すっかり綺麗なお姉さんになった紅さん、テレビで拝見した姿は表情がふんわりとやわらかく、ナチュラルなお化粧は素の美しさがより引き立ちます。
花形である男役を18年間続けた、元トップスターの紅ゆずるさんという紹介だったと思います。
男役であり続けること、トップスターとして舞台に立つ続けることは、精神的にも体力的にもすごく大変なことだったのだろうなとあらためて思いました。ファンの夢をこわさないようにがんばっていてくれたんですね。
宝塚時代、一番過酷だったことは?の質問に、宝塚は一時間半の芝居、休憩をはさんで1時間のショーで一公演、その最後いちばん疲れている時に重い大羽根を背負って大階段を降りることだったとの話。下をみてないですよね?の問いには、階段の幅が狭い、足がはみ出ている、下をみるとこわいのでお客様をみていたほうがいいと。
退団して一番変わったことは?の質問に、男役は男性の仕草を常にやっていたので坐る時すぐ足を開いてしまう。こうしている時も脇を開いてしまう、女性は閉めますよね、そこを矯正中ですとの話。
全身が映るとロングの黒いスカートにみえたのはワイドパンツのようでした。細い、男役の鎧をとるとほんとに細い。
同世代の一路真輝さんの男役時代が今も好きだし、退団後女優として舞台に立つ姿も、コンサートでトートにもエリザベートにもなって歌うのを聴くのも好き、勝手に一緒に年を重ねていっている感、紅さんよりはずっと上ですが男役時代は心に宝物として、これからどんなふうに年を重ねていくのか、楽しみに見届けていきたいです、一緒に年をとっていきたいです。男役でなくなった歌声はより美しく、同じことをなんども書いている気がしますが「ひとかけらの勇気」心に沁みました。いっちゃんにとって「わたしだけに」がライフソングになっているように、さゆみさんにとって「ひとかけらの勇気」がライフソングになっていくことと思います。
紅さん推しのプロがこんなに素敵な記事をあげてくれていて唸りました。
「「ひとかけらの勇気」の歌唱力の点で、新人公演からトップお披露目までの間に彼女は飛躍的に伸びたと感じる。
それは言葉の処理、フレーズの収め方、響きの抜け感にある。
彼女の持ち味は中音域から高音にかけての「鳴りのいい音質」にある。
ストレートボイスのピンと張った混じり気のない綺麗な音色は、スコンと響きが抜けて客席の後方まで飛んでいく。響きの混濁がないため、非常に澄んだ音色だ。新人の折には、言葉の処理や抜け感がなく元気いっぱいの歌という初めて大役を貰った新人にありがちなスタイルに留まったが、流石に9年という歳月を経ての歌には、舞台人としての進化の跡がしっかりと感じられるものになっていたと思う。
ピンと張った歌声と響きを抜いた透明な歌声とのコントラストで彼女はピンパーネルの苦悩と決意を見事に表現している。
ミュージカルにとって一番必要なのは、この演技的歌唱力であって、どんなに素晴らしい歌声で上手く歌っても、そこに演技力がなければ観客の心の中に深く届かない。反対にそれほどの歌声に恵まれなくとも演技的歌唱力さえしっかりしていれば、観客を感動させることが出来る。
新人公演と本公演の彼女の歌唱力を聴き比べれば、その差は歴然としており、さらに彼女が9年の間に多くの努力を積み重ねてきたことがわかる。
彼女は未完の大器だ。
宝塚という枠にさえ収まりきらなかった彼女は、退団後もさらに進化し続けている。
「紅-ing!!」で披露した「ひとかけらの勇気」は在団時とはまた別の女優紅ゆずるの歌声だった。
そこには男役としての気負いはなく、一人の人間として、多くの人達の背中を押したい、という彼女のメッセージが込められているように感じた。
誰でも「ひとかけらの勇気」さえ持てば、一歩を踏み出すことが出来る。
私も頑張るから、みんなも頑張って!
