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たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

マスクにはやっぱり効果がない。全世界がそのことを認めた。

2022年10月01日 18時07分50秒 | 気になるニュースあれこれ
アカウント名YouさんのNoteより、

https://note.com/you3_jp/n/n79fe5847da04

「マスクをつけることで、大変もっともらしい効果があるようにみえてしまう。
このことはファウチやCDC、政治家たちにとっては大きなメリットだった。
顔を覆うことは自動的にバリアを張っているのだと連想させる。 
そのバリアに効果がなくてもそれは問題ではない。
もう思考停止して頭が回らなくなってしまっているのだ。
視覚的には非常にもっともらしくみえるので、人々は自動的にマスクには効果があるに違いないと思い込んでしまうのだ。

マスクを普及させたいというのは、パンデミックの不安に対する反射的反応であり、恐怖や不安がある時期にマスクはお守りになるなど、シンボルとしての役割を果たす。
まさにその非合理的で強い願望によって、マスクが人間の感情を操作する非常に効果的な道具になっているのだ。

マスクをしていないのは思いやりのない人、マスクをしている自分は思いやりのある人、といった具合に烙印を押したりレッテルを貼ったりするのだ。
もちろんこのような分類は科学や事実とは何の関係もない。
しかしながらこのような分類は非常にもっともらしく見え、人を分断させることができる。
少なくともこのことが、多くの役人たちがマスクを政治的道具として使う理由の一つなのである。」


「結局、現在では、世界全体としてはマスク信者の残党が多少は残っているものの、マスク社会は終わったのである。国連の総会の様子をみても、ほとんどの出席者がマスクをしていない。

そして、英国のエリザベス女王の葬式でもほぼ誰もマスクをしてない。

中国人のみがマスクを着け続けたが・・

結局は、日本の天皇もマスクを外した。

最近、外国でマスクを自由に外している日本の政治家達は、国内では偽善的にマスクを着けて、そして、マスクの着用を強制して国葬を行った。外国の要人は、尊厳を守るため、日本の国葬には参加しなかった。マスクに意味がないことが分かっているというのにマスクを着けるということは不名誉なことなのだ。要人達は、自分達の国ではいつもはマスクを着けていない。日本でマスクを着ければ、自国の国民に馬鹿にされてしまう。

マスクが役に立っていないということは、世界のコンセンサスとなり、もう疑いの余地はない。

しかしながら、日本では、馬鹿らしいことが分かっていても、いまだに薄汚い同調精神で、理不尽な圧力をかけあいながら、有害なマスクを着けるというこの奇習を続けている。

意味がないと分かっていながら大人達が同調を続けているおかげで、一番弱い小学生等の子供達が犠牲になっている。そして、マスク等の感染対策が子供達に与える弊害は、全て軽視され、無視されている。

最近では、マスク警察が素顔の小学生に殴りかかったそうだ。同調でマスクを着けている人達のおかげで、結局は、小学生のような力の弱いものがターゲットになっているということ、覚えておこう。」



『ジェイン・エア』(上巻)より(4)

2022年10月01日 00時54分21秒 | 本あれこれ
『ジェイン・エア』(上巻)より(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5e7436e2f02ccccedbe4d43e5d8fe9ec






「テンプル先生は、いろいろ学校の移り変わりの中に、その頃まで主任の役をつづけてこられたのであった。私の学び得たものの大部分は、先生の指導のおかげであった。先生の友情と先生との交りは、私にとって、いつも変わらぬ慰めであった。先生は私の母親の代わりにも、家庭教師の代わりにもなって下さった。しかも最後には私のお友だちになって下さった。ちょうどこの時は、先生は結婚して夫君と(牧師で、こういう妻の夫として、ふさわしい程の優秀な人であった)共に遠い州へ移られてしまい、従って私は先生を失ってしまった。

 先生が出立されたその日から、私はもう昨日の私ではなくなった。私にとって、ローウッドをある程度まで温かい家庭のように感じさせていた落ち着いた気持ちや、あらゆる連想は、先生と一緒にことごとく行ってしまった。私は多少でも先生の性質に同化し、また少なからず先生の習慣に同化していた。もっと調和した思想を自分のものとし、もっと程よく抑制された感情と思われるものが私のものとなっていた。私は義務と命令に忠順であることを心に誓っていた。私は落ち着いた気持ちでいた。自分は満足していると信じていた。私は傍(はた)の人の目には-いつも自分の目にさえも-修養のできた、穏和な性格に見えたのであった。

 けれども、運命はネイズミス牧師の姿となって、私とテンプル先生を引き離してしまった。私は、テンプル先生が結婚式が済むとすぐに旅行服に着換えて、駅伝馬車に乗りこんだのを見た。馬車が丘を登って、はるかその頂上で見えなくなるのをじっと私は見送っていた。それから私は自分の部屋へ戻って、先生の結婚式のために半休日となったほとんど全部の時間を孤独のうちに過した。

 私はほとんどその間部屋の中を歩き回っていた。私は、ただ自分が失ったものを惜しみ、どうしたらその償いができるかと考えているものとばかり思っていた。だが、瞑想がおわってから顔をあげ、午後もすぎて夕方になったのに気がつくと、私の心に新しいことが湧きおこった-いわば、私はこの時、変化の過程にあったのだ。私の心が先生から借りていたものを脱ぎすててしまった-というよりも、先生のそばで、私が呼吸していた穏やかな雰囲気が、先生と一緒に持ち去られてしまった。そして私は今、生まれつきの生地のままに取り残され、もとの不安定な気持ちになりはじめているのであった。いわば、支え柱が引っこ抜かれたというよりも、支えらえている力そのものがなくなってしまったのだ。静穏にしているべき気力がなくなったのでなく、静穏にしているべき理由がなくなってしまったのだ。私の世界は、ローウッドで暮らした過去数年間であった。経験といえば、学校の規則や制度に関することであった。私はいま、現実の世界は広びろとしたものであること、そしてそこには、希望と不安、感動と興奮など雑多な変化に富む広い世界があって、その危険のまっただ中へ、真の知識を探ろうとして進んでゆく勇気のある人を待っているのだということが心に浮かんだ。」


(シャーロット・ブロンテ作、遠藤寿子訳『ジェイン・エア』(上巻)、1957年4月26日第1刷発行、1978年12月10日第19刷発行、岩波文庫、136-138頁より)