卯年2日、長男、三男が帰ってきました。
残念ながら、次男は少し日を遅らせてしか、帰って来れないのですが…。
朝から私はいつもの独居老人風シフトから、
大家族のお母ちゃん風シフトに切り替え、ピョンピョン跳ねざるをえません (^_^;)
大食漢の息子達ですが、最近おせち料理に興味が出てきたらしく、
以前は、嫌っていた様な物にも、そのいわれやら、作り方を聞いてきたりと、
まあ、結局のところ息子達も年をとってきたということになるのかな?
一の重 : 棒だら ごまめ 海老の塩焼き 伊達巻 かまぼこ
二の重 : たたきごぼう 黒豆 栗きんとん 出し巻き卵 数の子
三の重 : お煮しめ(くわい、蓮根、金時人参、子芋、頭芋、ごぼう、筍、椎茸、三色こんにゃく)
今年は、伊達巻、かまぼこ以外家で作りました。
ごちそうさまの後片付けは、嫁たちがやってくれ、これは有難い
感謝感謝です m(__)m
11月15日は坂本龍馬の命日。
京都河原町通三条から近い、「酢屋」 で「坂本龍馬追悼」 として、
酢屋の玄関先に祭壇が設けられていました。
かつて、龍馬や海援隊の面々の居た二階の部屋には、いつもの展示に加え、
「海援隊日記」 「異国船渡来記」 が展示されていました。
この二つは、昭和3年に酢屋が天井を修理しようとした時、
天井裏から見つかったそうです。
「海援隊日記」 は海援隊の人によって、龍馬の暗殺されたことや、
お葬式の様子、例えば、お葬式は神式で執り行うとかが記されています。
「異国船渡来記」 は、彦根藩の人に龍馬がもらったもので、
彦根藩が調査したことを書いたものの写しを貰ったようです。
内容は、久里浜に来た外国の軍艦や船員の数、様子が、図解と共に
記されています。
この「酢屋」 とは創業288年の材木屋で、龍馬をかくまった当主は六代目、
今は十代目で、龍馬や海援隊の居たことのあるこの店を残し、
後世まで受け継いでいくことを使命としているとのことでした。
龍馬は、ここから近い「近江屋」 で襲われましたが、
その三日前まで、ここ酢屋に居たことになります。
「近江屋」の跡 (河原町蛸薬師下る)の石碑のある所にも
花が手向けられていました。
また、悔しさが込み上げてきました…。
昨日今日と、冷たい北風がビュービュー吹いて、とても寒いです。
この辺りも、3時頃から雪がちらつき始めました。
北風にあおられ小雪もきりきり舞いしています。
ゴミみたいですけど、雪が舞っている様子です。
こんなに寒い日は、おぜんざいを食べれば、ぬくぬくになるに
違いありません。(*^^)v
おととい、鏡開きで、割ったおかがみさんと、
秋の栗をお砂糖で炊いておいたものを入れました。
鏡餅と言っても、パックに入って三段くっ付いたものなので、
カビも生えないし、固くならないし、ひび割れもしないし、
楽な鏡開きです。 (*^^)v
小豆も手抜きで、あんこを買ってきてお水で溶いて使いました。
添えたのは山椒昆布。 子供の頃、母や祖母が必ず、
塩昆布を添える意味が分かりませんでしたが、
今はおぜんざいと塩昆布のその絶妙なハーモニーが
分かります。 塩昆布の方がおいしかったりして…、 (^_^;)
おもち、2切れ食べたもので、おなかいっぱいになりました。
これは、夕ご飯までに体操でもして、腹ごなしをしないと…、
夕ご飯はおいしく食べれない模様です。 (^_^;)
外はまだ、北風が吹き続けている模様です。
雪は積もるのかなあ~。
きのうの夜は、大阪のライブハウスに行って、インディーズのライブを聴いてきました。
ステージの真ん中に、小さめのグランドピアノがありました。
普通のライブハウスのように、立ち見ばかりでなく、テーブルがあって、ピザやピラフの軽食も注文できます。
…が、きのうは、テーブルなしで、椅子席と立ち見でした。
いつもは、バンドのボーカル(出演2人)が、弾き語りでのライブです。ピアノが入ったり、ギター1本だったり、私なんかには、バンドより、静かな雰囲気が心地よいし、歌の力がしっかり受け取れました。
もちろん、バンドは元気いっぱい、若さいっぱいでそれもいいです(^^♪

あした、職場の笹につけてきます。(^^♪