仕事は、三浦たち一般職女性と全く同じだ。最初の総合職は、国立大学の理科系の学部を卒業した女性だった。事務作業が不得意で、作業中にふと考え込んでしまうため仕事が進まない。(略)
共通しているのは、どれも極め付けのブランドを卒業していることだった。性格な計算とマニュアルへの忠実さが要求される「一般職」の仕事になぜ大学のブランドが必要なのか、三浦には理解できなかった。
男性総合職の場合、卒業大学が同じだという先輩社員が、飲みに連れ出して悩みを聞き、職場の引き立て役になるが、彼女たちにはそんな支援の手も差し伸べられない。
(略)しかし、年期の入っている三浦たちの方が、能率や生産性では勝っているはずなのに、給料は後輩の総合職の方がはるかに高いというのだ。
86年、四年制の有名私大を卒業し大手商社に就職した井田(26)は、あえて一般職にあたる「事務職」を選んだ。金融・証券界は、幹部候補社員を「総合職」、補助業務を「一般職」と呼ぶことが多いが、多くの商社では、前者を「一般職」、後者を「事務職」と呼ぶ。
大学の会社説明会にやってきた商社の人事担当者は、井田の卒業年次から初めてコース別人事を導入すると説明し、「これからは女性の時代。一般職でも活躍できる」と力説した。
井田が一般職を選んだのは、総合職に不安があったからだ。総合職コースは、長時間労働ですべてを企業に縛られる、との印象があった。結局は、疲れ果て、使い捨てられるのでは、と不安だった。86年。雇用機会均等法が施工された年である。「会社も変わる時代。一般職でも能力を発揮できるのでは」。そんなときめきも覚えて、一般職に応募したのが失敗だった。
入社時には「総合職」採用の同期の男性と同じ額だった給料が、二年目から差がつき始めた。数年たてば、男性の3分の2になると先輩女性から聞かされ、これは合わないぞ、と思い始めた。仕事は男性社員の補助だったが、たまたま残業の多い部署に当たったせいか、帰宅は毎日終電だ。先輩の一般職女性は、30過ぎのベテランなのに、新入社員の男性の補助業務ばかり。一方、彼女の同期の男性たちは次々と昇進していく。上司の中には、有能で尊敬できる人もいないではなかった。しかし多くは、生活面の自立ができておらず、中には銀行のキャッシュカードすら使ったことがない上司もいた。
「会社の仕事ばかりで、他のことはすべて奥さんに頼んでいるようなんです。会社では、奥さん代わりに、雑用をみんな一般職女性に押しつけてくる。そのために一般職が必要なんじゃないか、と思えるくらいです。」
総合職への転換を申し出た女性の同僚は、上司に露骨に不快な顔をされ、断念した。仕事はいくらやっても補助の域を出ない。面白くなくて当たり前。しかい、責任はないから、楽といえば、楽だ。おもいあまって転職の相談をした井田に、上司は、「この会社に来る人は、女性は男性の補助、という古風な労務慣行が好きで入ってくるんだよ」と言った。
井田の体験談を、大手商社三井物産の一般職女性(23)に取材した際、ぶつけてみた。彼女は、「雑用の多さに嫌気がさすこともあります。でも、やめようか、と思う頃にボーナスがどっさりくるので、ま、もう少しやろうか、という気になって・・・」と明るく答えた。若い男性社員がいる部署では、昼も夜も会社で一緒にいるわけだから結婚の機会もある。結婚すれば仕事をやめられる。いまの職場に、若い男性社員がいないのは計算外だった。しかし、上司は理解がある。コーヒーを一般職に入れさせずに飲みたい人が自分で入れる制度にするなど、職場を改善してくれた。その意味で恵まれていると思う。仕事のあと職場の全員で、お酒を飲みにいったり遊びにいったりするのが彼女の楽しみだ。
「でも、あまり会社からの注文が多いと、一般職の女に仕事への生きがいだの会社への貢献だの要求する方がおかしい、という気になります。一生懸命やったって同じですから、女は」。
「将来」が存在しない一般職の女性は、今を陽気に生きる。明るい絶望とでも言える軽やかさがそこにあった。「一生懸命やっても同じかどうか、やってみなければわからないんじゃないの」という私の問いに、彼女はぽつりと答えた。
「有能で素晴らしい女性先輩もいるんです。その人、子会社で常務になって、新聞にも出たんです。でも、待遇は『事務職』つまり一般職のまま。給料は本社の同年配の総合職男性の半分程度なんですよ」。」
(竹信三恵子著『日本株式会社の女たち』1994年、朝日新聞社発行、33-38頁より抜粋して引用しています。)