65オヤジのスタイルブック

赤穂浪士討ち入り・綱吉の御裁き忠臣蔵の誕生

年を重ねると不思議と歴史に興味を持つようになりました。若い頃は観なかった大河ドラマも欠かさず観るようになり、歴史検証番組に目が行くようになります。そんな歴史関連番組で興味をそそるのがNHKのBSプレミアムの「英雄たちの選択」です。

先日は、大晦日が近づくと必ず話題とにのぼる赤穂浪士の討ち入りがテーマでした。この討ち入り吉良上野介が悪役となり、主君の仇を討った赤穂浪士がヒーローという図式。

実はこの図式の裏には、時の将軍、徳川綱吉の裁きが大きく関わっていると言う。綱吉は生類憐みの令であまり評判の良くない将軍だが、忠孝、礼儀を重んじた将軍で、赤穂の主君、浅野が朝廷への儀式の途中で刃傷沙汰を起こしたために切腹を命じました。その点は浅野も素直に応じているのですから、後に赤穂浪士が討ち入りに入ったことは、本来なら打ち首に処せられても不思議ではないそうです。

ところが綱吉は、主君に対する忠誠心を思い赤穂志士に切腹を命じます。このことが逆に主君の仇をとった赤穂浪士が庶民のヒーロとなり、忠臣蔵と言う劇が生まれた言ったのです。

もし綱吉が、罪人として裁き打ち首にしていたら忠臣蔵は生まれなっかわけです。世の中は時に史実を歪曲したり誇張することは東西を問わずよく行われています。そう思うと忠臣蔵は日本のヒーロードラマの原点なのかもしれません。そんな優れた脚本をもった忠臣蔵だからこそ、脈々と流れる名ドラマと言えるでしょう。


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