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JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(3)

■アントヌッチ証言の背景

前回掲載した「アントヌッチ証言(闇夜に蠢くもの(2))」について検証します。まず検証に当たって心構えとして、この証言が掲載されたメディアはの特性は何かをよく理解しておくことです。スターズ・アンド・ストライプ紙は事実上、世界中に展開する米軍の機関紙・プロパガンダ紙であることを理解しておかなければなりません。ですから基本的に米軍の存在を否定したりするような記事を掲載するはずがありません。もちろん、全体の体制に影響がない範囲においての批評・批判は許されているでしょう。何といっても自由の国の新聞ですから。

次に、証言者のアントヌッチ氏がどのような立場の軍人であったかにも注意が必要です。証言[3]および「御巣鷹の謎を追う」によると、当時は中尉(退役時は大尉)で輸送機の航空機関士だったとのことです。アントヌッチ氏には大変失礼ですが、階級は中尉という下級仕官、任務は米空軍の中でも地位が低いとされる輸送部隊に所属しており、米軍人社会の中では、どちらかといえば取るに足らない人物として扱われる立場です。そのような下っ端が何を言っても、米軍全体に何ら影響がない、「何か勘違いしているのだろう」と片付けられても仕方がない立場の人なのです。これは、証言の掲載によって、米軍にとって不利な批判が内外から生じても、逃げ切れるだけの保険を初めからかけていたと読むことができます。


■横田管制レーダーは何を捉えたのか?

証言[7]でアントヌッチ氏は「管制では123便がレーダーから消えた場所をよく分かっていなかった」と語っていますが、これはアントヌッチ氏が状況をそう推測したのだと言えばそれまでの話ですが、何故か、そのよく分からない場所にC130機は進路を取り、結果的に事故現場を目視するに至ります。それも、自衛隊など他の航空機に先駆けてです。横田管制のレーダーは当時、国内最高精度を誇っていたレーダーです。千葉県にある自衛隊の峯岡山レーダーが、3.8kmの誤差で墜落地点を割り出していたのに、横田管制レーダーがよく分からなかったなどという説明では、あまりに間の抜けた回答とは言えないでしょうか?

常識的に考えれば、横田管制レーダーは当初からかなり正確な位置を掴んでおり、現場確認のためにC130輸送機を回したのだと考えられます。そして、このレーダーを共用していた自衛隊はどこまでこの情報を掴んでいたのか?証言の中からはその状況を図りかねますが、この時に情報を得ていたのならば、何か別の意図で救助を遅らせた、もしも、米軍から情報提供されていなかったのならば、米空軍の意図は何かが改めて疑われます。そして、第3の仮定として、米空軍と自衛隊が何か示し合わせて行動したという状況すらも考えられるのです。


■なぜ「海兵隊」なのか?

証言[8]で「厚木基地から、米海兵隊が救難に向かう準備をしてることを聞いた」と、海兵隊のヘリコプターが最初に救助出動の体制に入ったとの報告があります。これについては米田氏が事実誤認の訂正2で「厚木基地に海兵隊は常駐していない。米陸軍座間基地のUH-1ヘリが正しい」としていますが、どちらにせよ、これはかなりおかしな話なのです。国際軍事評論家B氏によると、「海兵隊は確かに沖縄に常駐しているが、常時10人くらいは御殿場に詰めている。それが厚木基地経由で飛んできてもおかしくない。しかし、空軍が管制し、最初に情報を得ているのだから、事故現場に最も近い、空軍管轄の横田基地から常設の救難部隊を派遣するはずだ。」と、米空軍が初めに救難活動へ向かわなかったことに疑問を呈しています。

また、これは資料を確認できていないのですが、1990年頃の「航空情報」誌に、横田基地の救難部隊の隊長の手記が掲載され、そこで、「ヘリで現場に向かい降下を開始したが、命令により引き返した」と、アントヌッチ氏の証言や米田氏の調査とは異なる証言が載っていたのを覚えています。

(図:米空軍の H-43B 救難ヘリ。古い設計だが、1985年当時、まだ横田基地の救難救助部隊で数機使われていたとの証言もある)

「航空情報」誌の記事はとりあえず不問としても(資料が確認できたらご報告します)、米空軍の救助活動に全く触れられていないのは確かに不思議です。米軍の中にも明らかに縦割りのテリトリー意識が存在し、民間人の救助が名誉ある行為と考えるなら、米空軍が海軍系列の海兵隊を差し置いて行動するのが普通の考えです。なお、情報収集活動を専門とする座間基地の米陸軍部隊が、本格的な装備を持って救難活動に向かえたかどうかは極めて疑問が残るところです。

私の推測では、アントヌッチ氏は米空軍における「何か」を知っており、次のように事実を曲げて証言したと考えられます。
1.横田救難部隊のことを海兵隊と言い換えている。
2.横田救難部隊のことは黙秘し、本当にあった海兵隊の事実を伝えている。
どちらにせよ、米空軍のことに触れてはならないということなのでしょう。しかし、全体的な証言のトーンから眺めれば、「米軍の何がしの部隊が救難に向かったが、命令により引き返した」という点は事実と認めてもよさそうです。問題なのは、「米空軍は何故救難部隊を引き返させたのか」という点に絞られます。


■自衛隊(日本側)への配慮は本当か?

