院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

許す勇気も

2020年05月04日 | 日記
当たり前に毎日が来て、当たり前に毎日が過ぎる。

当たり前の中に感謝はなく、苦境に立たされても感謝に気がつかない。

十数年前、頻繁に海外旅行をしていた家族がいて、当時小学生の子供さんに「何度も海外に行けていいね」と話したら
「そんなの誰でも行ってるよ」と得意気に話していた。

勉強もでき活発な子供だった。

小学校の高学年でいじめに遭い、学校では理不尽な制約を受け、だんだんと生気がなくなっていった。
その頃から、セラピー中に低い唸り声が手から伝わってきた。

あんなに優秀だった子がなぜと、周りの人は思ったことだろう。

はやくから「出る杭は打たれる」を経験し、やる事なす事すべて上手くいかず社会人になった。

努力しても、結果が思わしくないとすぐ熱を出し仕事を休んでいた。
気に食わない事があると、目が冷たく野獣の目に見える。

未だに、子供の頃のいじめは「絶対許さない」と話しているから、加害者も苦しんでいるだろう。

学生時代、親御さんからよく相談を受けていた。
「感謝」の話をしている時に、よく両親もうなずいていた。

当たり前に、育っていることに感謝ができないとどうしようもない。
それは、誰かが感謝の大切さを話したところで、聞く気もない人にはタダの雑音しかない。

それに、10年以上前のいじめられた加害者の気持ちを、大人になって少しでも察することが出来たなら、許すこともできたろう。

個人的には、いじめで登校できなく20年恨み続けた経験から、虐められる悲しさや苦しさがよく分かる。
いずれ、時効をかけて許す勇気も必要だと思う。

子供時代の悲しみと苦しみの時、別の意識が入ってしまった。
同じ、独りぼっちの寂しさと孤独感。
それが今でも彼の心を縛り上げている。

感謝の意味が何となく判ったとしても、それより強い意識が居座っている以上、縄を緩められるのは本人の覚悟しかいない。


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