たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

<再掲>ワクチン接種後10代死亡者について

2022年08月13日 14時57分07秒 | 気になるニュースあれこれ
ワクチン接種後4時間後に亡くなった「鎌倉の13歳」と「すーさん」のご主人は同じロット番号
https://twitter.com/suudayoooooo/status/1544642664087162880?t=Rrh_y_T3QMTOT7BPdB_MKw&s=09&fbclid=IwAR2o-vP_unMKuNfcMVkTeAfzMnPpk2pxNhWzQGyL-MA9BkcK6F9fipdCCTU


<再掲>ワクチン接種後10代死亡者について
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2418a8e02b0ac7cf5e9fba41fdcfda48



「2021/12/6(鎌倉市議会)長嶋議員一般質問(6日分全て)新型コロナウイルス ワクチンについて 」
https://www.youtube.com/watch?v=cUiO_sirCbM



「どうか正しい情報を広く発信し、せめて未来ある若者の命・健康な身体を守ってください。」

2021年12月6日、神奈川県鎌倉市議会で長嶋議員が読み上げた、ワクチン接種後亡くなった10代の子ど
の保護者の声、7分あたりから。


長嶋議員がブログにまとめられています。

「21年12月13日 (月)◆鎌倉市議会12月議会長嶋一般質問/ワクチン接種後10代死亡者について」
http://kamakurasi.air-nifty.com/blog/2021/12/post-6547e5.html


本文より、

「①1/25の質疑を拝見しました。

コロナワクチン接種後死亡した10代の件を取り上げ、警鐘を鳴らしていただきありがとうございます。

私の大切な大切な子どもは、ワクチン接種数時間後、あまりにも突然変わり果てた姿となり、旅立ってしまいました。

あれから何もかも信頼できず、他人の声も入って来ず、悲しく苦しく情けなく、もがき続けながら日々を生きています。

子どもの生きた証を、少しでも意味のあるものにしたい。

ようやくそんな気持ちを持ち初めましたが、どうすればよいのか、何が正しいのかわかりません。

どうか正しい情報を広く発信し、せめて未来ある若者の命・健康な身体を守ってください。

②メールの件を議会でお話しいただいて構いません。

ただ、遺族の心情を共有していただきたいのではありません。

【命】【健康な心身の保持】を最優先に考えた、正しい情報発信と行動を願っております。

「助かるはずの命を助かるはずだった命にしない」ジャパンハート活動の、このフレーズはグサッと心に刺さりました。

今は、子どもの命にかえて、被害を受けなくて良いはずの多くの若者の命と健康な心身を救っていただきたい。ただそれだけです。

③何がなんでも、子どもたちへの接種は中止してください。

これ以上、未来のある子ども達に被害を与えないでください。

本日の質疑も、応援しております。」


『ちひろのひきだし』より-「キエフの町かど」

2022年08月13日 00時33分54秒 | いわさきちひろさん


『いわさきちひろ作品集7』より-「わたしのソビエト紀行」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5035689dfb18f9bcde5058592ad3279e

「モスクワからルーマニア、黒海の方向にむかっておよそ八百キロのところに、千年の歴史をもつ古都キエフがあります。豊かな水をたたえたドニエプル川のほとりにあるこの年は、起伏にとんだ地形に、古い寺院の建物がならび、ポプラやマロニエ、柳などの木々があふれるように繁っているそうです。

 母がキエフを訪れたのは1963年7月のことでした。この年、モスクワで世界婦人大会が開かれ、母はこの会議に参加する日本代表団の一人として約40日間、ソビエト各地をまわる機会にめぐまれたのでした。

 母にとってこの旅行は戦前に「満州」へ渡ったことを別とすれば、はじめての海外旅行でした。会議への出席をはじめ、レセプションや見学など忙しいスケジュールのなかで、どれだけ自由な時間があったかはわかりませんが、会議中の講演者や、その話に熱心に耳をかたむける人びとの姿をスケッチしたり、一人団体行動から離れて言葉も通じない町へのりだすなど、あらゆる機会をとらえて、いくらか自由奔放に、自分の時間をつくりだしていたにちがいありません。

 実際、この旅行のスケッチは相当の数にのぼり、同時に生き生きとして優れた作品が多いのです。やはり、手のかかる夫や息子の面倒をみる必要もなく、出版社の仕事からも解放された喜びが絵のなかにも表れていたのでしょう。

 画家にとってスケッチというのは心の日記のようなものです。その時どきに、何に目をとめ、どのように感じたかが絵のなかからにじみでてくるのです。


 キエフではかなり多くのスケッチがあります。樹木の間からみえる古い建物のたたずまい、板のあるロマンチックな風景、公園のベンチでくつろぎ、いねむりし、語り合う老人たち、街を行く人びと・・・。そして、(この)石の建物に腰をおろした老夫婦。決してハイカラな部類の人びとではないのに大胆な色の服を無造作に着て、水玉のスカーフをしているー。母の目はまず服装の色をとらえ、それから、建物と、この二人のかもしだす雰囲気に心ひかれたのでしょう。

 ソビエトスケッチの数かずをみていると、私には何もかも忘れてスケッチをするのが楽しくてしようがないという母の姿がみえてくるような気がします。もっともホテルに帰れば、私あての絵はがきに「しっかり勉強して下さい」と書くのを忘れなかった母なのですがー。」


8月8日はちひろさんの命日でした。
1974年(昭和49年)8月8日代々木病院で逝去、病名は原発性肝ガン。
脳血栓で倒れた母文江さんよりも早い、55歳での旅立ちでした。




「一番かわいそうなのは子どもだと思うんです。
 どこが犠牲になるかというと一番弱い者が犠牲になる。
 それを思うと胸が痛くて、……。
 いわさきちひろ 1972年」

  (ちひろ美術館公式ツィッターより)