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元気なわんぱく犬「あき」の話題をたくさん載せてます。
「あき」は福島の浪江町から、縁あってわが家に来ました。

福島の被災地を、いま巡って・・・第3話

2013-03-28 23:36:42 | ふくしま応援!!

南相馬市原町区は、20㌔圏内の小高区に比べ住民もかなり戻ってきていて中心街はスーパーも賑わい活気が見られる。もし、この様子だけ見たら、何事もない普通の暮らしが続いているようにも一見すれば見える。

 

でも、忘れてはならない壮絶な経験をされたのが、30㌔圏内だったこの原町区の方々。

 

震災直後に「屋内退避区域」と決め付けられたため、避難せず自宅で待機した方が多かった。ところが、刻一刻と状況が悪化する中、救援物資が当時は自衛隊なども大混乱で手が回らず、そして民間の運送業者は放射能を恐れ、中通りまでは運んでも、その先この原町方面へは脚を踏み込むことを拒否された結果、救援物資が中通りで止まってしまい、原町の住民は〝自宅からは出るな〟〝物資は何も届かない、情報もTV以外何も来ない〟〝状況は見えない中で、(双葉郡のように)避難指示もハッキリ出ない、避難バスも出ない〟という本当に極限状態に置かれたと言われている。

 

やむなく、地元自治体が地元運送業者などに頼み込み、自らも被災し本当は救援を受けるべきはずの方が、延々山を越えて中通りまで車を走らせ物資を取りに行くという過酷な状況だったそうだ。

 

そんな状況下で自主避難された方も多く、その後遅ればせに避難バスも出るなど、一時は市全体で1万人台まで減ったものの、現在ではかなりの方が戻られたが、やはり子を持つ若い世代が中々戻らず、今は年齢層がアンバランスになっているとのこと。

 

そして、海沿いはやはり津波の痕跡がいまも生々しく残るが、小高のように車が放置されたまま、といった程ではなくなっている。
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美しい砂浜が広がり、海水浴場として賑わっていた「北泉海浜公園」

 

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振り向くと、削られた岩肌が鮮明に・・・。

本当に波の強さ、恐ろしさを実感・・・。

  

南相馬市のもう一つの区「鹿島区」(旧  鹿島町)は30キロ圏外ということで、当初から避難対象外とされ、あたかも安心して普通に暮らせるようにも思えるけど、でも事故後の不安な日々の暮らし、将来の万一の体の変化の心配は何ら変わらないのに、圏外とされたことで補償が無いなど、同じ市内でいながら対応が異なることで抱える想いは複雑らしい。 

 

そして、鹿島区のお隣り「相馬市」には穏やかな海辺が広がる「松川浦」などの観光名所があり、yoshyyも震災前に何度か訪れてて、穏やかだった海辺はよく覚えている。市内でも、特に磯部地区と言われる辺りの被害が甚大で、本当に広大な大地が広がる姿と化してしまった。

 

もう、これまでに被災写真は他の場所でたくさん載せてきたので、今日はこれ以上さらに多数載せることは控えるけど、でも〝原町・鹿島・相馬の海辺にも、力強く・温かい人々の暮らしがあった〟〝それは2年経っても、決して風化出来る話ではない〟と痛感して頂くために、相馬の写真を1枚だけ載せます。
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 次回は、「仮設住宅」での訪問活動の様子と、震災後のいまの交通事情をお伝えします

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