たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『ちひろのひきだし』より-「キエフの町かど」

2022年08月13日 00時33分54秒 | いわさきちひろさん


『いわさきちひろ作品集7』より-「わたしのソビエト紀行」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5035689dfb18f9bcde5058592ad3279e

「モスクワからルーマニア、黒海の方向にむかっておよそ八百キロのところに、千年の歴史をもつ古都キエフがあります。豊かな水をたたえたドニエプル川のほとりにあるこの年は、起伏にとんだ地形に、古い寺院の建物がならび、ポプラやマロニエ、柳などの木々があふれるように繁っているそうです。

 母がキエフを訪れたのは1963年7月のことでした。この年、モスクワで世界婦人大会が開かれ、母はこの会議に参加する日本代表団の一人として約40日間、ソビエト各地をまわる機会にめぐまれたのでした。

 母にとってこの旅行は戦前に「満州」へ渡ったことを別とすれば、はじめての海外旅行でした。会議への出席をはじめ、レセプションや見学など忙しいスケジュールのなかで、どれだけ自由な時間があったかはわかりませんが、会議中の講演者や、その話に熱心に耳をかたむける人びとの姿をスケッチしたり、一人団体行動から離れて言葉も通じない町へのりだすなど、あらゆる機会をとらえて、いくらか自由奔放に、自分の時間をつくりだしていたにちがいありません。

 実際、この旅行のスケッチは相当の数にのぼり、同時に生き生きとして優れた作品が多いのです。やはり、手のかかる夫や息子の面倒をみる必要もなく、出版社の仕事からも解放された喜びが絵のなかにも表れていたのでしょう。

 画家にとってスケッチというのは心の日記のようなものです。その時どきに、何に目をとめ、どのように感じたかが絵のなかからにじみでてくるのです。


 キエフではかなり多くのスケッチがあります。樹木の間からみえる古い建物のたたずまい、板のあるロマンチックな風景、公園のベンチでくつろぎ、いねむりし、語り合う老人たち、街を行く人びと・・・。そして、(この)石の建物に腰をおろした老夫婦。決してハイカラな部類の人びとではないのに大胆な色の服を無造作に着て、水玉のスカーフをしているー。母の目はまず服装の色をとらえ、それから、建物と、この二人のかもしだす雰囲気に心ひかれたのでしょう。

 ソビエトスケッチの数かずをみていると、私には何もかも忘れてスケッチをするのが楽しくてしようがないという母の姿がみえてくるような気がします。もっともホテルに帰れば、私あての絵はがきに「しっかり勉強して下さい」と書くのを忘れなかった母なのですがー。」


8月8日はちひろさんの命日でした。
1974年(昭和49年)8月8日代々木病院で逝去、病名は原発性肝ガン。
脳血栓で倒れた母文江さんよりも早い、55歳での旅立ちでした。




「一番かわいそうなのは子どもだと思うんです。
 どこが犠牲になるかというと一番弱い者が犠牲になる。
 それを思うと胸が痛くて、……。
 いわさきちひろ 1972年」

  (ちひろ美術館公式ツィッターより)

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