「御巣鷹の謎を追う」の中で、著者の米田氏は、米軍が救難部隊を引き返させたのは「政治的判断」の可能性があると指摘しています。どんな判断かといえば
 1.救難活動で先を越されて面子にこだっていた日本側の気持ちを察した
 2.自衛隊の立場を鑑みた事情の反映
 (同書、「在日米軍の『政治判断』」p120 より)
という、何ともありがたい、米軍の優しい心遣いが背景にあると推察しているのですから、おめでたいものです。

1.については、米空軍が現地上空を管制しているのですから、先を越すのは当たり前でしょう。人命がかかっているのですから、救難機を真っ先に飛ばし救助に当たるのは、同盟国軍としては当然なのではないでしょうか?2.のように自衛隊の立場を考えてくれているなら、後で救難行為の実行者を自衛隊だと発表すればすむことなのではないでしょうか?

もう一つ、どうしても言わなければならないのは、この本の著者、米田氏の主張は、米軍を追求する段になると、不思議なことに急速にトーンダウンするのです。アントヌッチ氏の証言についても、同氏が現場上空で確認した(証言[12])という日本側の飛行機の同定について、数ページにわたり極めて精密な分析を行っているのに対し、救難部隊を引き返させた米空軍への疑惑については、わずかに上記の点を述べるに留まっています。

米田氏が並の記者なら、私も気には留めないのですが、氏が日米安保条約の廃止を唱える日本共産党の機関紙「赤旗」に所属し、また極めて明晰な頭脳を有する記者であるからこそ、この点が非常に解せないのです。氏はおそらく、党の諜報活動から在日米軍に関して私たちが知りえない多くの情報を得ていることでしょう。それなのに、私にはまるで、米田氏が疑惑の焦点を、意図的に自衛隊と日本政府に誘導しているようにしか見えないのです。これについては、ぜひ米田氏から反論をいただきたいと思っています。


■事実誤認にも意図はある?

米田氏も事実誤認としている証言[19](空自F4Eの有無)、私も数字の間違いではないかと指摘させてもらった[20](上野村42マイル)、この両方についてB氏に尋ねたところ、「輸送部隊とはいえ、在日米空軍中尉の航空機関士をやってる軍人が、日本で飛ばしている戦闘機のことを知らず、また何10マイルも距離計測を間違っていたら、商売になりませんよ」との返事をいただきました。

私も、これは偽証の可能性が高いと思っています。情報工作の常套手段として、わざと誤情報を紛れ込ます、それも、誰もが簡単に気が付くものを織り交ぜることにより、そこに注目させ、同時に情報全体の信用力を低下させるという方法があります。全体の信用力が下がるということは、事実を述べている部分ですら疑われてしまう、まともに相手にされなくなることを意味します。

アントヌッチ証言の場合、軍事にちょっと関心がある人なら誰でも知っている空自F4機の存在、関東近県にすむ人ならすぐにわかる距離感、これらをわざと間違うことによって、アントヌッチ氏および、氏の発言の信用度を貶める効果を狙っていると考えられます。これを逆手にとれば、事実もまた含まれているとも判断できます。事実が全く欠けた証言は真実味そのものが失われ、情報工作としての意味がなくなります。ですから偽情報とは常に虚実一体とならざるを得ません。

その意味で、救難部隊の引き返し命令、関係者への緘口令の発令などはおそらく事実の部分でしょう。読み手が疑う部分を敢えて残すことにより、証言はより真実味を増すことになるのです。

* S氏の指摘によると、42マイル先は埼玉の上尾(アゲオ)市、これを上尾(ウエオ)と読めば、米国人なら上野(ウエノ)と区別がつかなくなる。上尾には民間の本田飛行場があり、救難ヘリの発着場としては充分。アントヌッチ氏はここを指していたのではないかとのこと。調べる価値はありそうです。


■アントヌッチ証言、掲載の理由

事故から10年を経て、何故アントヌッチ証言なのか?この答えは、この証言その中に述べられています。証言[16][17]に、事故の生存者、落合由美さんの発言が引用されています。生存者の数ある発言の中から、この部分が引用されたのは、何としても「聞かれてしまったヘリコプターの音」を説明しなければ、ならなくなったからでしょう。アントヌッチ証言の約1年半前(1993年12月)に、角田四郎氏の著書「疑惑-JAL123便墜落事故」が発刊されました。同書の指摘により、本事故に対する(特に自衛隊に対する)疑惑の声が一段と高まってきたまさにその時に、救助に向かい、自衛隊に花を持たせた在日米軍の美談が必要となったのです。

また、アントヌッチ証言は、それまで公式発表された以外の、別の航空機が現地を飛んでいたことも示唆しています(証言[12])。それもそのはずです。当夜現地を訪れたM氏によると「戦闘機が轟音を立てて一晩中ぐるぐる旋回していた」とのことですから、住人や現場近くに集まったマスコミ関係者、公務関係者、その他大勢によって、現場上空を飛んでいた複数の航空機のエンジン音をバッチリ聴かれてしまっているのです。そんな多くの証言者が口にする疑惑の声に対しても、何かしら説明が必要となったのでしょう。

* * *

さて次回は、いよいよM氏の現場証言を掲載します。今までマスコミに出たことがない貴重な証言です。闇に包まれた御巣鷹の尾根、そこでいったいM氏は何を見たのでしょうか?予めお断りしておきますが、真実はとても残酷です・・・


ANIMAM TUAM PRO ME PONIS AMEN AMEN DICO TIBI NON CANTABIT GALLUS DONEC ME TER NEGES

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