女優という道を踏み出した彼女のファンに対するメッセージが込められた歌声だった。
後ろは振り返らない。
紅ゆずるは、紅ゆずるの道を歩いて行く。
そう思った。
進化し続ける人は強い。
進化し続けれるかどうかは、それまでの自分を捨てれるかどうかにかかっている。
彼女の潔さは、過去を振り返らない。
彼女はスカーレット・ピンパーネルそのものだ。
「ひとかけらの勇気」は、紅ゆずるによく似合う。」
紅ゆずるVocalReview「ひとかけらの勇気」(「スカーレット・ピンパーネル」より)
http://vocal-review.com/2020/02/23/kurenai-r-3/
宝塚メドレーをうたったときのこの紅色の衣装、後ろからみるとスカートになっていました。スターブーツは男役のようにみえましたが、写真でみると重ね合わせが女性仕様になってい
たところがing、進行形でした。
ゆずるちゃんは女優になると繰り返した紅子さん、吉本やない、松竹エンタテインメントの女優やで~、とあえて女優宣言。このコンサートは男役を卒業した覚悟と男役ではなくなった自分の姿をみてほしいという心意気をみせてくれた場だったのかな。
二回目の登場した紅子さん、宝塚時代よりちょっと口が悪くなっていたかも。
大阪では「最後のダンス」を披露した後だったからかな、藤井先生の書いた台本どおりなのかな。トートの名前が出ていました。
「トート閣下って無責任なこと言うわよね!!」と客席に同意を求めながら唐突にトートをdisする紅子さん。「お洗濯もできない、お風呂もわかせないゆずるちゃんを思うと簡単に死ねるわけないのに死ねばいいって簡単に言うなんて」と。いやいや、トート閣下も紅子さんには死ねばいいって言ってないと思うけど、と心の中でたぶん客席はみんな突っ込んでいた楽しいひとときでした。分身キャラ紅子さんのパワー、どこから出てくるのか、紅子さんもさらにパワフルに進化。
疲れ果てていた週末、ぼやぼやしていたら梅田芸術劇場の『ニュージーズ』のチケットは完売してしまいました。一週間しかないから迷っている猶予はありませんでした。戻りをチェック&当日券をねらってみる?地方に住んでいる人はお金と時間と体力のゆるすかぎり、新幹線や飛行機で移動して観劇やコンサートに行っているんですね。わたしも4月か以降も収入があれば新幹線代もチケット代もどうっていうことはないです。やっていけそうなら次は援助職をと思っていた希望は見事に打ち砕かれました。家からの通勤は無理だし、日頃から社会への不満とストレスをふつふつとため込んでいる人達が多く暮らす地域での慣れない業務は今までの経験が、全く無益だとは思いませんがほとんど役に立たない、なにもかも見事に打ち砕かれてしまった感。ごっかんの真っ暗な郷里の夜、自分はダメダメダメの人間失格者にしか思えない夜。心身共に苦しい日々は続いていきます。先のことがわからない不安の中、自己肯定感は下がるばかり。自分は自分でいいんだよ、と背中を押してもらえている感。6月のことがわかりませんが、4月から収入はないのですが6月の新橋演舞場、あの世に行く時後悔ないよう申し込んでみようかな。あの時行っておけばよかったと思いたくない、さすがにディナーショーは行けない、残念ですが。自分は行けないけど地方も満席になるといいな。
花形である男役を18年間続けた、元トップスターの紅ゆずるさんという紹介だったと思います。
男役であり続けること、トップスターとして舞台に立つ続けることは、精神的にも体力的にもすごく大変なことだったのだろうなとあらためて思いました。ファンの夢をこわさないようにがんばっていてくれたんですね。
宝塚時代、一番過酷だったことは?の質問に、宝塚は一時間半の芝居、休憩をはさんで1時間のショーで一公演、その最後いちばん疲れている時に重い大羽根を背負って大階段を降りることだったとの話。下をみてないですよね?の問いには、階段の幅が狭い、足がはみ出ている、下をみるとこわいのでお客様をみていたほうがいいと。
退団して一番変わったことは?の質問に、男役は男性の仕草を常にやっていたので坐る時すぐ足を開いてしまう。こうしている時も脇を開いてしまう、女性は閉めますよね、そこを矯正中ですとの話。
全身が映るとロングの黒いスカートにみえたのはワイドパンツのようでした。細い、男役の鎧をとるとほんとに細い。
同世代の一路真輝さんの男役時代が今も好きだし、退団後女優として舞台に立つ姿も、コンサートでトートにもエリザベートにもなって歌うのを聴くのも好き、勝手に一緒に年を重ねていっている感、紅さんよりはずっと上ですが男役時代は心に宝物として、これからどんなふうに年を重ねていくのか、楽しみに見届けていきたいです、一緒に年をとっていきたいです。男役でなくなった歌声はより美しく、同じことをなんども書いている気がしますが「ひとかけらの勇気」心に沁みました。いっちゃんにとって「わたしだけに」がライフソングになっているように、さゆみさんにとって「ひとかけらの勇気」がライフソングになっていくことと思います。
紅さん推しのプロがこんなに素敵な記事をあげてくれていて唸りました。
