礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

福沢諭吉、内村鑑三に反発し「銭」より「名誉」を説く

2013-10-02 05:50:35 | 日記

◎福沢諭吉、内村鑑三に反発し「銭」より「名誉」を説く

 昨日の続きである。亀井俊介訳『内村鑑三英文論説翻訳編 上』(岩波書店、一九八四)に載っている内村鑑三のエッセイの中から、本日は、「拝金宗と非拝金宗」を紹介したい。このエッセイが無署名の英文記事として『万朝報』に掲載されたのは、一八九七年(明治三〇)五月一二日、昨日紹介した「拝金宗の結果」の掲載の三日後であった。
 引用するのは、その前半部分である(一二九~一三〇ページ)。文中、数か所に傍点が施されているが、そこはゴシックにすることで代用した。

 拝金宗と非拝金宗 Mammonism and Anti-Mammonism
『時事〔新報〕』の一昨日紙面における福沢〔諭吉〕氏の記事を読んだ人は、過去三十年間も氏が説いてきた下品な拝金宗と際立つて異なる高度な精神性に、一驚したことであろう。氏の記事は「銭の外〈ホカ〉に名誉あり」と題されている。そこで氏はいう――「我輩の本願は尚ほ〈ナオ〉一歩を進め、天下の人をして全く銭を離れ、無銭の辺に安心の点を定めて自から名誉の大なるものあるを知らしめんと欲する者なり」。それから氏はさらに論を進め、自己の内にあるもの、「人生の知識、徳義、才力〈サイリョク〉、品〔行〕」に満足して、あらゆる俗欲から離れて立つことにより、意識せずして社会の尊敬を博するという精神態度を賞讃する。聖人のこの所説は遅きに失し、聖人がいままで説いてきた慈悲の心などない教義にあまりにも完全に改宗してしまった社会に対して実際上まったく効果がないのであるが、われはなおかつこれを喜ぶ。
 福沢氏はこんどのような所説によって、氏の拝金宗が同胞を導いて行く先の目標を意図したものでは決してなく、たんに怠惰な武士〈サムライ〉を力と勤勉とにむかわせるひとつの手段、ひとつの「政策」だったと主張しているように見える。もしそうなら、氏はみずから同胞に投じていた劇薬の激しさを誤算していたことになる。氏の弟子たちは、われわれの知る限り、ほとんどが何らかの形の金銭崇拝者になってしまっている。聖人は人間の本性を誤解していたのではないか。天への道は地獄を通りはしない。そして氏がいま人間の目的として打ち立てる内的な安心は、いかなる額の金銭によっても得られるものではない。われわれの古くさい教えの方がより正しいのだ――徳を蒔け〈マケ〉、富はおのずから生えてくる。【後略】

 冒頭に、「『時事』の一昨日紙面における福沢〔諭吉〕氏の記事」とあるが、この一昨日とは、一八九七年(明治三〇)五月一〇日にあたる。同日の同紙を確認したわけではないが、そこに福沢諭吉が、「銭の外に名誉あり」という記事を掲載したもようである。
 内村鑑三が、「拝金宗の結果」という文章で、福沢諭吉の「拝金宗」を痛罵したのは、同年五月九日のことであった。福沢諭吉は、ただちにこれに反論したことになる。
 福沢のこの「銭の外に名誉あり」という文章は、『福翁百話』(時事新報社、一八九七)に、「銭の外に名誉あり(九十二)」として収められているものであろう。だとすれば、この文章は、内村の批判を受けて、福沢が筆を取ったものではない。というのは、『福翁百話』は、すでに書きためてあった「百話」を、順次、時事新報に掲載したものとされているからである(「福翁百話序言」)。
 しかしあまりにタイミングがよいので、この文章のみは、あらたに書き下ろしたという可能性も否定できない。

本日の名言 2013・10・2

◎徳を蒔け、富はおのずから生えてくる

 内村鑑三の言葉。1897年5月12日の『万朝報』に掲載された英文記事「拝金宗と非拝金宗」に出てくる(亀井俊介訳『内村鑑三英文論説翻訳編 上』130ページ)。上記コラム参照。

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