人生論:「生涯発展途上」を目指して

消化器内科医になった起業家・弁護士・会計士、岡本武士による人生論や新たな視点の提供、身の回りの出来事に対するコメント等。

水を出た魚

2004-07-31 01:07:28 | 出来事
私は2歳のときから水泳を習っていました。7歳のときから競泳チームで競い、高校3年まで年中無休で泳いでいました。周りの大人には「魚」などと言われたりしていたのですが、水泳は好きだったし、競っていることをプライドに思っていたので悪い気はしませんでした。

私には水泳しかありませんでした。だからというわけではないのですが、速くなりたい、オリンピックに行きたいとずっと思っていました。肥満児というハンディはありましたが、練習量で脂肪もなんとか落ち、ある程度成長はしたのですがオリンピックどころか全国大会に出ることもありませんでした。

中学のときから、もうオリンピックには行けないだろうということがわかっていました。人間10年も同じスポーツを週6回やっていれば大体自分の限界がわかるものです。これは諦めるという問題ではなく、なんとなく悟ってしまうのです。その後は、次第に水泳が辛いだけになり、弟にも抜かれ、結局高校卒業する前に水泳チームを辞め、高校での水泳部だけに絞りました。(そう、それまでは2チーム分の練習をしてました。最大で一日に8時間・合計25キロぐらい!)

そのかわり、色んなことをしました。世界がいきなり一から十にも百にもなった気がしました。やってみたかったことをすべてやってみました。空手、柔道、剣道。声楽、演劇、サックス、ギター、作曲。彼女もできました。自分でいうのも変ですが、いずれも上達が速かったように思えます。新たな趣味の数々が楽しく思えたからでしょうか。

逆にいうとそれまでは、それだけ水の中での時間が長かったのです。そして、水泳と水泳に対する想いが残した穴を埋めるには、それだけの活動が必要だったのかも知れません。水泳のない自分には何もないかもしれない、そんな恐怖感があったのかも知れません。

水泳を15年続ける中で学んだことは数知れませんが、量でいえば水を出てから学んだことはそれ以上に多かったと思います。どっちがいいとは言えませんが、ひとつのことで100%になるより3つのことで95%になる方が楽かも知れません。それほど最後の数ミリが大変なのです。

今の私には、批判されるかも知れませんが3つのことで95%を目指すことの方が大事です。何かを極めたいと思ったらまず幅広く世界を知っておく必要があると思います。数十年後、結局何かを極めているのは色んなことを学ぼうと回り道をした人なのではないかな、と思います。「急がば回れ」ということでしょうか。

ただ、その最後の5%を追い続けた人も心から尊敬します。その道の険しさは、歩きかけた私にも充分理解できたからです。「負けるが勝ち」とは言っても、私は水の中では負けたことを否定できません。しかし、砂を掴まずに立ち上がったつもりはありません。

人生はまだ長く、陸空海を含めた多種目の総合競技です。色んな意味で「勝負はこれから」、ですね。

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