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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『星の王子さま』

2022年10月29日 13時38分58秒 | 本あれこれ


大切なものは、目にはみえないんだよ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/91f9bb2cea1902a27486b6ccba54fd33


★『星の王子さま』(1943)

『星の王子さま』が執筆された直接の動機については、つぎのようなエピソードが伝えられています。サン=テグジュペリの作品のアメリカ合衆国での出版元の社長、カーチェイス・ヒチコックが、あるとき、同席した作家がレストランの紙のテーブルクロスにさかんに子供の絵を描いているのをみて、そのわけをたずねたところ、「ぼくの心のなかにはこんな男の子が住んでいるのさ」という答えが返ってきました。そこでヒチコックは、その年のクリスマス用に、作者自身の挿し絵入りの子供用の本を書くようにすすめたというのです。サン=テグジュペリはまもなく執筆にとりかかったものの、出版までには一年ほどの歳月を要しました。とくに1942年の夏から集中的に書きはじめられたとされていますが、前年の終わりには突然妻のコンスエロも合衆国にやってきて、執筆中はたえずアントワーヌのそばにいて世話をやきました。この時期は夫婦関係において比較的平穏なひとときだったと言われています。サン=テグジュペリが原隊に復帰するため、船で北アフリカに渡ったのは、『星の王子さま』の出版とほとんど同じころでした。その一年後に姿を消した彼は、この作品の世界的成功には立ち会っていないのです。

★サン=テグジュペリについて、

『星の王子さま』の作者アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリは、1900年、フランスの地方都市リヨンに生まれました。伯爵家の5人兄弟の長男として生まれた彼は、4歳の時に父を亡くすと、母方の親族のもとに身を寄せます。
自然に恵まれたラ・モールやサン=モーリス・ド・レマンスの古い城館で過ごした子ども時代は、サン=テグジュペリにとって幸福で実り多いものでした。彼はこの時代を終生思慕しつづけ、その思い出は尽きることのない想像力の泉となったのです。
20歳の時、サン=テグジュペリは兵役をきっかけに、飛行士としての道を歩き始めます。のちに航空郵便会社に入社した彼は、飛行士として航路を開拓し、華々しく活躍しました。そのかたわら『夜間飛行』『人間の大地』などの名作を発表し、作家としても着実に名声を高めていくのです。

1939年に第二次世界大戦が勃発すると、サン=テグジュペリはアメリカに亡命しました。ドイツの対ソ宣戦布告、日本の真珠湾攻撃と戦火が拡大するまさにそのさなか、彼は『星の王子さま』の執筆にとりかかります。
戦争による荒廃のただ中にあって、人間にとって本当に大切なものは何か、幼くして弟を失い、戦争でまた親友を失うという絶望を味わった彼は、その答えを十分すぎるほど知っていました。
それは、大人の心の奥にも密かに息づいている「内なる子ども」の無心な愛。その純一な愛こそが、苦しみの中で人間を根底から支える力となりうることを、多くの人々に伝えたい。そんな思いをたくして、1943年、『星の王子さま』は出版されたのでした。
この出版とほぼ時を同じくして、サン=テグジュペリは連合軍に参加するためアメリカをあとにします。軍隊に復帰した彼は、熟練した空軍のパイロットとして祖国フランスのため果敢に闘いました。
その翌年の7月31日、フランスのコルシカ島から偵察飛行に出かけた彼は、そのま消息を絶ちます。そしてついに還ることはなかったのです。







 箱根の「サン=テグジュペリ星の王子さまミュージアム」が来年3月末で閉館することを公式ツィッターで発表しました。コロナ禍による客足の減少と建物の老朽化によるとのこと。箱根全体が行き過ぎた感染症対策により魅力がなくなってしまったという声もみかけます。コロナ恐怖を煽り続け、日本全体にすり込んだた専門家たちの罪は大きいと思います。最初の緊急事態宣言は仕方なかったと思いますが、その後は通常モードへと戻していくべきでした。専門家たちは懲りずに今だコロナ恐怖を煽り続け、子どもたちを犠牲にしながら過剰な対策を続けている日本。出生数の減少、死亡者の増加、年金の減額、増税、次世代への莫大なツケを残したコロナ対策により、マジで沈没しそうですわ。

 真彩希帆ちゃんがインスタグラムに星の王子さまミュージアムを訪れた時の写真をアップしてくれています。

https://www.instagram.com/p/CkQHRrRLep3/






ミュージカル『モダン・ミリー』-9月8日シアタークリエ

2022年10月29日 00時15分53秒 | ミュージカル・舞台・映画
『モダン・ミリー』観劇レポート:“夢見ることを恐れない”ヒロインの恋と奮闘
https://www.musicaltheaterjapan.com/entry/2209-6


