院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

若い両親にめぐり逢い

2020年05月12日 | 日記
お袋の帰天後に









お袋が好きだったボタンが咲いた。

毎年、「今年も咲いたね~」と嬉しそうにつぶやいていた。

お袋が帰天する2週間前の朝、雰囲気が変わった。

話し方としぐさは、いつもと変わらなかったが、何となく雰囲気が変わっていた。

6感でそのように感じた。

お袋の様子が、誰かに似ている気がしたが、誰に似ているか思い出すのに
時間がかかった。

もの凄く身近な存在なのに、何故か思い出せない。

臨終を宣告さた数分後、お袋の頭を触り意識を感じてみた。
セラピストの興味で、亡くなった直後、意識が在るのか無いかを知りたかった。

お袋は昔から、取り越し苦労というか心配性で「これからどうなってしまうのか」と
自分の存在が不安で不安で仕方がないような意識が伝わってきた。
医学的には、あり得ないことでも、魂の意識はまだ肉体に在った。

その晩と翌晩も、心配性のお袋の意識がわたしに入ってきた。

潜在意識というと、本人のココロの奥にある意識、ほかの言い方があるかもしれないが
真理からすると潜在意識は守護霊そのものだと教わった。

本人=潜在意識=守護霊
本人と守護霊は別意識だけど、体験、意識は共有できる。
ややっこしいがそんな感じ。

人が亡くなると霊になるけど、生きている人間も霊そのもの。
これが真理のようだ。

霊同士だと意識が伝わる。

生きている時も伝わるし亡くなっても伝わる。
魂は永遠に実在するといわている。

「真理」とは、そういうものだと云っても、実際に体験してみないと解らない。

お袋は、亡くなっても心配性は続いたまま。
何かにつけ、心配の思いが伝わってくる。

このままだと浄土はむずかしい。
先代、先々代と、そのまた先代と一緒で浄土はきびしい。
先代と先々代と何霊か、浄土に入れるまで30年近くかかった。

お袋には、できるだけ早く天国に還れるよう手を打ちたい。
お寺の供養でも、すんなり浄土に還れる霊もいるが、如何せん心配性があるとむずかしい。
苦難の中でも、狼狽せず、穏やかな心境が身についていないとむずかしい。

生前、不利な状況だとしても、心配したり、保身で逃げたり、悲しんだり怒ったりする人はむずかしい。
不平不満は論外。

真理では、人が生れてくる時、親を選ぶといわれている。
親も子を選ぶといわれる。

そう言われても、実際、体験しないと解らない。

セルフ退行で、若い両親にめぐり逢い、女性の人となりがお袋に似ていた。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« お袋の四十九日法要 | トップ | 歓喜が伝わる »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事