[※ 『NNNドキュメント’17/記憶の澱』(2017年12月3日(日))↑]
(2022年04月24日[日])
【森達也監督【焦点インタビュー】初めて劇映画を作る理由 関東大震災の惨劇をいま世に問う】(https://www.youtube.com/watch?v=nRadMmKyqJ0)
《デモクラシータイムス》
《ご存知ですか? 森達也さんが監督になって初めて劇映画を撮ろうとしています。その構想段階の話を、監督と脚本家、プロデューサーにうかがいます。テーマは、歴史の向こうから今につながる「差別」。関東大震災の混乱で差別意識を背景に惨殺されたのは「朝鮮人」だけではありません。讃岐の行商人の集団15人のうち、9人が虐殺された「福田村事件」を取り上げます。なぜ、彼らは襲われ、殺されなければならなかったのか、その構造をダイナミックに提示する映画、それを実現するのは、制作費を支えるあなたの力です。
まずは、森さんたちの心意気をお聞きください。
ゲストは、
森達也さん(映画監督)
佐伯俊道さん(脚本家)
井上淳一さん(プロデューサー)
小林三四郎さん(プロデューサー)
聞き手は、
鈴木耕(編集者・ライター)
収録は、2021年1月26日》
森達也さん《歴史って何のためにあるか、僕たちは何のために歴史を学ぶのか、やっぱり同じ失敗をしないために学ぶんだと思うんですよね。でも今、特にこの国では、自分たちの失敗みたいなことに対して目を背けたがる傾向がとても強くなってて》。《記憶の澱》を封じ込め、歴史を美化し、暴走…。《加害者性》は無視され、《被害者性》ばかりが強調される。森監督は、さらに、《本当は加害の記憶をしっかり持たなきゃいけないと思う》《歴史修正主義は進み、かつて考えられなかったような発想が、現在の日本社会の主流になりつつある》とも。
『●大矢英代さん「私たちは、過去の歴史からしか学べません
…私たちが何を学ぶのかが今、問われている」①』
『●<金口木舌>《「若い人たちに伝えるには記録に残すしかない」…
77年前、勇ましい掛け声の中で日本は破滅に突き進んだ。戦争体験を…》』
昨年末のKSB瀬戸内海放送の記事【【特集】語り継がれなかった悲劇…森達也監督が「福田村事件」を映画化へ 香川】(https://news.ksb.co.jp/article/14027855)によると、《いま、97年前に起きたある事件が映画化に向けて動き始めています。関東大震災の直後、香川県から千葉県に行商で訪れていた一行が村の自警団に襲われて9人が殺害されました。福田村事件です。この事件を、発生から100年の節目となる2023年に映画化しようと、映画監督らが香川県を訪れました》。
2019年09月18日 のKSB瀬戸内海放送の映像記事【【特集】関東大震災後の悲劇 「福田村事件」が問いかけるもの】(https://www.youtube.com/watch?v=TgC6HDj_QCw)によると、《ksb5ch 「福田村事件」をご存知でしょうか? 関東大震災直後の混乱の中、千葉県で、香川県から行商で訪れていた一行が朝鮮人に疑われたことをきっかけに殺されるという事件が起きました。それから96年の月日がたちました。事件を風化させないためには。そして、「福田村事件」が、現代に問いかけるものを考えます》。
望月衣塑子さんつぶやき:
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【https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1515835532173262849】
望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI
【取材、執筆】今こそ作って欲しい映画。
来年は関東大震災から百年。
多くの在日朝鮮人がデマで虐殺され、福田村では朝鮮人と間違われた、被差別部落の出身の行商団9人が殺害された。2歳の子どもや妊婦も巻き添えに。
森達也監督らがクラウドファンディングを開始
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tokyo-np.co.jp
デマと誤解で9人殺害…「福田村事件」を映画にしたい 森達也監督がクラウドファンディング:東京新聞 TOKYO Web
1923(大正12)年の関東大震災の直後、広がったデマをもとに朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(...