 このままだと日本は本当に沈没する、わたしに未来も希望もありませんが、そもそも日本自体が終わっている。絶望の日々ですがほんのいっときでも忘れて楽しかった思い出、備忘録。

『モダン・ミリー』、10月2日新歌舞伎座にて無事大千穐楽を迎えました。わたしは、シアタークリエにてなんとか無事に観劇することができました。

笑いはなによりの免疫
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/bc3c6b6da9b54c16364936a1e0e0e48f


2022年9月8日(木)13時~、シアタークリエ

 東宝ナビザーブの先行抽選にエントリーして一列目のほぼ真ん中、キャストのみなさまのお化粧の香りが漂ってくる席。おばさんは、中河内雅貴さんが一幕のソロ歌唱の時視線おくってくれたら、恥ずかしすぎてうつむいてしまったのでした。

 目の前のまぁ様(朝夏まなとさん)、背が高くって、お顔ちいさくって、腰の位置もめちゃめちゃ高くって、とってもキュートでした。真っ赤なドレスとへこたれないヒロイン像は太陽のような笑顔のまぁ様によく似合っていました。机の下でタップダンスしながら机ごと移動していく場面、机の下の足の長いこと長いこと。タイピングをタップダンスで表現するという演出。ハードだったと思いますが楽しめました。いちばん可愛かったのは、みりおん(実咲凛音さん)と廣瀬友祐さんが一目会った途端惹かれ合いデュエットダンスを繰り広げている時、後ろで電話機もったまま固まる場面でしょうか。卓球台の予約をしようとしているところだったかな。ニューヨークにきて就職した誠実第一部保険会社の社長である廣瀬さんを射止めようとしていたまぁ様が見つめ合う二人にクリクリのお目め開いたまま、唖然となっているところ。笑顔がふりきっているみりおんの表情と共に、客席の笑いを大いに誘っていました。まぁ様、昨年暮れの神田沙也加ちゃんの突然の旅立ちはずっと心のどこかにいつもあると思いますが、素敵な笑顔をみせてくれました。沙也加ちゃんの分も『マイ・フェア・レディ』の公演をこなしたあとのまぁ様、出番も衣装替えも多く、タップダンスの連続でハードだったと思います。加藤和樹さんとのコンサートは諦めたので、『王家の紋章』以来で無事に会うことができました。この笑顔がくもることのありませんように・・・。

 みりおん(実咲凛音さん)、廣瀬友祐さんとのデュエットダンス、高い位置のリフトが三回ありました。ハードな振付だったと思いますが振り切った満面の笑顔で美しいポージングを決める体幹、さすがと思いました。歌では高音を綺麗に響かせていました。目の前のみりおん、写真よりも映像よりも色白で何十倍も美人さんでした。

 廣瀬友祐さん、こんなに笑いを誘う役の廣瀬さんは初めてでした。最後みりおんと小野健斗さんが一目で惚れ合った時、客席は別のところで沸いていました。端っこで大きな廣瀬さんがホテルの洗濯物を運ぶボックスに隠れてしまっているのでした。歌声素敵でかっこいい廣瀬さんがお茶目で可愛い一面を披露してくれた舞台。コロナ騒動となってから何本も中止となったのは相当精神的にこたえただろうと思います。二年越しで無事に上演できて本当によかったです。

 いっちゃん(一路真輝さん)、一年前体調不良によりコンサート中止と発表された時は心配しました。お元気そうで安心しました。久しぶりに悪い役のいっちゃん、『ポーの一族』の涼風真世さんのように男役低音ボイスを効かせての怪演。歌うまの安定感は半端ない。客席に拍手を求める場面もありノリノリでとっても楽しそうでした。みりおんを救い出すためにおとりを買って出た保坂知寿さんとのホテル受付での掛け合い、ベテラン同士の、経験によって積み重ねられた確かな力に裏打ちされた場面はこれまた客席が大いに沸きました。

 もう少し続けられるといいかなと思います。

 シャンテでちゃんぽんを食べたあと、カフェ『ARCH』でデザートをいただきました。東京宝塚劇場をみながらの幸せ時間。おそらくほとんどが輸入品、もしくは添加物だらけ、砂上の楼閣ですが、おいしくいただきました。

 







お向かいの東京宝塚劇場では、同じ1920年代が舞台の、全く真逆の作品を上演中でした。 













わたしの苦しみと哀しみが沁み込んだ丸の内仲通り。
三菱一号館美術館のココ・シャネル展にいきたいと気持ちが揺れましたが、このふらふらの体では悔しいですがもう美術館に行くこと叶わず。