今回は、「もも」が生んだ7匹の子供のうちの一匹「せんちゃん」と、その飼い主さんご夫婦も一緒に来て下さった。何とも嬉しいお話し
先月、お墓参りの話しをこのブログに載せたあと、飼い主さんから「(母犬である)「もも」にお線香をあげたいので、次回はぜひ呼んで下さい。」とのありがた~いコメントを頂き、きのうに至った。
久しぶりに再会した「せんちゃん」 耳の手術をしたので、〝耳ピン〟じゃなくなった。でも、元気に車から降りてきた
亡くなった後まで、子供が訪ねて来てくれる「もも」はホント幸せモノだ
今回は、わが家の2代目愛犬「あき」は(車酔いするので)連れてこなかったけど、また「あき」との対面も楽しみにしたい。
そして帰り道には、江戸川の河原に菖蒲が咲き誇る「小岩菖蒲園」へ。
いま、まさに見頃
昨夜の荒れた天気は過ぎ去り、きょうは朝からイイ天気
。でも、雨
はすっかり収まったけど、一日中とっても風が強い日だった
。
朝「あき」の散歩に行くと、歩道にはあちこちに落ち葉や小枝が散乱してたけど、公園の木々はそろそろ新緑の黄緑がイイ感じ
になってきた
上野公園 噴水そばの遊歩道の新緑
日中は多くの人で賑わう噴水前も、早朝はこんな静けさ
「あき」も我が家へ来て4か月半たち、最近ではカメラ目線することも。
そして、昼間は〝月イチ〟で必ず行っている初代愛犬「もも」のお墓参りへ。
行ってみると、「もも」が休むペット霊園には芝桜と八重桜が鮮やかなピンクできれいに咲いていた。
満開まではもう少しだけど、ペット霊園の周りは八重桜が咲き誇る
「もも」は、自然の中を歩くのが大好きだった子なので、この風景と落ち着いた感じはきっと合ってるだろうな
と感じ、改めてこのペット霊園に決めて良かったと思えた。
おとといの〝「あき」3コマ喜劇〟
実は、3コマ喜劇はこれが最初じゃなくって、「もも」と一緒だった2005年頃に〝「もも」3コマ喜劇〟っつうのを載せたことがあって、今回はその
「あき」バージョンだったのだ。
・・・で、今夜8年ぶりに〝「もも」3コマ喜劇〟をリバイバル
ジャジャ~ン
「マッチはいりませんか~」
また、ある時は〝あやしい盗っと〟 「今夜の忍び先は!?っと・・・
」
その盗っ人のしわざの様子を、土曜夜9時〝家政婦は見た〟
(追憶)
この写真は、妻の実家に行った際に撮ったものだけど、車酔いしやすい
「もも」は、この当時おでかけの時はいつも「鎮静剤」を飲ませていたので、いま改めて見るとチョット(いや、だいぶ)顔の表情が良くない。
笑える光景だったけど、振り返ってこの顔見ていたら、無理して薬飲ませてまで、車で連れ回していたのが彼女にとってどうだったのか、と考えてしまった・・・・。
早いもので、「もも」が虹の橋を渡って一年・・・。
もちろん、今日は「もも」が眠るペット霊園へお墓参り。
寒い日だったけど、晴天で心地よい日差しを浴びながらお線香をあげた。
2003年11月に我が家へ迎えた「もも」は、〝犬を初めて飼った〟という意味では、いまの「あき」以上に戸惑いや飼い方で解らない事も多く、最初は本当に手さぐりの日々だった。
でも、とても賢い子だった(飼い主が言うのも変だが、周りの方々からも、よくそう言われていた)ので、本当に健気に過ごしてくれて、夜中に玄関へ入れて何も繋がないで放し飼いにしておいても、決して勝手に部屋へ上がって来ることもなく、おとな~しく朝まで過ごす子だった。
そして飼い主に振り回されながらも、あちこち一緒に仲良く旅行にも出かけた・・・。
家族に迎え半年ほど経ったとき、変な〝カラ咳〟を繰り返したのでフィラリア悪化かとハラハラしたけど、大事には至らずその後も穏やかに過ごせたのは幸いだった。
一緒に過ごした8年余りの間、飼い主として本当に楽しい日々を過ごせたし、「もも」にとってもその気持ちは同じだったと信じている。
最期の最期は、入院中だった動物病院の医師から、前夜に〝長くても余命一週間〟〝最期は大量吐血して苦しみながら息を引き取る危険が高い〟と告げられ、自分としては何としても最後は必ず「もも」の傍にずっと寄り添って、飼い主の声をかけ続けながら満ち足りた幸せな気持ちで、苦しむことなく穏やか~に旅立って欲しかったので、「安楽死」という本当にとても苦渋の決断だったけれど、職場へ無理を言いお休みを2日ももらって、最期の場に立ち会った。