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午前8:32 2022年4月18日
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《瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…上原正三さん「琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない》。
望月衣塑子記者による、東京新聞の記事【デマと誤解で9人殺害…「福田村事件」を映画にしたい 森達也監督がクラウドファンディング】(https://www.tokyo-np.co.jp/article/172370)によると、《1923(大正12)年の関東大震災の直後、広がったデマをもとに朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(現野田市)で自警団に殺害された。ドキュメンタリー作品で知られる映画監督の森達也さん(64)は、この「福田村事件」を題材に初めての映画づくりに挑む。震災から100年となる2023年の公開を目指し、映画製作の資金をクラウドファンディングで募っている。(望月衣塑子)》。
『●加害者性と被害者性…「私たち一人一人が被害者となり、
加害者となり得る戦争。戦争はどこかで今も…」』
『●沖縄出身脚本家上原正三さん、「民意を顧みず、
基地を押し付け…沖縄を植民地としてしか見ていない証拠」』
《■「怪獣使いと少年」で問うた人間の心の闇》
《登場人物の少年は北海道江差出身のアイヌで、メイツ星人が化けた
地球人は在日コリアンに多い姓『金山』を名乗らせた。1923年の
関東大震災で、『朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ』『暴動を起こした』
などのデマが瞬く間に広がった。市井の善人がうのみにし、軍や警察と
一緒になって多くの朝鮮人を虐殺したんだ。『発音がおかしい』
『言葉遣いが変』との理由で殺された人もいる。
琉球人の俺も、いたらやられていた。人ごとではない》
《あの回の監督は東條昭平が務めたんだけど、彼が僕の意をくんで、
演出をどんどん強めていくんだ。例えば、『日本人は美しい花を作る手を
持ちながら、いったんその手に刃を握ると、どんな残虐極まりない行為を
することか…』という隊長のセリフは僕の脚本にはなく、東條が付け加えた。
そういう意味では、30歳前後の若者が血気盛んに作ったんだね》
《でも当初、メイツ星人は群衆に竹槍で突き殺されていた。これも僕の
シナリオではなく、東條が演出で変えた部分。さすがにこのシーンは
生々しすぎて子ども番組の範疇を超えると…。それでこの場面は撮り直して
拳銃に変わり、オンエアされた》
『●瞬く間にデマを善人が鵜呑みにし…上原正三さん「琉球人の俺も、
いたらやられていた。人ごとではない」』
《「そうだ、やられる前にやってしまった方がいい」
「やっちまえ」-。ト書きはこう続く。(集団の暴徒になっている)
…「帰ってきたウルトラマン」…「怪獣使いと少年」…ただ自分の
星へ帰ることだけを願う宇宙人と、それを手助けする少年にデマに
扇動された一般市民が襲いかかる▼脚本は上原正三さん。一つの
事件を題材にしている…▼その追悼文は日本人にとっての「お守り」
だったかもしれぬ。それが失われ、かつての過ちを忘れたとき、
「やっちまえ」のあの怪物がこの世に再び現れまいか。それを恐れる》
『●この《レイシスト・歴史修正主義体質》な小池百合子東京「ト」知事に
「2,912,628票」「3,661,371票」も投じてしまった都民の皆さん』
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【https://news.ksb.co.jp/article/14027855】
【特集】語り継がれなかった悲劇…森達也監督が「福田村事件」を映画化へ 香川
2020/12/17 19:38
いま、97年前に起きたある事件が映画化に向けて動き始めています。関東大震災の直後、香川県から千葉県に行商で訪れていた一行が村の自警団に襲われて9人が殺害されました。福田村事件です。
