課題-
現代は多様化の時代といわれている。現代日本の社会生活の中から多様化と関連する事例を一つ挙げ、その多様化の具体的な状況、要因、影響などについて論じなさい。
現代社会において多様化したといわれる現象のなかで最も顕著なのが女性の生き方であろう。かつて女性のライフサイクルは、結婚し子どもを産み育てる、つまり性役割の形成、遂行、終了という、性役割を軸とした単純モデルで説明することができた。戦前生まれの女性たちは、職業経験を一度ももたずに一生を終わることが多かったし、たとえ職業に就いても、結婚と同時に仕事を辞める「結婚退職型」の人が大半であった。女性のライフサイクルは、この二つ以外にはほとんど考えられなかった。手に職を、企業で働きたいと思っても、社会がそれを許さなかった。成人したら嫁にいくしか、生活の道がなかったのである。
しかし、戦後、子ども数の減少による出産期間の大幅な短縮と平均寿命の伸びによって、既婚女性のライフサイクルは大きく変化している。伝統的な生き方を前提とした明治生まれの女性のライフサイクルのモデルをみると、23.1歳で結婚し、25.5歳で第一子を産んでから38歳までに5人の子を産み続けると、末子が就学するのは44.5歳の時であり、母親の死亡時には末子は成人に達していないこともしばしばであった。出産期間は、明治38年モデルで12.5年に及ぶ。さらに、子どもの養育だけではなく、今日よりはるかに手間のかかる家事や、多くの場合、農業・商業などの家業の家事の負担ものしかかり、「余暇」といったものはほとんどの女性には縁がなかった。
戦後になると、出産期間は、昭和2年モデルで6.4年と明治38年モデルの半分に縮まり、昭和34年モデルではさらに短縮される。昭和45年モデルでは26.4歳で結婚し、30.2歳で末子(第2子)を産み終える。自身の成長期を第Ⅰ期、結婚し子どもを出産、育児に専念し、末子が就学するまでを第Ⅱ期とすれば、戦後は、末子が就学する30歳代中頃から、戦前にはなかった、第Ⅲ期の子育て開放期を持つことになった。しかも、平均寿命は80歳を超えているから、現代の女性には老後という第Ⅳ期が待っている。子育て終了後に人生の約半分が残されることになるのだから、結婚し、子どもを産み育てるという性役割だけでは女性の一生は説明できなくなっているのである。
「主婦」の概念も大きく変わってきた。戦前の「専業主婦」は、大家族の所帯をきりもりし、家事に堪能で、なくてはならない人として他の家族から信頼され期待され、自分自身も主婦であることに生きがいを感じている、そうした主婦像が思い起される。しかし、1960年代以来の高度経済成長に伴う雇用労働者の増加・都市化・核家族化の中で、電化製品の普及により家事労働の負担は大幅に軽減され、「主婦」の仕事はかつてのように、時間とエネルギーを要するものではなくなった。子育て後にパートで働く女性や出産後も働き続ける女性が増えた。在宅勤務の女性もいる。現在では、既婚女性は専業主婦と有職主婦とに二分されるのではなく、その中間に多様な存在形態を生み出して連続的につながっていると考えられる。
このように、第Ⅲ期、さらには第Ⅳ期の出現と職業の重要性が増したことにより、女性の人生は大きく変わったのである。女性の就労機会が増大し、職業との関係を抜きにして、女性の人生を語ることができなくなったことは、女性の晩婚化、非婚化、さらには少子化現象にも反映されている。
結婚はライフスタイルの一つの選択肢となり、恋人がいてもすぐには結婚に結びつかず、「理想的な相手が見つかるまでは結婚しなくてもかまわない」という相手重視の傾向にある。女性にとってかつては「生活の保障の場」であり、「強迫的にするもの」であった結婚が「選択するもの」へと移行し、結婚年齢に幅が出て「結婚適齢期」の規範が大きく崩れているのである。『現代日本人の意識構造〈第5版〉』によれば、93年と98年の結婚についての意識の調査を比較すると、5年間に女性では「必ずしも結婚する必要はない」〈しなくてもよい〉という人が10%も増加し、98年調査では30代以下の若い女性で〈しなくてもよい〉が80%以上にのび、同じ年層の男性と10%以上の隔たりがある。いわゆる「適齢期」と言われる若い女性が、結婚にこだわらない生き方を支持している。