徹夜で一緒に過ごした最後の夜、水が欲しくて欲しくて徘徊のように歩き回っていた「もも」(・・・水をあげると、すぐに全部嘔吐してしまっていたので、少しづつしかあげられなかった)と、真夜中の2時に外へ出て、途中の公園の蛇口前で全く歩かなくなり、走って家へ戻り「もも」を抱えるための毛布を持って妻と二人で走って公園へ戻った時に眺めた月の光が忘れられない・・・・。
ありがとう・・・「もも」
このプレートに入れた写真は、2009年4月の伊豆旅行「城ケ崎海岸」での一枚。
2代目愛犬「あき」と初めて出会った場所が、偶然にも同じ「伊豆」というのも何かの縁かもしれない・・・。
愛車「エアウェイブ」の車内には、数年前にネット通販で作ってもらった「momo」っていうオリジナルプレートを貼っている
ところが、先日チョット寒~い事件が起こった
それは、2回目の「あきちゃん」面会に行った帰り道の「東名」走行中のこと。
ずっとダッシュボード(車検証を入れるボックスの上)に貼っていた「momo」プレートが、ふと気づくと斜めに傾いて落ちかかっている
このプレート、愛車「エアウェーブ」に乗り出した2010年5月から、ずっと貼ってあったもので、これまで剥がれたなんてことは一度もなかった。
それが、よりによって後継犬の「あきちゃん」を飼うと決めて面会に行った帰り道に初めて剥がれた
・・・っていうのも、一見チョット笑えるけど、とっても笑えない寒~い偶然
何か、まるで「もも」が〝今までず~っと飼い主たちを見守っていたけど、私の役目は終わったね〟って言っているようにも思えたり、偶然とはいえ何とも寒~い出来事だった・・・。
きょう11月4日は、虹の橋を渡った愛犬「もも」の誕生日だった日。
もちろん、保護犬だから正式な誕生日は判らないので、我が家にやってきた2003年11月4日を誕生日にして、毎年ケーキ
を買ったり、ドッグカフェ
へ行ったりしてた。
↓この写真は、去年の同じ頃11月3日に撮った「もも」の写真。
この時は、まさか1か月後に虹の橋を渡ってしまうなんて思いもしなかった。
過去の写真だけど、この写真を「ブログ」に載せるのは今回が初めて。
実は、去年撮ったあと〝そのうち載せよう〟と何気な~く保存しておいたら、「もも」が段々と体調悪くなり通院や入院騒ぎでバタバタ
したまま、あっけなく虹の橋を渡ってしまった
ので、とうとう載せずじまい・・・となっていた写真
。
あとになって思い起こせば、この花壇の写真を撮った時も、川沿い散歩中に疲れ自分から座り込んだ休憩の時に撮ったものだから、本人はすでに結構無理して散歩していたのかもしれない。
でも、散歩大好きの「もも」はそんな素振りは一切見せず、亡くなる僅か6日前に急激に悪化するまでは、日々の散歩も時おり途中で数回座り込んだりした他は、毎日ごく自然~に1時間くらい元気に歩き、飼い主が戻ろうとしても「もっと行く~」と訴えるほどだった。
「もも」を我が家へ迎えた半年後の2004年春に初めて訪れ、相模湾
が見渡せるドッグランやオーナーさんの人柄などが気に入り、その後も何回か訪れていた神奈川県真鶴にある「プチホテル ジョディアンドプリン」がこの3月15日に閉館していたと今日知った。
何でも名前の由来となった「ジョディ」と「プリン」という看板犬の2頭のゴールデンが12歳となり、老犬となってきたので、オーナーさんとしては残された時間を2頭とゆっくり過ごしたいという理由から閉館を決めたとの事。
もちろんこの2頭、yoshyyたちが泊まりに行った時も看板犬として夜のコーヒータイムの場で、カゴを咥えて働いていたり、よく印象に残っているけど、もう泊まりに行けなければ会うことも無いと思うと何とも寂しい・・・。
まだこの先もホームページは残し、2頭の日々の様子は紹介するとのことなので、楽しみにしたい。
写真は2007年に泊まったときの看板犬と「もも」
この週末に、「もも」を千葉のペット霊園へ納骨してきました。
クルマに乗せ前の日に実家へ行き、長年お散歩していた実家周辺の空気を吸ってから翌日千葉へ・・・。途中、初めて「もも」と出会った場所の松戸市を通りながら霊園へ。
前回も書いたように、都心に比較的近い場所ながら、霊園の周辺は畑が多く広がり、自然の中で過ごすのが大好きだった「もも」には落ち着ける場所だと思い選んだ。
都心では、土地も無いから個別墓を造れるペット霊園は無く、これでも一番実家に近い個別墓のある霊園ではないかと思う。
飼い主が心を込めて綴った〝「もも」へのことば〟と写真を焼き付けたステンレスプレートを取り付け、お焼香してから納骨。
