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核汚染日本の再生-聖なる使者からの啓示

日本の核汚染に関してお知らせしている本シリーズですが、今回はこれまでの経験的・分析的アプローチから趣向を変え、宗教的なお話となります。こういうテーマはそもそも苦手、受け付けないという方は、読み飛ばしていただいて結構です。私と同じクリスチャン、もしくは他宗教の信者、人知を超えた偉大な存在を信じる方ならば、ぜひ一読してご自身と今を振り返る参考にしていただければ幸いです。


■避難者J青年に示された啓示

核汚染を避けフィリピンに避難する際に、一人の青年(20代前半)を連れてきたことは以前の記事で触れたかと思います。被曝治療を終了した彼(J青年)は、現地教会組織のミッションに参加し、その一環としてフィリピンでも最高峰の山岳地帯を登山することになります。

目的地において神に祈りを捧げたあと、参加者全員に指導者への自由な質問が許されます。この時、導師には聖ルカをはじめ聖なる魂が宿り、神の啓示として答えが与えられると信じられています。この時とばかり、J青年はこれから日本がどうなってしまうのかと質問したそうです。

導師(聖なる魂)の答えの一つは以下のとおり

 「ある国は沈むことになる。」

そして、聖書の以下の箇所をよく読むようにとの返答だったそうです。

 イザヤ書34章9節から14節

次にこの箇所を読んでみましょう。


■イザヤ書:奢(おご)る人間と神の怒り

クリスチャンの方なら「イザヤ書」という言葉を聞いただけで、終末預言のイメージを思い浮かべることと思います。その預言全体の主旨とは、神の御心を忘れ、奢り高ぶる人間に与えられるだろう、神の怒りの現れと解釈するのが一般的なようです。

私の拙いな説明はここまでとして、以下に同書の該当箇所を列記します(共同約。英語とラテン語訳も併記します)。そこに何を読み取るのかは、まさに皆様の心の問題であると思います。

  34章09節
  エドムの涸れ谷は変わってピッチとなり
  その土は硫黄となる。その土地はピッチとなって燃え上がる。
  And the streams thereof shall be turned into pitch,
  and the ground thereof into brimstone:
  and the land thereof shall become burning pitch.
  ET CONVERTENTUR TORRENTES EIUS IN PICEM
  ET HUMUS EIUS IN SULPHUR
  ET ERIT TERRA EIUS IN PICEM ARDENTEM

  34章10節
  夜も昼も消えることなく
  とこしえに、煙を立ち昇らせ
  代々にわたって廃虚となり
  永遠にそこを通る人はない。
  Night and day it shall not be quenched,
  the smoke thereof shall go up for ever:
  from generation to generation it shall lie waste,
  none shall pass through it for ever and ever.
  NOCTE ET DIE NON EXTINGUETUR
  IN SEMPITERNUM ASCENDET FUMUS EIUS
  A GENERATIONE IN GENERATIONEM DESOLABITUR
  IN SAECULUM SAECULORUM NON ERIT TRANSIENS PER EAM

  34章11節
  ふくろうと山あらしがその土地を奪い
  みみずくと烏がそこに住む。主はその上に混乱を測り縄として張り
  空虚を錘として下げられる。
  The bittern and ericius shall possess it:
  and the ibis and the raven shall dwell in it:
  and a line shall be stretched out upon it,
  to bring it to nothing, and a plummet, unto desolation.
  ET POSSIDEBUNT ILLAM ONOCROTALUS
  ET ERICIUS ET IBIS ET CORVUS HABITABUNT IN EA
  ET EXTENDETUR SUPER EAM MENSURA UT REDIGATUR AD NIHILUM
  ET PERPENDICULUM IN DESOLATIONEM

  34章12節
  その土地の貴族たちには
  もはや、王国と名付くべきものはなく
  高官たちもすべて無に帰する。
  The nobles thereof shall not be there:
  they shall call rather upon the king,
  and all the princes thereof shall be nothing.
  NOBILES EIUS NON ERUNT
  IBI REGEM POTIUS INVOCABUNT
  ET OMNES PRINCIPES EIUS ERUNT IN NIHILUM

  34章13節
  その城郭は茨が覆い
  その砦にはいらくさとあざみが生え
  山犬が住み (註:'山犬'とあるが原義は'龍')
  駝鳥の宿るところとなる。
  And thorns and nettles shall grow up in its houses,
  and the thistle in the fortresses thereof:
  and it shall be the habitation of dragons,
  and the pasture of ostriches.
  ET ORIENTUR IN DOMIBUS EIUS SPINAE
  ET URTICAE ET PALIURUS IN MUNITIONIBUS EIUS
  ET ERIT CUBILE DRACONUM
  ET PASCUA STRUTIONUM

  34章14節
  荒野の獣はジャッカルに出会い
  山羊の魔神はその友を呼び
  夜の魔女は、そこに休息を求め
  休む所を見つける。
  And demons and monsters shall meet,
  and the hairy ones shall cry out one to another,
  there hath the lamia lain down,
  and found rest for herself.
  ET OCCURRENT DAEMONIA ONOCENTAURIS
  ET PILOSUS CLAMABIT ALTER AD ALTERUM
  IBI CUBAVIT LAMIA
  ET INVENIT SIBI REQUIEM




モーセとシナイ山、日本の山岳信仰もそうだが、山は神との出会いの場所なのか


* * *


終末預言だけを読むと不幸な最後ばかりを想像しがちです。しかし、神はいつも皆さんの自身の気づきと回心をお待ちになっておられます。神は外にではなく、皆さんの心の中に居られます。心の中の神、すなわち皆さんご自身が、不幸に見えるこの世を喜びの世界に変える原動力そのものなのです。


ET SI QUIS AUDIERIT VERBA MEA ET NON CUSTODIERIT EGO NON IUDICO EUM NON ENIM VENI UT IUDICEM MUNDUM SED UT SALVIFICEM MUNDUM QUI SPERNIT ME ET NON ACCIPIT VERBA MEA HABET QUI IUDICET EUM SERMO QUEM LOCUTUS SUM ILLE IUDICABIT EUM IN NOVISSIMO DIE
わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。 わたしを拒み、わたしの言葉を受け入れない者に対しては、裁くものがある。わたしの語った言葉が、終わりの日にその者を裁く。
(ヨハネの福音書 12章47,48節)


南の島フィリピンより
管理者 日月土
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