この事件を、発生から100年の節目となる2023年に映画化しようと、映画監督らが香川県を訪れました。
(森達也 監督)
「歴史って何のためにあるか、僕たちは何のために歴史を学ぶのか、やっぱり同じ失敗をしないために学ぶんだと思うんですよね。でも今、特にこの国では、自分たちの失敗みたいなことに対して目を背けたがる傾向がとても強くなってて。このテーマで一本映画を撮れれば、とは思ったことは確かですね」
そう語るのはオウム真理教の信者たちを撮影した「A」など、多くのドキュメンタリー映画を世に送り出してきた森達也監督。
福田村事件の映画化に向けて森監督や脚本家プロデューサーらが丸亀市にある香川人権研究所を訪れました。
大震災後に起こった“悲劇”…香川県からの薬売りの一行15人を自警団が襲撃
1923年9月1日、関東大震災が起こり、被災地では大きな混乱が広がりました。
朝鮮人による略奪や放火を伝えるデマが広がり、警戒を強めていた自警団などによる虐殺事件が相次いだのです。
(【資料画像】埼玉県の自警団)
9月6日、千葉県北部にある福田村でも香川県からの薬売りの一行15人が朝鮮人と疑われ、地元の自警団に襲われました。そして、妊婦や幼児を含む9人が殺され、遺体は利根川に流されたのです。
(妊婦や幼児を含む9人が殺され、遺体は利根川に流された)
(森達也 監督)
「福田村の彼らは、残虐で冷酷な人たちなのか、絶対違うんですよ。家族思いの、あるいは村思いの、でもそんな人たちがなんかのきっかけで豹変する」
(香川人権研究所/喜岡淳 理事長)
(香川人権研究所/喜岡淳 理事長)
「被差別部落の場合は、地元で差別を受けやすいからよそへ行ったり、仕事に就きづらいので、自営業になる…」
(朝鮮人による略奪や放火への警戒啓発を伝えるポスター)
犠牲者は香川県内の被差別部落出身者でした。部落問題に詳しい人権研究所理事長の喜岡淳さんは、行商の形態や当時の香川県の状況について説明しました。
事件には、部落差別から行商に出た一行が朝鮮人差別によって被害に遭うという、複合的な差別の問題がありました。
「被害者が“被差別部落出身”だから…」語り継がれることがなかった事件
翌日、監督らは事件の被害者の出身地の被差別部落を訪れました。
この地区出身で、千葉福田村事件真相調査会・元会長の中嶋忠勇さん(82)の案内で、被害者が住んでいた家などを見て回ったり、墓に手を合わせたりしました。
福田村事件が世に知られるようになったのは、1980年代に香川県内で真相解明の動きが起こってから。事件から半世紀以上も経ってからです。
(千葉福田村事件真相調査会 元会長/中嶋忠勇さん[82])
「親父も何も言わなかったですね。誰も福田村に関しては、私たちの部落で発言した人はおりませんね」
中嶋さんは18歳頃に兄から話を聞くまでは、この事件について全く知らなかったと言います。
(千葉福田村事件真相調査会 元会長/中嶋忠勇さん[82])
Q.被差別部落であったこと。それが(語り継がれなかった)原因の一つとしてあったとお考えでしょうか?
「あったと思います。僕の考えではね、あると思いますね」
加害の記憶をしっかり持たなきゃいけない
(森達也 監督)
「極論すれば、被害の側って偶然なんですよ、たまたまその場にいた人たち。でも、加害の側は、実は僕たちと一番つながっている部分で、100年前に僕が、関東にいて震災があって、村に住んでて、『朝鮮人が井戸に毒投げ入れてるよ』っていうふうな声を聞いたら、僕もくわかすき持って立ち上がってるかもしれないし、本当は加害の記憶をしっかり持たなきゃいけないと思う。そういう映画にしたいです」
福田村事件を題材にした長編劇映画は、関東大震災からちょうど100年後の2023年9月1日公開を予定しています。
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【https://www.tokyo-np.co.jp/article/172370】
デマと誤解で9人殺害…「福田村事件」を映画にしたい 森達也監督がクラウドファンディング
2022年4月18日 06時00分
1923(大正12)年の関東大震災の直後、広がったデマをもとに朝鮮人虐殺が相次ぐ中、香川県の被差別部落出身の行商団9人が千葉県福田村(現野田市)で自警団に殺害された。ドキュメンタリー作品で知られる映画監督の森達也さん(64)は、この「福田村事件」を題材に初めての映画づくりに挑む。震災から100年となる2023年の公開を目指し、映画製作の資金をクラウドファンディングで募っている。(望月衣塑子)
