院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

今年をふりかえって、

2010年12月29日 | 日記

今年は、異常なほど波乱の一年だった。

何もかも、すべてが上手く行かず耐え切った年だった。

人生に置いて、年々ハードルが高くなって来たのは感じていたが、これ程までの苦汁を体験したこともなかった。

今までと同じように、自己を変えながら自己実現に邁進し、それ相応な結果を残していたのに、今年はすべての歯車がかみ合わなかった。

昨年以上の情熱が足りなかった、覚悟が足りなかった、慢心だった。

今までのような想いの続きで生きて来たのが、そもそもの間違いだった。

いつもと変わらず一生を送るような、のんきな生活のツケがジワジワと回ってきたようだ。

普通なら、その場を逃げ出したくなり将来が不安になってしまうだろう。

きっと、今が雌伏の時なのだろう。

多分、これからもっと大きな壁が立ちはだかり、身動きできず苦労の連続になるかもしれないが、自分自身を鍛える為の人生であるから、すべてを受け入れるのみ。

どうやって天近くにそびえ立つ壁を登るかは分からないが、未来の輝かしい到達地点はありありと見えているので、責任と努力次第で超えることができるだろう。

正当な念いと実行で、扉が開かれることになっている。

必ず打開してみせる。

 

追記・・・己心のみでは変われない。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

豊かさと幸福感

2010年12月28日 | 日記

「自分を変える」の続きを5つ書き上げましたが草稿状態にしてます。

自分を変えることと、今の「豊かな時代になっても幸せ感がない」には、共通するものが沢山あるのですね。

モノが町中に溢れる時代になり、興味があるものならほとんど手に入る。

人と同じものが欲しくなり、人より高価なものを手に入れて優越感に浸るつかの間の幸せ。

それ以上に欲しいモノと云えば、限りがなく他人よりも優れた地位や名誉と自分を着飾ることに執着してしまう。

欲しいものは、あらかた手に入れた。

しかし、幸福感は得られない・・・。

自分から見返りなく与えたものはどの位あるでしょうか。

欲しい欲しいと奪い過ぎた気持ちを解き放つには、見返り求めぬ与える切る想いと実践ですね。

欲、貪欲が強いと幸福感は得られないものです。 

世界中の名立たる成功者達の考え方がそこにあるのですね。

自分本位の考え方ではないわけです。

どうやって人々に還元していくかをいつも考えている。

人の喜ぶ言葉、喜ぶだろうとする行動を常に考える。

仕事をしてるから給料支給は当然のこと。

こんなに努力してるのに認めてもらえない。

貰って当たり前の考え方なのですね。

・・・私はそう思わない、それは詭弁だと思うかもしれない。

考え方がそこまでなんです、学習する術を知らなかった、なんでも欲しがる子供のように生きてしまった。

いつまでも、知らず知らずに奪いつづけるとしたら・・・、考え方を変え実践して行けば、ほんとうの幸福感にグッと近づくことになるでしょう~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分を変える いちばんめ

2010年12月20日 | 日記

自分を変えるわけですから、今までの心の持ち様を、きれいさっぱり脱ぎ捨てることが最初でしょうか。

ここを徐々に変えて行きませんと、どんなに素晴らしい教えだったり、物事が腑に落ちたりしても、まったく向上しないことになってます。

いくら努力しても無駄骨ってところですね~

自分の気持ちの傾向性を変える。

これが大変難しいので、日々修正しなくてはなりませんね~

反社会的な出来事があったとして、正義の名のもとに弾劾し過ぎたり、同調し過ぎた思いはマイナス傾向になります。

程々の想いでスルーを心がけたいですね。

また、人のあげ足とりや、からかう言葉などもマイナス傾向。

人の成功を妬むとか、人の不幸を見て安心する傾向性は、魔界に片足を突っ込んだ境地ですので、これからの人生不幸をひっぱり続けてしまいます。

怖いですね~、こつこつ点検したいものです。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自分を変えるには

2010年12月16日 | 日記

このような題名で何度書いたことでしょう・・・。

人は誰でも、人格向上の為に生まれ、自分の不得意分野を体験し乗り越えるために、何度でも修正の人生を与えられる。

っと云った、正しい価値観を体得し、徳を積むために生まれて来るところでしょうか~

その為に、いろいろな立場に置かれ、時には苦境に追い込まれたり、人に裏切られたりを体験して、人格向上を図られているわけですね。

また、自分は自分自身一人ではなく、自分の分身が何人も居るわけで、時には自分を励まし、道を外れてしまう時には修正してくれる心強い味方がいらっしゃる。

その味方の声を聞くためには、正しい価値観を身に付けることが必要ですし、また人格向上の第一歩にもなるものです。

正しいとは何でしょうか。

ひとつには、他の人に迷惑をかけないこと。

それは、人に対する言葉だったり、行動においてもそうですし、なにより大切なことは自分自身の想いなんですね。

言葉を発していないのに、行動していないのにもかかわらず、いつも気持ちの中がイライラしていると、その人に接している人は心地良い気がしてこなくなります。

以心伝心、心の波長が、気持ちのチャンネルが合って、その強さの度合いにより引っ張られてしまうのです。

言葉には言魂というものもありますが、想いも言葉も生きているものなんですね。

人は、なぜイライラしたり、悩み続けたり、ものごとが上手く行かなかったり、怒ったり、不平不満を言ったたりするのでしょうか。

そんな自分を変える為には、正しい気持ちと云いますか、心を正しい方向に持って行くには、どのようにしたら良いのかを次に書いて行きましょう~


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする