院長の気まぐれ日誌

仕事のこと、私生活のこと、気になることなど不定期に書いて行きたいと思っています^^

またもや、今年もお勉強なのだ~

2010年03月24日 | 日記
3月も、そろそろ終わりだと云うのに、これが最初のブログになるとは、「なんてこった」てな感じかな。

今年もまた、苦手なカウンセリングの勉強も続行せざるを得ない状況に追い込まれてしまって踏んだり蹴ったり状態。
真剣に勉強すると、仕事に支障ができ、逆だと覚えられない。

今年は時間があるので、ゆっくり地道に適当さを加味しながら学んで行ければな~と思ってます。
この適当な考え方が、人生にはもっとも大切なことなんですね。
この「適当」を、いい加減な、中途半端なと捉えてしまえば、意味が丸っきり違ってきますのでお間違えなく。

形式に囚われないと云いましょうか、己を縛り付けないと云うような意味合いですので。

それで、何がカウンセリングの授業で苦手かと云いますと、「聞き役と話し役」になるのですが、聞くのはイイですね、傾聴の訓練ですので~
嫌なのが話し役の方ですね。
身近な悩みとか、そんなことを話すのですが、これが無いのですね。
一向に浮かばない訳です。

無理やり創作するにも限界がありますのでね、もともと悩みがないのですから。
仕方なく、昔の会社員時代の悩みを話すのですが、話してて矛盾を感じて話し切れない感じでつじつまが合わなくなってくる。

かと云って、私も小さな細かい悩みは幾らでもありますよ。
ただ、その小さな悩みを増幅させない努力を毎日続けていれば、悩みは無くなるわけですね。
自分の悩みのすべては、自分の意識で悪い方に悩み続けるか終わらせるか、前向きに考えるかを選択できるのできるものです。
ここが自己責任に当たるわけですね。

相手がいて、その人から手痛い仕打ちや傷つく言葉を云われたとしても、はじめは辛いでしょうが、徐々に消化して行く潔さを学んで行くわけですね。

そのように考えると、過去起きた悩みが消化してくる訳ですね。
過去、同じような境遇で辛かったことがあったとしても、共感はできても、「私もあの時辛かった」と思わなくなるものです。

あの辛かった事こそが、今の人生の糧になっていると実感してると、自然に辛さが消えてくるのですね。
これが自己変革のひとつなんですね。
これは不思議です。

そのような事から、話し役がイマイチ出来なくて苦しんでいますが、その嫌な苦しさも今後に生かせると云うことで、適当に対処しようと思ってます。


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