たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

「必要ない場面も・・・」一律のマスク着用に見直しの議論が 犬の散歩や図書館ではマスクを外してもいいって本当?

2022年05月01日 18時49分25秒 | 気になるニュースあれこれ
2022年4月29日TBSNEWSより、


「国立感染症研究所 脇田隆字所長
「熱中症のリスク、あるいはコミュニケーションがとりにくくなるということもありますので、屋外で人との距離が十分にある場合、マスクを外すということが推奨されると思っております」

先週、「ウィズコロナの状態でマスクを外す時期は日本において来ない」と発言し、波紋を広げた日本医師会の中川俊男会長も…

日本医師会 中川俊男会長
「屋外などで十分な距離があるときにはマスクを外す対応を取って頂きたいと思います」

国際医療福祉大学 和田耕治教授
「駅でみんなずらずらっと行くところでも、そんなに話している人がいるわけでもないし、(屋外なら)話している人がマスクをしているのであれば周りの人は、特段、本当は(マスクをする)必要はなかった」

和田教授は「犬の散歩」や、ほとんど会話しない「図書館」、聞くことが中心の「学校の授業」などではマスクをしなくても良いと考えています。特に子どもたちは発達面への影響からできるだけマスクを外せる場面を増やすべきだと話します。」

https://news.yahoo.co.jp/articles/f7b84f782997378e1aa06988508c2cb14eab55f9


 コロナ専門家?たちが、本当はマスクは必要なかったと言い始めました。ほんの少し前まで永遠にマスクを外す時はこないと言ったマスク真理教の医師会会長もコロっと言うことを変えました。潮の流れが変わってきたことによる、保身のための責任逃れでしょうか。無責任で利権しかない老害たち。今さらこんなことを言っても、社会全体がもう修復できない傷を受けてしまいました。特に子どもたちの時間はもう戻りません。間違ったことを言っていたと思うなら正して、特に子どもたちには土下座してあやまるべきです。体育の時間にマスクして亡くなったお子さんもいます。それぐらい社会にとって重大な過ちと思います。

 13年間就労した大会社で、自分の立場が変わると保身のために言うことをコロっと変えたエラいおじさんたちを何人もみましたが、コロナ対策で専門家を名乗るなんとか大学の教授やら医師の欺瞞を、こんなふうに見せつけられるとはなんともはや・・・。

 コロナ対策費用のうち11兆円が使途不明とか、ここで2年間を検証して正すべきは正さないと日本は本当にもう終わりでしょう。テレビも新聞も表立っては取り上げないようなのでもう終わっていますかね。シルバー大国の行く末やいかに・・・。

 

 

『いわさきちひろ作品集7』より-「わたしのソビエト紀行」

2022年05月01日 01時55分24秒 | いわさきちひろさん
『いわさきちひろ作品集7』より-「わたしのソビエト紀行」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/5e09af31006fbdc982698b374ef94ea6



わたしのソビエト紀行(「母と生活」1963年10月号静岡教育出版社)

「-感動の連続、世界婦人大会-

 私がどうしてソビエト旅行ができたかというと、モスクワで行われる世界婦人大会の日本代表団員ということにしてもらったからです。それで6月の24日から29日まで6日間、毎日他の40人の代表団員とともにクレムリンの大会場に通ったのです。

 世界じゅうから113か国約二千人もの代表が出席していました。各国の報告は全部いちおうロシア語に訳されてから、同時通訳で14か国語に二重に訳されて、それぞれの人の耳にレシーバーを通じてはいります。演説をしている人の話がほんの数秒ぐらいずれるだけで耳にはいるのです。

 大会場は美しい民族衣装でゆれうごいていました。

 アフリカの代表たちは、真の民族の独立について話し、東洋の南の人たちは、いまおきている帝国主義の侵略戦争の残虐さについて涙を流してかたりました。そしてアメリカの婦人は、黒人問題について語り、基地から夫を、むすこを呼びもどそうとしているとうったえました。そのつど、拍手をおくり、ためいきをつき涙を流しました。

 イラクの美しい代表が、カセムのたおされたあとのおそろしいファシズム政権について語り、
「私の夫も殺されてしまった。この前のこの大会に出席した人も、いまは死刑の宣告をうけている」
と、黒いも服姿でうったえると、あちこちから嗚咽がきこえ、壇上は、かけ上って、彼女をほうようし、接吻する人の群れでいっぱいになってしまいました。

 資本主義の国はどこの国でもたくさんの問題をもっており、日本の基地の問題、原子力潜水艦の問題の訴えは、世界の共通のこととして、みんなの深い激励にあいました。

 婦人はどこの国でも子どもを愛し、平和を愛し、美しくその国の着物をきていました。フランスのコットン女史がさいごに大会のアッピールをよみあげたときは、みんな感動し、色とりどりのネッカチーフがふられ、色彩の嵐がまきおこったようでした。

 私はうまれてはじめてこういう国際会議を経験し、平和を願う婦人たちのこころはひとつだと、せつに思わずにはいられませんでした。

 日本に帰ってから見た新聞や週刊誌に、日本の発言は会場のふんいきをとげとげしいものにしたとかいてありました。そして私はふと思いました。ああ、これはたいへんなまちがいだ、これはあの会場で取材した記事ではないと・・・。そしてモスクワで個人的におあいした共同の支局長と朝日の支局長が、大会の開会式にテレシコーワさんのきたときだけしか取材できなかったといったことばを思い出しました。日本にかえってから、あの記事はタイムからとって、こしらえたのだといった評論家の人がおりました。

 だいだい40日間のあわただしいソビエト旅行でしたが、黒海の沿岸のヤルタ、ウクライナの古い首都キエフ、そして世界一の透明度のバイカル湖に、私はいろいろの思いを残してきました。緑の美しかったソビエトには、もう秋の風がつめたくふいていることでしょう。」

(画像は「キエフ老人たち」、ちひろ美術館公式ツィッターよりお借りしています。)