たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

またやせてしまいました

2020年02月03日 22時47分54秒 | 日記
 立春をすぎてからの極寒、いちばん寒い季節、同時に花粉は飛び始めているという、いちばん体にこたえる季節の変わり目、8年前の今頃母はとつぜんAnotherWorldへと旅立ってしまいました。旅立つとき、病院の外の医者がみていないところだと大変なんだということを知りました。急性心筋梗塞と特定するため警察によって総合病院へ運ばれ全身スキャンとなりました。わたしは離れていたので全部弟が対応。頬に傷跡があり、どこかに打ちつけたのでしょうか。可哀想でしたが家を離れたくない、人に迷惑をかけたくないと母の中でがんばった人生の最期は幸せなものだったと思いたいです。父も母もこの世にいなくなったわたしはもうどこにいってもいい、母の旅立ちと共に天涯孤独になりましたが自由といえば自由。ここは自分の場所ではない、ここにいることはできないのでこつこつと荷物を減らして利便性の高いところへと旅立っていこうと思います。

 車にのらない人が暮らすには過酷すぎる場所。無人駅でもいいのでせめて駅から歩ける距離でここまで車があぶなくない所に家があったら、家賃払わず広い部屋に暮らすことができたかもしれませんが残念ながらそういうわけにはいかない人生。昨日は2カ月ぶりに美容院を予約していたので土曜日の夕方がんばって自転車でお風呂屋さんにいきました。そしてこわごわ体重計に乗ってみたら服をきていても42キロありませんでした。2キロはやせてしまったでしょうか。いちばんやせてしまったときは38キロぐらいだったのでそれよりはマシですが帰省したばかりのとき少し増えたような気がするので哀しいですが慣れない暮らしに擦り減ってしまいました。業務中、お手洗いに行きながらふとなぜ自分はここにいるんだろう、ここでいったい何をしているのだろという想いがよぎりました。慣れない暮らしの中でやるにはきつすぎる業務でした。なんとかここまできていますが、田舎生活、体にこたえます。のこり2カ月をきりましたが最後までもつかなあと不安です。自転車で片道30分余りのお風呂屋さんの往復もすごく危ないのでずっと緊張していて肩あがりっぱなし、だったら行かない方がいいんじゃないかという感じですが一週間の毒を洗い流したいし、でも車でないかぎりきついわけで、公共交通機関だけで暮らせるところに戻らないとこわれてしまいそうです。

 また社会から孤立してしまうことをおもうとつらい、ただメシ食い、いやメシ代全部自分で出している、お弁当やお惣菜買って世話になっていないしまた失業者になっても世話になることはないからただメシ食いにはならないか、3月31日で業務終了して4月1日に即旅立つことは無理、戻ることはない、戻る場所はなくなる、母がいなくなった時からここは戻る場所ではなくなっていた、だから落ち着いて準備する時間は必要なれど無収入はつらい、なれど車にのらないかぎり居場所はない、ここでみつけたいという気持ちはもうない、つらいところですがその前に今週、有給休暇はあと4日、金曜日休めそうだったら休もうかな、そしたら日曜日早くても体が楽、月曜日出勤しても火曜日また休み。その前に明日電話当番か、予定表みると人がいないのでいずれにしても電話が大変。朝からへんな被害者意識丸出しの電話ばっかりですっかりいやになってしまいました、自分も過去にそうしてきたことがあったかもしれません。別に金払わされているわけではないのでこれからは気をつけるようにしましょう。こんな電話ばっかりで吐きそう、お給料もらうためと今さらですが割り切るしかないです、のこり2カ月をきりましたがゴールまでの道のりはながくけわしいように思えます。明日のことは明日のわたしにしかわからない。一日、一日でなんとか無事に生き延びていくべしだよ、自分。

 宙組、雪組、月組、まだまだかけていないミュージカル観劇日記を書きたいのに今日も長々と弱音ブログとなってしまいました。きつくて涙がにじむ夜、遠く離れてしまった日比谷のイルミネーションが恋しい・・・。