「「ひとかけらの勇気」の歌唱力の点で、新人公演からトップお披露目までの間に彼女は飛躍的に伸びたと感じる。
それは言葉の処理、フレーズの収め方、響きの抜け感にある。
彼女の持ち味は中音域から高音にかけての「鳴りのいい音質」にある。
ストレートボイスのピンと張った混じり気のない綺麗な音色は、スコンと響きが抜けて客席の後方まで飛んでいく。響きの混濁がないため、非常に澄んだ音色だ。新人の折には、言葉の処理や抜け感がなく元気いっぱいの歌という初めて大役を貰った新人にありがちなスタイルに留まったが、流石に9年という歳月を経ての歌には、舞台人としての進化の跡がしっかりと感じられるものになっていたと思う。
ピンと張った歌声と響きを抜いた透明な歌声とのコントラストで彼女はピンパーネルの苦悩と決意を見事に表現している。
ミュージカルにとって一番必要なのは、この演技的歌唱力であって、どんなに素晴らしい歌声で上手く歌っても、そこに演技力がなければ観客の心の中に深く届かない。反対にそれほどの歌声に恵まれなくとも演技的歌唱力さえしっかりしていれば、観客を感動させることが出来る。
新人公演と本公演の彼女の歌唱力を聴き比べれば、その差は歴然としており、さらに彼女が9年の間に多くの努力を積み重ねてきたことがわかる。
彼女は未完の大器だ。
宝塚という枠にさえ収まりきらなかった彼女は、退団後もさらに進化し続けている。
「紅-ing!!」で披露した「ひとかけらの勇気」は在団時とはまた別の女優紅ゆずるの歌声だった。
そこには男役としての気負いはなく、一人の人間として、多くの人達の背中を押したい、という彼女のメッセージが込められているように感じた。
誰でも「ひとかけらの勇気」さえ持てば、一歩を踏み出すことが出来る。
私も頑張るから、みんなも頑張って!
女優という道を踏み出した彼女のファンに対するメッセージが込められた歌声だった。
後ろは振り返らない。
紅ゆずるは、紅ゆずるの道を歩いて行く。
そう思った。
進化し続ける人は強い。
進化し続けれるかどうかは、それまでの自分を捨てれるかどうかにかかっている。
彼女の潔さは、過去を振り返らない。
彼女はスカーレット・ピンパーネルそのものだ。
「ひとかけらの勇気」は、紅ゆずるによく似合う。」
紅ゆずるVocalReview「ひとかけらの勇気」(「スカーレット・ピンパーネル」より)
http://vocal-review.com/2020/02/23/kurenai-r-3/
宝塚メドレーをうたったときのこの紅色の衣装、後ろからみるとスカートになっていました。スターブーツは男役のようにみえましたが、写真でみると重ね合わせが女性仕様になってい
たところがing、進行形でした。
ゆずるちゃんは女優になると繰り返した紅子さん、吉本やない、松竹エンタテインメントの女優やで~、とあえて女優宣言。このコンサートは男役を卒業した覚悟と男役ではなくなった自分の姿をみてほしいという心意気をみせてくれた場だったのかな。
二回目の登場した紅子さん、宝塚時代よりちょっと口が悪くなっていたかも。
大阪では「最後のダンス」を披露した後だったからかな、藤井先生の書いた台本どおりなのかな。トートの名前が出ていました。
「トート閣下って無責任なこと言うわよね!!」と客席に同意を求めながら唐突にトートをdisする紅子さん。「お洗濯もできない、お風呂もわかせないゆずるちゃんを思うと簡単に死ねるわけないのに死ねばいいって簡単に言うなんて」と。いやいや、トート閣下も紅子さんには死ねばいいって言ってないと思うけど、と心の中でたぶん客席はみんな突っ込んでいた楽しいひとときでした。分身キャラ紅子さんのパワー、どこから出てくるのか、紅子さんもさらにパワフルに進化。
疲れ果てていた週末、ぼやぼやしていたら梅田芸術劇場の『ニュージーズ』のチケットは完売してしまいました。一週間しかないから迷っている猶予はありませんでした。戻りをチェック&当日券をねらってみる?地方に住んでいる人はお金と時間と体力のゆるすかぎり、新幹線や飛行機で移動して観劇やコンサートに行っているんですね。わたしも4月か以降も収入があれば新幹線代もチケット代もどうっていうことはないです。やっていけそうなら次は援助職をと思っていた希望は見事に打ち砕かれました。家からの通勤は無理だし、日頃から社会への不満とストレスをふつふつとため込んでいる人達が多く暮らす地域での慣れない業務は今までの経験が、全く無益だとは思いませんがほとんど役に立たない、なにもかも見事に打ち砕かれてしまった感。ごっかんの真っ暗な郷里の夜、自分はダメダメダメの人間失格者にしか思えない夜。心身共に苦しい日々は続いていきます。先のことがわからない不安の中、自己肯定感は下がるばかり。自分は自分でいいんだよ、と背中を押してもらえている感。6月のことがわかりませんが、4月から収入はないのですが6月の新橋演舞場、あの世に行く時後悔ないよう申し込んでみようかな。あの時行っておけばよかったと思いたくない、さすがにディナーショーは行けない、残念ですが。自分は行けないけど地方も満席になるといいな。