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アブリコのCinema散策

のんびり映画でも観ませんか

スモーク ’95 日本・アメリカ

2006-01-18 | ヒューマン・ドラマ
愛煙家たちにはたまらなく、味わい深いこの映画。
奥深く、非常に歯ごたえのある作品だ。

原作者のポール・オースターは、アメリカでは相当人気のある作家だそう。
彼の小説を気に入ったウェイン・ワン監督が、直々に、本作品の脚本を彼に頼み込んだそうである。
男が惚れ抜いたってところがまた本気っぽくって、期待したくなってくる。
本作品は、その期待を裏切りません。

ブルックリンの街角で、煙草屋を営む男オーギーに、ハーヴェイ・カイテル。
凄味のある役が多かった俳優だが、この映画の彼は自然体で味があって、とにかく渋い!

オーギーは店の前で、毎日同じ時刻に、街角の写真を撮るのが日課なんだが、これがなかなか粋な趣味だ。
彼がその写真のアルバムを、店の常連である作家と煙草をくゆらせながら眺めているシーン。
これがまたいい。
「みんな同じじゃないか」
「いや、よく見てみろ。 みんなどことなく違ってるんだ。 同じものなんて一枚もない」
作家を演じたウィリアム・ハートの、静かな演技もまた格別。

なんてことはない日常を、煙草屋を中心に四方八方と話を入り組ませ、これほど上質な作品に仕上がったのは、本作品に携わった者たちの力量といえるだろう。  

シッピング・ニュース 2001年 アメリカ

2005-10-24 | ヒューマン・ドラマ
ひどく重い映画である。
原作本の『港湾ニュース』では、ピュリッツァー賞を受賞しているそうだ。
映画自体、内容云々よりも、個人的には配役に注目したい。

主人公クオイルをケビン・スペイシー。
’95の『ユージュアル・サスペクツ』で大注目の俳優である。
彼の優れた演技力には驚かされたが、近頃ではどうもパッとしないように感じられる。
なんだか中途半端な役ばかりで、損をしているように思えてならない。

クオイルの妻、ぺタル役のケイト・ブランシェット。
彼女は女性版ビリー・ボブというか(笑)、作品ごとに違ったキャラしょって出演する、七変化女優である。
’98の『エリザベス』でのエリザベス一世から、本作品のどーしよーもない女まで、イメージを固定させず、幅広い演技を見せてくれる稀有な女優さんだ。

ジュディ・デンチは存在感あっていうことなかったし、ジュリアン・ムーアの抑えた演技もよかった。

ニュース紙のインク係だったクオイルが、叔母の意向で祖先の故郷である島へとやってきて、地元新聞社で再就職をし、いきなり文才を発揮して一面を飾ってしまうのがスゴイ。

人が人を変える。
環境で人も変わる。

Headline(見出し)は非常に重要であり、また記者のセンスがものをいう部分でもあるが、考えてみると、日本の場合は直接的で、あまり隠喩を使わない。
「大嵐、家を奪う」
表現法を比較してみるのも面白いものだ。 

コーカサスの虜 ’96 カザフスタン・ロシア

2005-09-26 | ヒューマン・ドラマ
戦争の愚かさをうたった本作についてセルゲイ・ボドロフ監督は、こう述べている。
「戦争を始めることは簡単であるが、終わらせることは難しい。 人を愛することよりも、殺すことのほうが簡単なのだ。 だが、私たちは努力するべきだ」

この映画では、残虐な戦闘シーンなどは出てこない。
人間の性質に重きを置いている。

チェチェンの村で捕虜となった二人のロシア兵。
若い兵士と、その上役。
腹を割って語り合うなどありえない間柄であるこの二人は、捕われの身となっている今、友情にも似た心を通わせる。

この村の者たちは温かかった。
敵であるにも拘らず、彼らは優しかった。

人間同士傷つけあって、一体何になるというのだろう。

捕虜としての生活の中では、心の交流に重点を置いた場面が多い。
殺戮シーンなどが、くどい程出てくる米映画と違い、我々に、人間は残酷なだけではないのだ、温かい涙も流せるのだと、ボドロフ監督は言いたかったのかもしれない。

ロシア空軍機の群れが、轟音と共に、村の上空を覆う。
走りながら若いロシア兵が、声を絞り出して叫ぶラストシーンに、胸が絞めつけられる思いがした。 


夏至 2000年 フランス・ベトナム

2005-08-21 | ヒューマン・ドラマ
なんとも清らかな映像美である。
舞台がベトナムなのに、全く暑苦しさを感じさせない、らしくない爽やかさ。

’93の『青いパパイヤの香り』と共通する部分が多いのだが、例えば、植物や自然のものに対して、あざやかに、まぶしいほどに、透きとおるようなカメラワークを見せてくれる。
そして、女性をいかに美しく撮るかの技量も、トラン・アン・ユン監督は優れている。

彼は、フランスでの生活が長いこともあり、どこか欧州的なビジュアルをもっている。
だが、’95のヴェネチア映画祭でグランプリをとった『シクロ』では、まったくと言っていいほど正反対な、爽やかさのかけらもない重いテーマの作品を彼は世に出している。
男の孤独と悲哀の世界を描いた『シクロ』は、ベトナムの現実と苦しさをありありと映し出していた。

