院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

もうすぐ月命日

2020年04月28日 | 日記
明日は、お袋の月命日。


(病室から)

その日は、季節外れの雪が降ってた。

帰天してひと月経つのかと思いだす。

今朝、兄貴と今後のことで強気に話してしまった。

その姿を観ていたお袋が、兄貴と一緒になって抵抗してきた。
お袋の心配意識が強く伝わってくる。

「ああ、やっぱり亡くなっても性格は変わらないんだ」と思った。

「あの世に行くときは、心しか持って帰れない」

これ、ほんと、正解なんだと思った。

先祖を観ていると、どうしたらあの世に還れるかわからず自宅待機状態だったから。
戒名、高かったたのに。

心配性のお袋は、このままだとまた自宅待機になるだろう。

もう少しで49日法要、何も変わらないだろう。

供養って、本人が自分の仏性に気づいてはじめてあの世に還れるわけで、念仏唱えて帰れるわけでもない。

進化と創造性、これなんとなく解ってはじめて花畑。

念仏唱えりゃ誰でも花畑、これ努力なしでいちばん良い流れだけど。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

念力系から無償の愛

2020年04月25日 | 日記
嫁さんから「ブログ長いよね」と言われたので短めに書こう。

ほんの数年前まで、念力系のセラピーに憧れ実践している内に、病院のお世話になってしまった。

その頃に出会ったのが今のお師匠さん。

お師匠さんは、今まで3人入れ替わっている。

お師匠さんに出会い、いろいろ話をしていたら「辛そうですね」と言われビックリした。
念力系は、いくら平静を装っても隠せないと思った。

念力系は結果を重視したがる。
自分はこんなに凄い。
信頼されて当然なんて。

そんな思いが、ほんの少しでもあると、念力系の霊界に引っ張られ指導を受ける。



お客さんに憑いてる他人の意識を「おりゃ〜」って念じ飛ばすと、すごくいい感じ。
吹っ飛んでいくヤツを見てると「ヤッター」と思う。

そんな事をやっていると、次から次に手強いヤツがやって来る。
かなり疲れます。

今は「おりゃ〜」とは念じない。

お師匠さんから「念力系から離れ、フォースを学び直しなさい」と言われた。

そこで、真理を学び直す事になり、それが物凄く大変な作業です。

道徳律ではゼンゼン不足。

何を学び直すかといえば「愛」の実践。
「無償の愛」が枯渇していたワケです。
未熟だな〜と思う。

「他人を思いやる心」、これが心で入ってなかった。

この「愛」が無いとストレスになります。
また、後天的な病気の90%は「愛」の枯渇です。
お高いセミナーでは99%と話してます。

それぐらいは知っていたけど、実践しているようで身についていなかった。
知識だけで、身についていると錯覚していた。

愚痴、不平不満、ネガティブ思考は「愛」の枯渇。

「無償の愛」が30%位身についてくると、不平不満が激減してくるのです。

「愛」を奪ってばかりいるとケンカになる。
不平等さに怒る。
相手のアラが見えてくる。

人のアラに目を向けないで、その人のいい所を見るようにしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正しさを発見する