男性と女性との間に思惑の隔たりがあるのは、結婚に対する意識ばかりではない。同調査の子どもをもつことについての意識は、男性は両年とも<もつのが当然>が〈もたなくてよい〉を上回っているが、女性では98年調査で〈もたなくてよい〉が〈もつのが当然〉を逆転した。とくに女性の30代以下では、98年調査において〈もたなくてよい〉が7割前後と同年層の男性を大きく引き離し、子どもをもたないことを肯定的に考えている。「結婚して子どもが生まれても仕事をもち続ける」という「家庭と仕事の両立」意識においても、女性では73年から98年までの25年間で2倍に増え、98年に〈両立〉が51%と初めて多数派になったのに対し、男性では39%と〈育児優先〉の40%に追いつくにとどまっている。男性の〈両立〉支持派、98年の調査がこれまで最高の39%だが、女性がこの率に達したのは88年の調査においてであり、男性の〈両立〉支持派、女性の変化を10年あとから追いかけるかたちとなっていることも、同調査は指摘している。このような男性と女性との間の意識のギャップは、男性には「家事の”手伝い”は引き受けてもよいが、育児は女の仕事」という性別役割分業意識が依然として根強いことを物語っている。
男性には労働市場で働くことを義務づける一方で、女性には結婚し、家事・育児を担うことを要求するという性別役割分業は、高度経済成長期の産業構造の転換に伴う男性のサラリーマン化という流れの中で定着していった。その頃の女性にとっては、都会のサラリーマンと結婚し専業主婦になり、夫婦と子どもの核家族で郊外の団地に住むことが憧れであり、また実際多くの女性が専業主婦となり家庭に入っていったのである。
しかし、1970年代半ばの石油危機以来、既婚女性の雇用者が増加し、平成13年版『女性労働白書』における有配偶者の有職率は、49.5%であり、その多くはパートタイム労働者である。女性の労働力率(15歳以上人口に占める労働力人口の割合)は、49.2%、そのうち約4割をパートタイム労働者が占める。ここでいうパートタイム労働者は、週間就業時間が35時間未満の短時間雇用者をいう。このような就業形態が増加したのは、家事労働の減少により手を入れた自由な時間を使って、主として家計補助のために働きに出たいが、家事の責任は依然として自分にあると考え、短時間の仕事を希望する主婦のニーズと、石油危機以降、雇用調整面で弾力的なパート労働を求める企業のニーズが一致した結果である。さらにパートの場合、共働きでも年収が103万円以下であれば税制上夫の被扶養者、つまり専業主婦とみなされ、配偶者控除と特別配偶者控除が適用され非課税になるという、戦後の世帯主を核とした企業社会におって都合のよい専業主婦優遇策が、主婦のパート労働者化を促進したという指摘がある。
女性の社会進出が進み、男性への経済的依存度は低下している。シングルウーマンのマンション購入、独立、開業がテレビや雑誌で取り上げられることも珍しくなくなった。例えば、男女雇用機会均等法施行の2年後に創刊された雑誌『日経ウーマン』は、2002年11月号で「楽しく、賢く、自分らしい人生を歩く大人の女のひとり暮らし・ひとり時間」という特集を組み、女性がひとりであることを堂々と前面に押し出している。『日経ウーマン』ばかりではない。「”おひとりさま”の楽しい時代がやってきた」(『週刊DIAS』2001年11月19日号)は、経済力のあるシングルの大人の女性が個人消費の強力なマーケットになりつつあることを物語っている。
