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アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

バティニョールおじさん 2002年 フランス

2007-04-14 | ヒューマン・ドラマ
戦時下のフランス。
パリで肉屋を営むバティニョールという男に守られた、3人のユダヤの子供たち。
何の権力も無い平凡なこの男に、何故このような勇気が持てたのか。

娘の婚約者によるナチへの密告によって、独軍側から得た報酬で豊かな暮らしぶりとなった一家。
バティニョールは、この娘の婿となる男の偽善的態度に辟易する一方で、彼に甘んじてもいた。
だが、正気とは思えぬ彼の言動に、ついにバティニョールは・・・

バティニョールを演じたジェラール・ジュニョの自然な演技がよかった。
暗く悲しい時代に、クスッと笑える味付けを加えたことで、過不足のない作品に仕上げた彼を評したい(監督、脚本も担っている)。
同様な類の’97の『ライフ・イズ・ビューティフル』は、かなり絶賛されてはいたが、個人的にはあまり好きではない。
せっかくの伊映画が、ハリウッド娯楽作品みたくなってしまったのが残念。
ベニーニ、張り切り過ぎたか!?

同じ仏映画でも、悲しい余韻を残す’87の『さよなら子供たち』とは対照的な本作品は、辛い背景ながらも、希望という光をチカチカと照らしているような、そんな映画である。 

死ぬまでにしたい10のこと 2003年 カナダ・スペイン

2007-02-22 | ヒューマン・ドラマ
余命はあと2,3ヶ月。
突然そう告知されたアンは、一瞬動揺する。
だが、前を見据え考える。
わたしにはしなければならないことがたくさんある。
残された時間でできることは・・・

自分が然るべきことを10項目に分けリストアップしていく。
幼い娘たちに。
残される夫に。
そして自分自身に・・・

生きているって素敵なこと。
愛すること、愛されること。
雨を感じる。
素足に感じる大地。
普段何とも思わなかったことが、身体を通して伝わってくるこの感じ。
・・・じっと、かみしめよう。

隣に、同じ名前のアンという看護師が越してきた。
どことなくわたしに似ている。
子供たちも彼女になついている。
彼(夫)もきっと・・・、きっとみんな大丈夫だわ。

個人的に引っかかったのは、アンが別に恋人をもったこと。
リストの中にも書いている。
17才で最初の子を産んだ彼女であったから、また恋をしたいって気持ちもあったのかもしれない。
コンビニエンスな相手といっては失礼だが、恋人をも傷つけることを承知で関係を続ける狡さが痛々しい。
あの優しい夫に、背信行為を残した彼女の複雑な思いに首をひねる一方で、妻でも母でもない、一人の女として最期を迎えた意固地な姿勢に、ある種の潔さをも感じる。

太陽に灼かれて ’94 ロシア・フランス 

2007-01-15 | ヒューマン・ドラマ
1936年、スターリン時代の旧ソ連。
残酷で哀しい時代であった。

コトフ大佐の別荘地にドミトリが帰還した。
10年振りの再会に、コトフの家族は大いに懐かしむ。
だが、コトフは心中穏やかではない。
何故ならドミトリは、妻マルーシャの、かつての恋人だったから。

10年前、ドミトリは外国への派遣命令を受け、マルーシャと引き離された。
それを企てたのが、コトフ大佐だと彼は思っているのだが、そのあたりははっきりしていない。
しかしその間、ドミトリがずっと、マルーシャを想い続けていたことに偽りはなかった。

ドミトリが帰還したのには訳があった。
コトフ大佐を逮捕するためである。
秘密諜報員となっていた彼は、コトフ大佐をクレムリンへ連行すべく、全ての手筈を既に整えていた。
これは彼なりの復讐であったのだろうか・・・
ついそんな考えを持ってしまうが、このあたりも不明である。

任務を終えたドミトリは、血で染まっていく浴槽の中にいた。
虚ろな目をし、『疲れた太陽』を口笛で吹く彼の脳裏をかすめたものは、一体何であったのか・・・
『疲れた太陽』 ― この哀しげなタンゴは、以前記した『トリコロール/白の愛』でも、主人公の男がよく奏でていた。
東欧で、当時流行ったそうである。

マルーシャと娘ナージャは、1936年6月に逮捕。
陸軍大佐コトフは、同年8月に銃殺された。

ウイスキー 2004年 ウルグアイ・アルゼンチン・ドイツ・スペイン

2006-11-02 | ヒューマン・ドラマ
本作品のDVDのパッケージの裏に、〈南米版カウリスマキのような・・・〉と記してあったが、まさにそんな感じの映画である。
個人的にこういった雰囲気の映画は好きだ。