この霊園、もう20年以上前からあるそうで、他のお墓を見ると永眠してから年月が経過している子も多いけど、しっかりお花が添えられていたり、どんなに月日が過ぎても、飼い主の方々は大事に想いきちんと訪れている人が多いと実感しました。
「もも」へ。
今まで本当にありがとう・・・・・。お骨は土に返るけど、心の中では「もも」と飼い主たちは、いつまでもいつまでも、ずっと一緒だからね・・・。ゆっくりと休んでね。
きょうは、「もも」の納骨を前に、静岡で最後の〝お散歩めぐり〟に、「もも」の写真と遺骨を抱えて巡ってきました。
「大井川」の河原や広大な茶畑など、「もも」が大好きだった自然がたくさんある場所を車で周った。これらの場所は〝休日お散歩コース〟で、飼い主が休みの日には、いつも時間をかけノンビリと3人でお散歩し、時にはお弁当を広げて、「もも」にも少し分けてあげたりしながらいっぱい遊んだ思い出の場所。そこを最後にもう一度見せてあげた。
12月8日に旅立ち、明日で2か月・・・・・・・・・・。
僅か2か月しか経っていないのに、河原は護岸工事で風景が変わっていたりと、月日の流れも感じたけど、大荒れの天気が回復して雨が上がった時だったので、偶然にも虹が見え、まさに〝虹の橋を渡る〟お散歩になりました・・・。
そして、納骨で帰京した際には、東京の実家周辺のお散歩コースにも連れて行ってあげるつもりです。
静岡へ来て4年余りの間、いつもお散歩で眺めていた大井川と茶畑の風景の思い出を胸に・・・。
広大で、人は誰も歩いていない河原では、いつも放し飼いにしてあげ、この風景の中を大疾走して駆け回っていた。折しも虹がかかる・・・。
先週7日、「もも」の永遠の安住の場所となるペット霊園を、千葉県内の個別墓がある所に決めてきました。
年末から静岡でも2箇所見学に行って(・・・と言っても、静岡を永遠の場所にするつもりはなく、ペット霊園がどんな感じか知る意味で)、納骨堂、合同墓地、個別墓の雰囲気を見てから、千葉でも午前・午後と巡って思案した結果、都内にも近く、「もも」が大好きだった自然な感じもあって、「個別墓」に出来るという理由で決めました。
個別墓といっても、墓石は決まった形になっていて、そこへ自分の想いを込めた文字や思い出写真をデザインしたプレートを付けるという感じです。
2週間くらいで出来るそうなので、たぶん今月末ころ納骨することになるのではと思ってます。
ちなみに、思い出の写真にしたのは、2年半前遊びに行った伊豆 城ヶ崎海岸で撮った飛びっ切りの笑顔写真にしました。
愛犬「もも」の旅立ちから早いもので、今日で一週間。もちろん、まだまだ気持ちの整理は付いてませんが、徐々に日常生活のペースは戻ってきました。
いつもこのブログにコメント入れて下さるS様と、「もも」を譲渡して頂いた動物保護団体「AWS」様より「もも」へのお花を頂き、この場を借りて厚くお礼申し上げます。
今日夕方、お世話になった動物病院の先生へ改めてご挨拶に伺い、しばらく話合いをし、「もも」の主となる病名は「大動脈血栓症」で、フィラリア持ちの子だと血管が侵されているので傷つきやすく、それに起因して腎臓・肺など複数の疾患が発症してしまったと聞き、改めて「フィラリア」の怖さと、若い頃からの対策の大切さを認識しました。
いまは、新しい犬を次に飼うか、まだまだ考える気になれませんが、もし飼うとすれば、やはり次も保護団体からの子を飼うと思うので、その際は「もも」での教訓を大切に、早めから定期健診や血液検査を受けるなど、しっかりと対応したいと思います。
「もも」の永遠の安住場所も考え中ですが、「もも」は元々は水郷の街で知られる千葉県佐原市内のホームセンター駐車場を彷徨っていたところを、心ある方に救われて保護された子で、私たちが「もも」と初めて出会った場所も千葉県松戸市内での「里親会」だったので、できれば〝千葉の土〟へ返してあげようかと思っています。
最期は、家へ獣医さんに来てもらい安楽死という苦しい決断でした・・・。
8月に後足の動きが悪くなり、その時は車輪付ける覚悟もしていたところ、また普通に歩けるようになり安堵していたら、先月中旬からゴハン食べなくなり、12/4(土)には一日に8回も嘔吐し、12/5(日)から入院し12/7(火)午後にCT撮ったら、血栓が相当進んでおり、その影響で腎臓も片側しか機能してなく、肺も血が滲みだしていると解りました。
特に肺に関しては、一両日にも吐血がひどくなり、苦しみながら息を引取る危険が高いと言われ、12/7夜に飼い主の苦渋の決断で、急きょ翌日夕方に永遠の別れを迎えてしまいました。
ともかく退院して自宅へ戻り、宣告から一夜(20時間)しか無いので、その夜は一睡もせず「もも」の側で過ごしたけど、水が欲しくてたまらないようで、息も荒く後ろ足は痙攣のような震えになってました。
畳の部屋にいても、水が飲みたい嘔吐したいとウロウロし、真夜中にも外へ出ると徘徊のように歩き、公園の水飲み場でふせしたきり動かなくなり・・・。
最期の日の朝まで1時間近くお散歩し、庭で穴掘りもしていたけど、それも水を求めて歩き回り、嘔吐を隠すための穴掘りで、穴へ吐いた後には、自分で鼻を使い埋めてる姿が何ともけなげで見ていられませんでした。
飼い主の決断で安楽死を決め、「いま歩いているのに、あと〇時間後には・・・」と想いながらのお散歩はとても過酷でしたが、それ以上に吐血が先に起きてしまう危惧の方が怖く、安楽死した際は〝間に合った・・・〟という安堵感も強かったという非常に複雑な心境でした。
東京と茨城に住む両方の両親も駆けつけてくれて、皆が最期に立ち会ったけど、今考えると、一方では「もも」の苦しさ・つらさを考えると、普段通りそっと静かにした方が良かったかもしれなかった気も大いにしている。
それでも、先生が注射する傍らで、飼い主が頭を撫で続けながら、「おウチに来てくれてありがとうね」「また一緒に遊ぼうね」「ももちゃん大好き」「いっぱい色々な所へ出掛けたよね」などと声掛けしている中で何のショックもなくス~っと旅立ったので、最高の看取りが出来たと思っています。
2003年11月2日に千葉県松戸の里親会で初めて出会い、11月4日に我が家へ来て8年1か月、来た頃が3歳くらいと言われていたので11歳くらいの生涯を全うしました。
「もも」はいま、自宅の祭壇(飼い主が使っていた机)の上で、飲みたかった水とたくさんの花々、大好きだった鳥のササミやレトルトフードに囲まれています。
これまでブログを読んで下さり、「もも」に関心を持って下さった皆さま、本当にお世話になりました。有難うございます。
きょう午前中に動物病院へ面会に行ってみた。
点滴され、オムツを付けてハァーハァーと呼吸荒めにしていて可哀そうだったけど、立ち上がっていて、助けを求めるような、外へ出してほしいような変な吠え方でキュンキュン、キャンキャンと鳴いていた。
なんと、口から血を流していてビックリしたけど、これは下を噛んでしまったためのようで喉の奥からではないとの話しだったが、何とも痛々しい・・・。オムツとなったのは、今朝下痢したからだとか。
血液検査の結果は、腎臓に関する値が高めだが、嘔吐を繰り返したのが原因の一過性だろうとの診断。
むしろ、原因の可能性が高いのはエコー画像で見える十二指腸あたりに何かがある可能性ではないか?との話し。それが癌細胞かもしれないし、長年土を食べてきたので、その異物の蓄積かもしれないという。
大腸・小腸もレントゲンで見ると、やはり普通の便とは違う異物が大量に混じったっぽい硬いものが映るので、CTを撮り、その後お腹を切ってみた方がいいと言われた。
入院場所は他の犬が大勢吠えている環境で、この場所にいるだけでも「もも」のストレスは高そうだったので、先生に許可をもらい散歩へ連れ出してみた。
歩きは結構しっかりしていて、電柱でもニオイを嗅いでオシッコしたので、オムツが垂れ下がり、外してあげた。本人の歩きたいように歩かせると10分以上座ることなく歩き、1周して帰れた。残念ながら排便はしなかったので腸からの排出は出来なかったけど、途中で少しだけシッポも上がり、顔の表情も院内より明るくなった。(結構ゆっくりお散歩してしまったので、お昼時間先生にチョット迷惑かけたかな!?)
とりあえず、この後4時半からCTを撮り、20分くらいで結果がでるので、その結果の電話が来る予定。
CT前なので「絶食・絶水」とある。・・・けど、それ以前に今の「もも」は何も口にしようとしない状態・・・。
←さんぽへ連れて行ってみると、足取りはしっかりしていて、座らない。顔の表情もよくなった。
←病院の前を少し歩ければ、と思って出たら、自分からスタスタ進み出し、10分以上歩き回った。体力を考えると負担だったかもしれないけど、とっても喜んで歩く姿に、ついつい沢山歩かせてしまった(泣)