2020年04月23日 | 日記
テレビをつけるとコロナの話題ばかり。

いつ、自分や家族に感染してしまうか、収入はどうなってしまうのかと心配は尽きない。

でも、先のことなど分からないが、今のところ心配はない。

こころが豊かになれば心配はない。

毎日の修養はこころを穏やかにする。

品性を磨き、器を広げるには、正しさを知ることから始めるといい。
自分は正しいか、間違っているか、そこを学習しながら身につける。

正しさは、法律に抵触しなければ良いという問題ではないのです。

心の行い、思いの正しさが本丸になる。

仏教でいうところの正見(しょうけん)と正語(しょうご)、ここが基本になる。
正しく物事を見て正しく語る。

たとえば、
相手の悩みは何か、どんなことで悩んでいるのか、先入観を持たず透明な心で見てあげる。
これが正見。

正語は、正しい言葉ですから、相手を励ます、元気になるように勇気づける、立ち直るよう聞いてあげる。

これが基本なんです。
どんな人に対しても正見と正語で接してあげる。

正見とは別に、正思(しょうし)があって、正しく思うというものがあります。
私は、正見と正思を一緒にしてます。

正しく思うわけですか、心に波風を立てず思いやりを持って人や物事に接する。

これは、時間がかかります。
不平不満のクセが身についていると、なかなか上手く行きません。
私も10年以上やっているのにちゃんと出来ていない。

この正しさ、正見(正思)、正語がだんだん出来てきて、初めて感謝の想いになります。

日頃から、イライラして体調が悪く、不安で心配の中では感謝の想いは出てこないのです。
自分に都合がいい偽物の感謝はでます。

1日を終え、寝る前に今日を振り返って正見(正思)、正語ができているかを反省する。

もう一つは、昨日より前を振り返り、正見(正思)、正語を点検して反省する。
期間的には0歳〜20歳までの自分を振り返り反省する。

これ、同時進行です。

20歳までの正しさ、ここは誰でも正しくない想いばかり。
正しくない想いは一体いくつあるのか。

思えば、親に頼まれたことを忘れ叱られる。
「はいはい、やっておくよ」なんて言って忘れる。
これ、嘘つき。

「勉強やりなさい」と言われ「やってるよ!」なんて、言われて腹が立つ。

「そんな小さなことまで反省するのか」といえば、些細な、小さなウソ、ムカツキが大問題、そこを野放しにすると感謝はできない。

会社に遅刻して「電車が遅れまして・・・」なんてウソをつく。

気に食わない人を見て「なんだアイツ」と思う。

「あんなに働いて、ボーナスこれだけか」とか。

上司に仕事を押し付けられ、責任を押し付けられ・・・ムカツク。

不平等さに腹が立った時代。

個人的には、星の数ほどの悪い思いを出してきた。
それを十把一絡げに反省するのではなく、一つひとつ思い出しては反省する。

一つひとつ反省して行く内に、忘れたことも鮮明に蘇る。

これを毎日毎日10分やって行く。
やって行く内に、楽しくて10分では足りなくなる。

たまに、今日は疲れたから明日にしようとすると、今までやってきた反省はすべてパー。
それが続くと、不平不満が出てきて、しまいには病院のお世話になる。
慢心は身を滅ぼす。

ピアノの稽古のように、毎日正しさを発見・反省する。

正しい人になれば、希望がほとんど叶えられるし、不平不満を言わない正しい人にも巡り合える。
心配事など殆どなくなる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

告別式から

2020年04月11日 | 日記
お袋の告別式から1週間。



亡くなった時、動揺もなく冷静な自分に驚いた。

ただ、棺に蓋をする時だけ、感極まってお袋の頭をさすり号泣してしまった。

臨終後、頭をさわると、お袋の意識は消えそうな位少なくなってもちゃんと伝わって来た。
医学でいうところの「死の3徴候」でも霊体意識は違う。

亡くなった晩から2日間、お袋は自分の居場所に慣れてなかった。

どんな痛みに苦しんでいた場合でも、亡くなると痛みがなくなる。

それが、ちょっと理解できなかったようだ。

親父の時も同じで、親父は退院の検査中に発作を起こし亡くなった。

その苦しみが癒えるまで10年以上かかった。
亡くなれば、痛みも苦しみもなくなるのに、それが理解できず10年以上も戸惑っていた。
意識があるので死んでいないと錯覚していたらしい。

自害の場合は話しは別で、本人の過ちに気がつくまで苦しみが続くといわれてる。

親父は、苦しみが長かった分だけ浄土には還れなかった。
自覚と諭しでトータル25年もかかってしまった。

子孫に、転生の成り立ちを確実に判る誰かがいないと、浄土の道は厳しいとつくづく思った。
浄土真宗の親鸞さんの伝え通り「念仏唱えれば誰でも浄土に行ける訳ではない」と。
それ、大正解。

お寺さんは、どなたかを祀っているワケですが、その祀っている霊意識と今でも法談でる筈。
これが出来ないと経文も故人には伝わらない。
ここを外すと成仏はかなり厳しい。

ただ、神人隔絶だとまるっきり伝わらない。

最近、ちょっと気がかりなのは、昨年の大嘗祭。

宮中で神々に五穀豊穣と国民の安寧を祈念した。
それで、なぜコロナが蔓延しているのかわからない。

正しい祈念は神仏に必ず伝わるのに。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする