院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

愛の実力

2020年05月29日 | 日記
自分の過去ブログを読んでみると念力系の想いが強い。

セラピストのテクニックより、一瞬で調整できる魔法を求める気持ちの強さ。

何年も前から、お師匠さんに念力を指摘され、その時はわかっても、その内また念力系もどってしまう。

瞑想中、眉間がムズムズするのが念力だと教わった。

自分の実力をアピールしたがる。
「わたしはこんなに凄い」と優越感に浸る。
慢心のこころが念力系を引き寄せる。



慢心は「過信」につながり、念力系の虜になる。

何でも想いどおりになるから、念力系はやめられなかった。

自分中心の「我」と慢心の「慢」
我慢が過ぎるとこころが揺れる。

念力系の、どこがいけないかといえば「愛」がないこと。

「愛」があれば、迷いもないし、不安もない。
そもそも病気にかかりにくい。

自分を分析すると「愛」がないことに気がつく。
まったくないワケではないが、かなり少ない。

「愛」がないと感謝できない。

「愛」がないと不平不満を思う。

こころの中で、なにか不満を感じるとき、決まって満たされない想いの中にいる。
自分の思いどうりにならない不安と怒り、焦り。

そんな不安感を一掃するため執着を絶つ。

執着は、いつも思うマイナスイメージの中にある。

「愛」の反対が「執着」

「愛」はだれかの役に立つこころ。

「執着」は自分中心のこころ。

不安や怒りに感じても、その苦手な想いを甘んじて受け入れる。
それができないと、いつまで経っても執着でこころが揺れつづける。

ひとつ執着を乗り越えると、また違った執着がやってくる。

何度もなんども、嫌いな執着に遭遇する。

「あなた、ココを直しなさい」と、苦手な問題集が何度も出題される。

執着をすて「愛」に生きるため、何度も試練がやってくる。

「なんだ、またかよ」という位、しつっこく試練がくる。

これから、何十回も試練がくるでしょう。

何度も、執着を乗り越えている内に、やっと同じような不平不満(執着)が来ても、
直ぐ乗り越えられるようになる。

「愛」の実力が上がっている証拠。

「愛」に生きるか、苦しみ(執着)に生きるか

それを選ぶのは自分自身。
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