ハコボが経営する小さな靴下工場。
そこに(恐らく)長年勤めているらしい中年女性のマルタ。
毎朝、決まった時刻に店の前で待っている。
やがてハコボがやってくる。
鍵を開け、店に入り、電気をつけて、機械を作動させる。
マルタは髪を結い上げ、階段を上がり、ハコボにお茶を淹れる。
そんな同じ朝を、ずっと続けてきたのだろう。

ハコボの弟が、ブラジルからやってくる。
映画の中では説明はなかったが、どうやら弟には、自分は結婚したことにしているようだ。
そこで彼は、この女性従業員のマルタを〈仮〉の妻として、演じてもらうことにしたらしい。

しかしまぁ、このハコボって、ぜんっぜん女心がわかっていない。
(たぶん)長く共に働いてきたであろうマルタにとっては、かなり複雑な心境だっただろう。
お金と愛情は、全く別物ですからね。
マルタのような女性には通用しないでしょう。

弟が帰った翌朝、ハコボは一人で店に入る。
お茶も自分で淹れていた。

題名の『ウイスキー』は、日本でいう「はい、チーズ」のことだそうで、映画の中では2回使われていました。    

イブの三つの顔 ’57 アメリカ

2006-10-01 | ヒューマン・ドラマ
多重人格者といえば、ビリー・ミリガンを思い浮かべる人が多いのではないだろうか。
彼はなんと、24もの顔を持っていた。
本作品の主人公であるイブ。
彼の比ではないが、彼女も複数の顔があった。
1951年に発覚した実話だそうだ。

貞淑な主婦イブ・ホワイトは、6才の頃から、イブ・ブラックという女性と“共に”生きてきた。
度々見せるブラックという女は、ホワイト夫人とは全くの別人、正反対の人格である。
自由奔放、その上派手好き。

ホワイト夫人を邪魔者扱いするブラック。
しかし、後にジェーンと名乗る新たな女性が出現し・・・

別の人格が支配している間、本当の〈自分〉の記憶は空白になってしまうというが、そういうことが度々あるとしたら気をつけねばならない。
周囲の人に、それとなく訊いてみよう。
「自分、性格変わってなかった?」
「まるで別人だった」
「えぇ!?」
「浴びるように酒飲んでたもんなぁ」
「・・・・。」

イブを演じて、主演女優賞を受賞したジョアン・ウッドワード。
あのポール・ニューマンの奥方である。
両極端なホワイトとブラックを見事に演じ分けた力量が素晴らしく、演技派である彼女の底力を見せつけられた思いであった。 

北京ヴァイオリン 2002年 中国

2006-07-23 | ヒューマン・ドラマ
名声をとるか、絆をとるか・・・

チュン少年の奏でるそのヴァイオリンの音色には、誰もが惹きつけられる。
天性の素質を持つチュンの将来を願う父は、彼を名士につかせ、有名になる彼の姿をひたすら夢見ていた。
貧しいながらも、息子のために懸命に働く父・・・

名誉あるユイ教授のもと、国際コンクールに向けて練習をするチュン。
教授は、「弾き方を教えることは出来ても、感情を教えることは出来ない。 それは自分にしかわからないことだから」とほのめかす。

名声を得るには、何かを犠牲にしなければならないことが多々ある。
まして、その道のプロになる以上、まっとうせねばならない厳しさもある。
だが、彼のとった選択は、彼らしくもあり、欲にかられた俗世にもまれていくよりも、自分の思うがままに進んだほうが、彼にとっては良かったに違いない。

チュンの叫びに似た旋律が、駅構内に響き渡るラストシーンは目が離せなかった。
悔しさと、父とはやはり離れられない、その絆の深さ。
お父さんとチュンが出会えたことは、宿命だったのだろう。
〈血は水よりも濃い〉といっても、彼らは本当の親子よりも親子に見えた。

やっぱり親子っていい。  

舞台よりすてきな生活 2004年 アメリカ

2006-06-02 | ヒューマン・ドラマ
作家というものは両性具有でなければならないと、何かで読んだ覚えがある。
要するに、同性に対して異性の目で見られるか、である。
確かにそうでもなければ、細やかな描写や心理を書くことは難しいだろう。
そう考えると、映画監督にも同様なことが言えるのかもしれない。

劇作家のピーター・マクガウェンは、ややスランプ気味。
失敗作が続いており、どうも落ち着かない。
妻は子供欲しさに何かといちゃもんをつけてくるし、(でも奥さんてすごくいい人だし、言ってることは正論なんだけど、ピーターにはうるさく聞こえる・笑)隣では犬を飼い始め、吠えるのがうるさいと嘆き、新しく越してきた逆隣の家には、彼の嫌いな子供がいて・・・

仕事に集中できないとイラつくピーター。
だが脚本の中では、子供のセリフが重要な鍵でもある。
子供嫌いなピーターは、子供の気持ちや言いグセがわからない。
でも書かねばならない。
さて、どうしたらいい、ピーター!?

コミカルでシニカルな本作だが、終盤あたりから少しハズしてしまった感アリ。
お隣同士が和解せずじまいだったのは、とても残念!
でも、他人の家のことに口を出し過ぎたピーターもピーターかな。

マクガウェン夫妻には、待望の赤ちゃんがやってきたかもだけど、隣家はその後どうなってしまったのかと、返ってそっちを心配してしまうっていうのも、意外にもこの作品の意図がわからなくなってしまい、やや消化不良のような重たさが残ってしまった。  

ダンサー・イン・ザ・ダーク 2000年 デンマーク

2006-05-07 | ヒューマン・ドラマ
「感動したいから」「泣けるって聞いたから」
そんな動機でこの映画を観てはいけない。
「泣ける」というより、「泣く」といったほうがいい。
だが、ショックで涙も出ないかもしれない。

夢と絶望。
この間(はざま)にいるひとりの女性セルマ。
彼女は時折、現実逃避から、空想の世界に入り浸る。
大好きなミュージカル仕立てのその夢の世界で、セルマは実に気持ち良さそうに、歌い踊る。

セルマの息子ジーンは、母の遺伝を受け継ぎ、生まれつき弱視であった。
そのままでいると、やがて失明するため、セルマは細々とであるが、ジーンの眼の手術費用を貯めていた。
しかし、その金を無情にも狙う者がいて・・・

アイスランドの不思議な歌姫、ビョークの天才的な演技が評判となった本作。
歌唱力にも劣らないその演技力には、度肝を抜かれた。

かなり重く、衝撃的なストーリーである。
やるせない気分になるのは否めない。
だが、人の何たるかを重々考えさせられる作品である。

“in the dark”とは、「暗闇に」の他に「知らずに」という意味もある。
徐々に見えなくなっていく、セルマの眼を反映しての題名かと思っていたのだが、物語の中盤である事実を知り、別の意味とも重なることに気づき愕然としたのを覚えている。  



パリ、テキサス ’84 フランス・(旧)西ドイツ

2006-03-06 | ヒューマン・ドラマ
個人的にロードムービーは好きだ。
どこか退廃的なのがいい。
ロードムービーに絡む人間模様も、実に様々だ。
またこうした作品は、必ずといって切ない余韻が残る。
その哀しさもいい。

本作品は、ヴィム・ヴェンダース監督の代表的な作品である。
この映画でカンヌ映画祭のグランプリをとり、彼の名が一躍有名となったのにも納得がいく。

題名の『パリ、テキサス』
ロードムービーだから、パリ―テキサス間の話か?と思うかもしれないが、これはテキサス州の中にある〈パリ〉という地名なんである。

Paris.Texas
素敵ではないか。

くたびれた男が、8才になる息子と共に、かつて家族を捨てて出て行った妻を捜しに行く。
過去の深い傷を心にすえながらも、妻と再会を果たす。
だが男は、息子を妻に託し、自分はまた旅に出る。
これでいいのさ、と心の中でつぶやいてでもいるかのように。

孤独を愛する男を絵に描いたようなエンディングであったが、〈後は野となれ山となれ〉的な男の身勝手さと取るか、自虐的な男の性格を憐れむか・・・

それぞれの道が続いていく。 

めぐりあう時間たち 2003年 アメリカ

2006-01-27 | ヒューマン・ドラマ
女流作家ヴァージニア・ウルフ著『ダロウェイ夫人』を軸に、三つの時代のヒロインたちの心の深奥を描いた力作。

1923年、『ダロウェイ夫人』を執筆中のヴァージニア。
彼女を演じ、アカデミー賞で見事、主演女優賞を獲得したニコール・キッドマン。
青い血でも流れているような、陶器を思わせる白い肌のクール・ビューティなニコールだが、今回の演技は、彼女の実力を垣間見たような思いであった。
〈つけ鼻〉に関しては、ちょっとズルかったかもしれないけど(笑)
トム・クルーズと離婚してから、ますます仕事に拍車がかかっているようで、お喜び申し上げてよいのかどうか・・・

1951年、『ダロウェイ夫人』を愛読中の主婦ローラ。
彼女をジュリアン・ムーアが演じていた。
個人的には、ニコールよりも、彼女の演技に好感がもてた。
女性ならではの、心の奥底に潜む苦悩を巧みに演じた彼女。
決して目立つ演技ではないのに、非常に光っていたのが印象的。

2001年、『ダロウェイ夫人』と、元恋人から呼ばれているクラリッサ。
幅広い演技で名高いキャリア女優、メリル・ストリープが演じたクラリッサは、現代の女性らしく、一人で何役もこなすパワフルウーマンである。
だが、表向きは元気そうに見せてはいても、そこはやはり現代人。
ストレスで心は疲れているのである。

それぞれの時代の女性たちの生き方に同情しつつ、またいつの時代でも女性が抱えるものは重く、やっかいなものなのだと改めて考えさせられてしまうのである。