しかし、結婚をあきらめるほどやりたい仕事に就いている女性は少なく、男性と同程度のやりがいを感じられる専門・管理職に就けるのは、ほんのひと握りの女性にすぎない。多くの高卒や短大卒の女性は、一般職の「女の仕事」にうずくまっている。86年に男女雇用機会均等法が施行されて以来、女性の働き方は少数派のキャリア展開型と多数派のノン・エリート型、いわゆる「OL」とに二極化されている。女性たちは、これまでの会社員としての生活以外の生活領域をミニマムに切り詰める「会社人間」としての男性の働き方を望んではいない。最近の未婚女性の傾向として「新専業主婦志向」が指摘されている。それは「男は仕事と家庭、女は家庭と趣味(もしくは趣味的仕事)」という、単に保守的になったのとは異なる新たな「性別役割分業」意識の登場である。こうした傾向は、仕事の世界では自己実現が期待薄であることを察知した女性たちの精一杯の自己主張であると見ることができるが、基本的生活水準を親に依存していた女性が、結婚したら夫に生活条件を依存することを望んでいるという「パラサイトシングル」の存在も指摘されている。
しかし、平成不況の長期化により、労働の分野では、終身雇用制度、年功賃金制度の見直しが加速化し、「男は外で仕事をし、女が仕事以外の一切を引き受ける」という高度経済成長期にて定着した、男女が依存しあう、「それなりの共生」システムは、はっきりとゆらぎを見ることができる。女性は短い勤続、定型的または補助的な仕事、そして低賃金という〈三位一体〉を構成する要因は変貌しつつある。社会保障制度や福利厚生などを「世帯主=男」を中心とする「家族単位」ではなく、「シングル単位」で考える社会へと変革を迫られつつある。男女両方を「個人」で考えるという発想の転換によって、社会全体の仕組みを見直す時が来ているのである。」
参考文献・引用文献
・『日経ウーマン』2002年11月号
・『週刊DIAS』2001年11月19日号
・『実像リポートシングルウーマン』国際女性学会シングル研究班(有斐閣、1988年)
・『クロワッサン症候群』松原惇子(文春文庫、1991年)
・『女性学への招待(新版)』井上輝子(有斐閣、1997年)
・『女性のデータ・ブック(第3版)』井上輝子・江原由美編(有斐閣、1999年)
・『現代日本人の意識構造(第5版)』NHK放送文化研究所(NHKブックス、2000年)
・『平成13年版女性労働白書-働く女性の実業』厚生労働省雇用均等・児童家庭局編((財)21世紀職業財団、2002年)
・『日本人の生活時間2000』NHK放送文化研究所編(NHK出版、2002年)
・『パラサイトシングルの時代』山田昌弘(筑摩書房、1999年)
・『企業社会と女性労働』熊沢誠(岩波新書、2000年)
・『21世紀労働論』伊田広行(青木書店、1998年)
・『日本労働社会学会年報-第6号』(1995年)
評価はA、講師評は以下でした。
「残念なことに前半の女性のライブサイクルの問題と後半の性別役割分業意識の問題の部分とが、うまく関連づけられておらず、また多様化とも関連づけられておらず、全体としての主張の論点がはっきりしなくなっています。良い問題設定をしたのですが、もう一歩全体の整理をしっかりされるともっと良かったと思います。」
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平成15年に書いたレポート、卒業論文のテーマの下地のようなつもりでまとめました。コロナ騒動で日本はずっと敗戦国のままなのだと気づかされた状況で読み返すと、またいろいろと考えてしまいます。ある学会できいた、GHQは日本の力を弱めるために日本人男性を会社人間に仕立てあげていったという話、コロナ騒動で自分の力で考えることができない日本人の姿があぶりだされたことを考えると、あながち嘘ではないように思えてしまいます。結局、ずっとアメリカの傘下にあるということ?陰謀論のようになってくるのでこれ以上やめておきましょう。ただ、ほんとに多くの日本人が思考停止、残念ながら。