さて、本作品では、三姉妹のそれぞれの悩みを打ちあけながら、ゆっくりと物語は進行していく。
役者に関しては、キレイどころばかりで物足りなさも感じられるのだが、なにより澄んだ映像美は、宝石のような気高さなのである。 

トーク トゥ ハー 2002年 スペイン

2005-05-13 | ヒューマン・ドラマ
これは非常に難しいテーマである。
単純に語れるものではない。
〈究極の愛〉がテーマといわれる作品なだけに、とっつきにくくもある。

一方通行の恋にしかならないベニグノにとって、彼のアリシアに対する想いは究極のものに違いないのだが、悲しいかな、決して報われはしない愛である。

どんなに愛情を注いでも、報われることはない。
どれだけ献身しても、アリシアの声を聞くことはない。
なぜなら彼女は、長く昏睡状態にあるから。

だが、ベニグノはあきらめない。
起きるかもしれぬ、奇跡を信じて・・・

この作品で、どちらに感情移入できるかといえば、ほとんどがベニグノと答える。
しかしアリシアの立場から思えば、やはり考えるところが多いのが本音であろう。

そこが究極の問題なのである。
人間、一方的な想いで悲劇につながることは少なくない。

個人的には、原作本のほうがすんなりと入っていけたかな。
映像よりも文章で体感したほうが、感銘を受けやすいと思う。

最後まで幸せを手にすることのできなかったベニグノ。
一方で、彼の友人となったマルコの行く末が気になるところだ。 

ビフォア・ザ・レイン ’94 イギリス・フランス・マケドニア

2005-04-14 | ヒューマン・ドラマ
1994年ヴェネチア映画祭グランプリ受賞。
人間として非常に考えさせられ、且つ胸を打たれる作品である。

三部構成のこの作品、それぞれにテーマがあり、主人公も各々違う。
しかし最後になると、実はひとつの物語になっていたことを知らされる。

まるでメビウスの輪のようなストーリー。

ここに出てくる者たちに笑顔はない。
荒涼たるものである。
誰もが苦しみを抱えており、それを和らげる手立てはない。
舞台となっているマケドニアの風景は、悲愴な中にも美しさがある。

本作品は非常に緻密に作られており、監督・脚本を兼ねたミルチョ・マンチェフスキーの、卓越した才能に驚かされる。
人物、風景、台詞と、すべての調和がとれた作品ではないだろうか。

最後に、老僧のマルコが言う。
「時は待ってはくれない、流れるのみだ」と。
その言葉に、ただ頷くばかりである。 

セントラル・ステーション ’98 ブラジル

2005-03-26 | ヒューマン・ドラマ
1998年ベルリン映画祭 金熊賞・主演女優賞獲得作品。

素晴らしい人間ドラマである。
ロードムービーともいえる。
主演のドーラを演じたおばさん、フェルナンダ・モンテネグロの演技に引き込まれた。
女心の表現も上手い。
さすが女優賞をとるだけのことはある。
最近のアカデミー賞のそれとは雲泥の差といっても過言ではない。

勝気で自己中心的な彼女が、母を亡くした少年ジョズエの父親探しに協力することになる。
ジョズエと旅をするうちに、凝り固まっていた彼女の中で、次第に母性のような気持ちが目覚めてゆく。

全くの他人であるふたりの旅路。
互いの信頼度が深まってゆく道程は、見る者に優しさを与えてくれる。
そしてジョズエにとっても、彼女の存在が、自分にとってどれほど大事なものなのか気づかされていく。

やがて旅は終焉へ。

たどり着いた家に父の姿はなく、二人の兄が迎えてくれた。
ジョズエもこれで安心と、ドーラは決意をあらたにする。
翌朝、ジョズエが目を覚ますと、ドーラの姿はもうない。
ジョズエは駆け出す。
ドーラの後を追って、懸命に走るのだが・・・

ドーラはバスの中で、涙ながらにジョズエに手紙を書く。
わたしに会いたくなったら、ふたりで撮った写真を見て、と。
写真を眺め、幸福そうな笑みを浮かべるドーラ。
そしてジョズエも・・・

胸にジンときて、涙で画面が見えなくなる瞬間である。 

きみに読む物語 2004年 アメリカ

2005-03-14 | ヒューマン・ドラマ
この映画を観に行く前、簡単なあらすじは知っていた。
それを読んだとき、’01の英映画『アイリス』に似ていると思った。
恐らくそう感じた人も多いのではないだろうか。
実際、妻がアルツハイマーとなり、その夫が献身的な愛で支える、という点では同じかもしれない。

ただ、キャスティングでみるとどうか・・・である。
晩年の夫婦役は、それぞれ素晴らしいのである。
これはもう、比較するのさえバカ気ている。
じゃあ何か?
そう、青年時代の配役。
ノア役にもう少し、個性が欲しかった。
カサヴェテス監督も、ママのジーナ・ローランズをキャスティングしているんだから、もう少し考えてもらいたかった。
晩年役に力を入れすぎたのか、ちょっと釣り合いがとれていなかったのが残念。

本作品が、『アイリス』のように、認知症になるまでの経過が映しだされていたら、また大分違った印象になってしまっただろう。
確かに『アイリス』のほうは、現実的な場面が多かったので、お涙頂戴なだけの作品で終わってはいなかった。

じゃあ何? これはお涙頂戴な作品なの?
ええ。 
だって観終わってから、泣きはらした顔で映画館から出るの恥ずかしかったし・・・