たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

シルクロードへの旅-トルファン⇒コルラ

2022年08月05日 16時04分28秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-トルファン-その2
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/b23ed4f45584697beffd6c176ffba7fd

「1991年5月1日(水)

朝食後、バスにてシルクロードをコルラに向かって走る。

途中の休憩所で昼食、ガイドさんが作ってくれた煮込みうどんのようなものがおいしかった。
席さん一家、子供たちのかわいかったこと。
2番目の女の子が、わたしのポシェットのチッチのキーホルダーが気に入った様子だったのでプレゼン
トした。握手してサヨナラ。とてもうれしそう。

午後、再び走り続けて6時半頃コルラ着。
夜食まで少し街を歩く。
外国人が来ることはほとんどないのか、誰もが珍しそうに我々をみていた。
人口24万人、ほとんどが漢族。
26の少数民族が住む。
年間の降雨量300mm。
トルファンよりも都会的。
水が豊かで潤っている。

シルクロードの風景もいろいろと変化があって面白い。
オアシスの緑、はげ山、湿地帯、岩山、草原、菜の花畑、ポプラ並木、放牧された羊、ただの砂地、
休憩所もけっこう目につく。
荒涼としたなにもない所を想像していたけれど、かなり違う。」


席さん一家の子供たち、休憩所で働いている方のお子さんたちだったかな。
ガイドさんは漢民族の男性でした。通訳してくれたと思います。
あとは漢字を紙に書いてやりとりだったかな。漢字は読み方がわからなくても通じ合えたり。

ほんとにいい子たちでした。無事に生き延びているでしょうか、どんな大人になっているでしょうか。
この子供たちたちのことも時折ふと思い出します。
こうしてデジタル化していても、この写真もまだ捨てられそうにありません。





トルファンからコルラへ移動した時の風景だったか定かではありませんが・・・。





コルラの風景だったかもしれません、残念ながらもう記憶をたどり切れません。




シルクロードへの旅-トルファン-その2

2022年08月05日 01時30分42秒 | シルクロードへの旅
シルクロードへの旅-トルファン
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/181682741044385e38a30901a206b248


トルファン(吐魯番)の観光ポイントまとめ!遺跡巡りなど見どころ満載!
https://travel-star.jp/posts/6874より、

-高昌故城-

まず最初にご紹介するトルファンの観光スポットは「高昌故城」。トルファン市から東へ45km進んだ地点にあるこの巨大な遺跡は、紀元前1世紀から13世紀までトルファンの政治、経済の中心となっていた都市跡です。

東西1.6km、南北1.5kmという広大な敷地の中に、大きく分けて宮城、内城、外城の三つの遺跡が並んでいます。かつて玄奘法師が旅したと言われるシルクロードの時代を彷彿とさせる歴史スポットです。

トルファンの絵葉書の表紙になっている高昌故城、




-アスターナ古墳-

中国トルファンで、5世紀頃に作られたと推定されているこの古墳群は、墓室から、多くの漢語文献などが出土しています。

この遺跡では、中国のトルファンで6世紀から7世紀に栄えた漢族が家族ごとに埋葬されています。

カラ・ホージャ古墓群とも呼ばれるこの遺跡は、トルファン市街地から36kmほどの距離にあり、観光する場合は、路線バスかタクシーを使った行き方がおすすめです。

この遺跡からは、「樹下美人図」という有名な壁画も発掘されており、貴重な歴史資料としてニューヨークのMOA美術館に収蔵されています。

歴史好きな方におすすめの観光スポットです。


-交河故城-

トルファン市内から西へ16kmほど離れたところに残された紀元前2世紀に建築された都市遺跡は、中国の世界遺産の一つにも登録されています。

中国の漢の時代から残る都市遺跡は、この交河故城のみで、多くの人々が暮らした遺跡跡には、軍事施設も見ることができます。

中国の壮大な歴史ロマンを感じられる世界遺産「交河故城」は、前漢時代の屯田地として辺境防衛の拠点とされていました。

現存する遺跡は、高さ30mの断崖絶壁の台地にあり、南北1km、東西300mの敷地の中に、たくさんの建物が残されています。遺跡エリアは、日陰もあまりなく非常に暑いですので、日焼け対策や水分補給を忘れないように気をつけて観光してください。



絵葉書になっている「カレーズ」という治水設備、トルファンは水辺が豊かな街だったことを、こうして振り返りながらなんとなく思い出しました。



交河故城で撮った写真か、定かではありませんが・・・。



こちらも場所はもはやどこだったかわかりませんが、オアシスの街の風景、トルファンではなかったかな。