(映画製作の資金を募るクラウドファンディングは15日から
始まった(『福田村事件』(仮)製作運動体提供))
◆赤ん坊を抱き命乞いする母親まで
1923年9月1日に関東大震災が起き、火災などが相次ぐと「朝鮮人が井戸に毒薬を投げた」といったデマが広がった。同4日、千葉県に戒厳令が敷かれ、朝鮮人らを取り締まる自警団が結成された。
生存者の証言などによると、香川県の行商団15人は福田村にある利根川の渡し船の料金所で「言葉が変。朝鮮人ではないか」と疑われ、隣村含む数百人の村人が集まった。行商団は「いろはにほへと」と繰り返し言わされたり、「君が代」を歌わされたりしたが、疑いは晴れなかった。
その場にいた警察官が上司の指示をあおぐために現場を離れると、村人たちは一斉にすきや鎌で襲いかかり、赤ん坊を抱き命乞いする母親を竹やりで刺し、川を泳いで逃げる人を小舟で追いかけて日本刀やとび口で襲ったという。2、4、6歳の3人の子供と妊婦を含む9人が殺害された。
しかし、事件を巡る逮捕者は8人のみで、昭和天皇即位の恩赦ですぐに釈放された。生き残った被害者の6人は数十年間、沈黙を貫いたという。
◆「ナイーブ過ぎる」テレビでは断られ
森さんは二十数年前、新聞で福田村事件の慰霊祭の記事を読んだ。村人が口を閉ざし、世間に知られていなかったことに衝撃を受け、テレビ番組で取り上げようとさまざまなプロデューサーに持ち込んだが、朝鮮人虐殺と部落差別の問題が重なり、「ナイーブ過ぎる」と断られた。
(クラファン開始前夜祭「中川五郎ライブ+シンポジウム
『なぜ日本映画は負の歴史を描いてこなかったか』で、
映画製作への思いを語る森達也監督=3月31日、渋谷区の
ロフトヘヴンで(樹よう子さん撮影・提供)」
森さんは2年前、映画監督の荒井晴彦さんと井上淳一さんらが福田村事件を題材に映画製作に取り組んでいることを知る。その後、井上さんから提案があり、森さんが監督を務めることになった。
東京都の小池百合子知事は2017年から、関東大震災での朝鮮人犠牲者を追悼する式典への追悼文の送付を取りやめた。政府は昨年4月、「従軍慰安婦」という表現は誤解を招く恐れがあるとして「慰安婦」とするのが適切とする答弁書を閣議決定。朝鮮半島から日本本土への労働者の動員を「強制連行」と表現するのも不適切とした。これを受ける形で、複数の教科書会社が教科書での表現を「従軍慰安婦」を「慰安婦」に、「強制連行」を「動員」などに変えた。
交流サイト(SNS)上では「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦はいなかった」などのデマも拡散している。森さんは「歴史修正主義は進み、かつて考えられなかったような発想が、現在の日本社会の主流になりつつある」と話す。
◆「熱狂する集団心理の危うさと、個を貫く大切さ」
それでも「映画はあくまでエンタメ。教条主義的なものや啓発的なものにする気はない。韓国映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』のようにエンタメとして楽しませながらも社会派の映画を作りたい」と意気込む。
描きたいのは「被害者よりも加害者の側の視点。彼らは、恐らく普通のよき父であり、よき母であったかもしれない。リーダーやその場の空気に流されこうなってしまったのかもしれない。オウム真理教を描いたドキュメント映画『A』 『A2』でも描こうとしたのは、熱狂する集団心理の危うさと、個を貫く大切さだ」と強調する。
ウクライナ侵攻についても「プーチン大統領に理は全くない。しかし、なぜ、冷静な政治家プーチンがこんな暴挙を犯したか、検証しようと言うだけで『プーチン支持か』と批判が来る。かつて『オウムを応援するのか』と批判された時の声と重なる。ロシア軍機がウクライナの砲弾で撃ち落とされると歓喜に酔う群衆の声にぞっとする。一色にものごとをみるな、と言い続けたい」
クラウドファンディングの詳細は、「A―port」内のプロジェクトページで確認できる。
【関連記事】森達也監督のテレビドキュメンタリー4作品、異例のDVD化 業界の自主規制に一石
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