礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

寅次郎さん、朝鮮のことはもう安心せよ

2014-06-17 05:30:51 | コラムと名言

◎寅次郎さん、朝鮮のことはもう安心せよ

 昨日の続きである。香川政一の『松陰逸話』(含英書院、一九三五)から、第三次日韓協約の調印(一九〇七年七月二四日)の直後における、伊藤博文の逸話を紹介している。

 白上〔俊一〕市長から先づこのことが〔杉〕民治翁に伝へられたのは、八月十六日でありました。民治翁は誠に悦ばれて、奥さんに命じられて平生は決して着用せられぬ一番の晴衣の紋服〈モンプク〉と袴とを出させて之を着用し、御宅の前に県社として崇められてある松陰先生の霊前に立ちて、
「寅次郎さん伊藤から言伝て〈コトヅテ〉があつた、朝鮮のことはもう安心せよといふことぢや、さうして伊藤がおまへに御世話になつた礼を、よく言つて呉れよとの事ぢや、」
と生ける人に物言ふ如く言はれるのを、多くの人が集つて見て、全く芝居を観るやうだと言ふ人もあり、感涙に咽ぶ人もあつたさうであります。
 斯くて杉翁は其の日御馳走を拵へて〈コシラエテ〉、村塾関係の生存者や親族を招き、之を披露して共に悦ばれました。
 著者〔香川政一〕は当時県下佐波郡〈サバグン〉中関〈ナカノセキ〉に在職して居り、夏休みで帰省して十七日に翁を訪問しますと、翁は大悦びで前日のことを言ひ出し、又御馳走を出して著者に饗応されました、その時翁の言葉に、
「流石は伊藤であります、かふいふ時に有り難いといふことを忘れません、」
と言はれました。【以下、次回】

 このあと、吉田松陰と朝鮮の関わりについての話になるわけだが、これは次回。


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