自分の過去ブログを読んでみると念力系の想いが強い。
セラピストのテクニックより、一瞬で調整できる魔法を求める気持ちの強さ。
何年も前から、お師匠さんに念力を指摘され、その時はわかっても、その内また念力系もどってしまう。
瞑想中、眉間がムズムズするのが念力だと教わった。
自分の実力をアピールしたがる。
「わたしはこんなに凄い」と優越感に浸る。
慢心のこころが念力系を引き寄せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/43/deed8554e781f6ad1e29c7acf942007b.jpg)
慢心は「過信」につながり、念力系の虜になる。
何でも想いどおりになるから、念力系はやめられなかった。
自分中心の「我」と慢心の「慢」
我慢が過ぎるとこころが揺れる。
念力系の、どこがいけないかといえば「愛」がないこと。
「愛」があれば、迷いもないし、不安もない。
そもそも病気にかかりにくい。
自分を分析すると「愛」がないことに気がつく。
まったくないワケではないが、かなり少ない。
「愛」がないと感謝できない。
「愛」がないと不平不満を思う。
こころの中で、なにか不満を感じるとき、決まって満たされない想いの中にいる。
自分の思いどうりにならない不安と怒り、焦り。
そんな不安感を一掃するため執着を絶つ。
執着は、いつも思うマイナスイメージの中にある。
「愛」の反対が「執着」
「愛」はだれかの役に立つこころ。
「執着」は自分中心のこころ。
不安や怒りに感じても、その苦手な想いを甘んじて受け入れる。
それができないと、いつまで経っても執着でこころが揺れつづける。
ひとつ執着を乗り越えると、また違った執着がやってくる。
何度もなんども、嫌いな執着に遭遇する。
「あなた、ココを直しなさい」と、苦手な問題集が何度も出題される。
執着をすて「愛」に生きるため、何度も試練がやってくる。
「なんだ、またかよ」という位、しつっこく試練がくる。
これから、何十回も試練がくるでしょう。
何度も、執着を乗り越えている内に、やっと同じような不平不満(執着)が来ても、
直ぐ乗り越えられるようになる。
「愛」の実力が上がっている証拠。
「愛」に生きるか、苦しみ(執着)に生きるか
それを選ぶのは自分自身。
セラピストのテクニックより、一瞬で調整できる魔法を求める気持ちの強さ。
何年も前から、お師匠さんに念力を指摘され、その時はわかっても、その内また念力系もどってしまう。
瞑想中、眉間がムズムズするのが念力だと教わった。
自分の実力をアピールしたがる。
「わたしはこんなに凄い」と優越感に浸る。
慢心のこころが念力系を引き寄せる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/43/deed8554e781f6ad1e29c7acf942007b.jpg)
慢心は「過信」につながり、念力系の虜になる。
何でも想いどおりになるから、念力系はやめられなかった。
自分中心の「我」と慢心の「慢」
我慢が過ぎるとこころが揺れる。
念力系の、どこがいけないかといえば「愛」がないこと。
「愛」があれば、迷いもないし、不安もない。
そもそも病気にかかりにくい。
自分を分析すると「愛」がないことに気がつく。
まったくないワケではないが、かなり少ない。
「愛」がないと感謝できない。
「愛」がないと不平不満を思う。
こころの中で、なにか不満を感じるとき、決まって満たされない想いの中にいる。
自分の思いどうりにならない不安と怒り、焦り。
そんな不安感を一掃するため執着を絶つ。
執着は、いつも思うマイナスイメージの中にある。
「愛」の反対が「執着」
「愛」はだれかの役に立つこころ。
「執着」は自分中心のこころ。
不安や怒りに感じても、その苦手な想いを甘んじて受け入れる。
それができないと、いつまで経っても執着でこころが揺れつづける。
ひとつ執着を乗り越えると、また違った執着がやってくる。
何度もなんども、嫌いな執着に遭遇する。
「あなた、ココを直しなさい」と、苦手な問題集が何度も出題される。
執着をすて「愛」に生きるため、何度も試練がやってくる。
「なんだ、またかよ」という位、しつっこく試練がくる。
これから、何十回も試練がくるでしょう。
何度も、執着を乗り越えている内に、やっと同じような不平不満(執着)が来ても、
直ぐ乗り越えられるようになる。
「愛」の実力が上がっている証拠。
「愛」に生きるか、苦しみ(執着)に生きるか
それを選ぶのは自分自身。