院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

客観的に物事を見る

2013年05月24日 | 日記
昔から巷に出版されている「マーフィーの成功理論」、少しの努力で、誰にでも願望を手にすることが出来るお手軽書。

世の中、100%願望が叶うなどあり得ない事ではありますが、この方法でやれば殆ど100%です。
この書、ふた月前からお客さんにも勧め、皆さん書店で買われ、「単行本買いました」と見せてくれます。

皆さんに、読んだその後の事を聞いたりしますと、あまり変化が無いようです。

どうして、そのような事になってしまうかと、簡単に分析してみますと、「読んだだけ~」って感じです。

何ヶ所かの文章で共感するところも有るかも知れませんが、実生活に入ると、スッポーンと、その殆ど重要なところを忘れてしまうのでしょう。

一番楽にできる、リラックスしている時にイメージングするだけ…。
それだけでも、2~30%位は良い事が起こる筈なんですが…。

このマーフィー哲学は、真理に通じていますので、読んだことを真面目に実践すれば必ず道が開けて来ます。
自分の運命が最良方向へ動き出してきます。

善悪を前提に、客観的に物事を見るところが大切なんですね。

主観での物事の判断は、自分に取って損得勘定に通じますので、あくまでも客観視です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リラックスの時には

2013年05月17日 | 日記
就寝前に考え込めば考えるだけ寝られなくなる不眠。

この寝る前のリラックスな状態の時に、潜在意識の扉が開かれ、思考のすべてが本人に寄り添って最良の方向へ進ませようとします。

将来の目標を夢見る時間が、就寝前であったら不眠にはならず、目標通りに事が進み出します。

逆な、悩み事などのネガティブなが思いが、就寝前のリラックスした時に考えれば、やはりネガティブな思いは現実化してしまいます。

休日、就寝前などリラックスした時に、ポジティブな思考に成るよう、努力し続けることも大切であります。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

試練の真最中

2013年05月16日 | 日記
親友から、「俺は今試練の時なんだよな」と真顔で尋ねられた。

数ヶ月前に遇った時、彼はすべてを失っていた。
家族も仕事も住む家も何もかも失い、「気持ちが弱かったら、生きては行けないだろうな」と話した時も、「毎日命を断つことばかり考えてた」と、気力の無い目で答えていた。

昔から人気者で、若くして起業し前向きだった人間が、小さなきっかけの積み重ねですべてを失った時には、再度立ち直るにはあまりにも大きい代償だったと思う。

しかし、同情はしない。
親友だからこそ同情はあり得ない。
自分が、本人にしてあげられる事は何かと考える前に、これしかないと直ぐに答えが出ていた。

精神的な破たんを回復すること。
本業ではないが、自分の得意分野を生かす時だった。

寝込む程の体調不良に記憶喪失、幻聴に幻影、それはそれは、ここで病名を書けないほどの疾患だった。

その昔、重度の躁鬱を、何とか回復させて欲しいと親族に頼まれた時があった。
「基本、私の範疇ではないので・・・」と前置きをして今後の方向性を話すと、「回復してくれるなら、なんでもします」と家族は口を揃えて訴えてきた。
しかし、要点を話し続けると、「それはできません」と返してきた。

私も、無理強いはしたくなかったので、それ以上は話さなかったが、今回は家族が傍に居らず、この方法しか無理だろうと思った。

専門病院では、「回復まで数年を診なくては・・・」と言われたようで、それならひと月で回復させようと思ったし、本人も同意したので事が早く進んだ。

案の定、専門医の診断で「劇的に回復している」と言われたらしく、数年間の回復が「二年で治るでしょう」と訂正され、本人も喜んでいたが、専門医が二年なら、こちらは半年で完全回復させて上げようと思いながらも、これは本人の治したい強い気持ちの表れが回復を導きだしたと感じている。

それに、目も言葉も、しっかり回復している。

体調が完璧では無いにしても、その体調で世の中の人々が働き続けている。

握手しながら、「奇跡体験をしたお前なら、一生懸命生きて奇跡体験し続けてみろ」と、エールの言葉を贈り、「これからが試練の本番なんだぞ」と心の中でつぶやいた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささやかな知識

2013年05月13日 | 日記
お葬式続きで何ですが、数年前に、お客さんの親族が不治の病にかかり逝かれたことがありました。

生前の様子から察するところ、実直で頑固な性格があまりにも強かったので、ちゃんと成仏するのかなと思い、どちらかの菩提寺での供養とは別に、お客さんに話し個人的に供養を申し出て行ったことがありました。

私が供養した訳ではありませんが、普通に信用ある寺院に依頼したわけですね。
ご本人とは、面識はもちろん話したことも無く全くの他人でした。

それから、案の定、約二年間に渡り私の傍を離れず還るところに戻らず、ずっと距離を置いて、私の様子を伺ってました。

ただ一つだけの縁で、行き場所が理解できなかった訳ですが、最低限の「死んでも意識だけは残るんだ」を本気に思わなくても、そのような事が在ると知って居れば、対処はできるものです。

人は、誰でも、肉体を持って数百年の何千年も生きられない。
そのような世界が存在するなんて、他で聞いた事を記憶に留めて置けば、何時の日にか解る時が必ず来ます。

どんなに真理を悟った方が迎えに来られても、本人に、そのような知恵が無い限り、連れだって帰らない。
これは、自己責任の範疇です。
自分で蒔いた種です。
こんな事は誰にでも教えられる事では無いにしろ、聞く耳を持つならば、その後の判断は本人の責任です。

知らなければ、逝っても生きて居ると勘違いして、何十年もウロウロしててどうするのよ。

こんな話しなど、あざ笑われ一笑に付されるかもしれない。
しかし、知識無しでその時が来て、うろたえながら残った家族の足を引っ張ったり、自宅に住み付いているようでは、無明と言うしかない。

何時まで経っても不平不満を吐いている場合では、ないでしょ!と。
生きている不平不満の人に近づくのも、以ての外。
しかし、生きていようが、逝ってしまっても、不満を口にするのは自己責任。

如何なる知識も役に立つ時がやって来る。
ささやかな知識でも役に立つ。

「生前を思い出しながら自己反省なさい」が、私からの最大の贈る想いです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする