礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

瀧川政次郎『律令の研究』再刊本(一九八八)の序

2018-08-30 06:53:56 | コラムと名言

◎瀧川政次郎『律令の研究』再刊本(一九八八)の序

 必要があって、瀧川政次郎『律令の研究』を読んでいる。この本は、一九三一年(昭和六)九月一五日、刀江書院から初版が刊行され、その後、五十七年余を経た、一七八八年(昭和六三)年十一月二〇日、名著普及会から「復刻版」が刊行された。「名著普及会再刊本序」は、長寿を保った瀧川政次郎本人の執筆である。名文である。
 本日は、これを紹介してみよう。なお、文章中の漢字は、正字(旧字)と新字とが混用されているが、これは、原文のママである。

名著普及会再刊本
 本書は初版が刊行されたのは、昭和六年であるから、本書は正に半世紀以前開版の古典である。当時著者は、三十代の精力旺盛な青年学徒であったが、この書は著者が全精力を傾けて書き上げた力作の一つである。幸いに著者は、昭和九年、本書を中央大学に提出することに依って法学博士の学位を得、また本書の刊行は、学界の歡迎するところとなり、昭和四十一年には、初版出版の刀江書院から再刊せられた。その再刊には、著者と、著者の門弟である小林宏、利光三津夫〈リコウ・ミツオ〉の三人による「律令研究史」を附録した(江戸時代 利光三津夫、明治大正時代 小林宏、終戦以後著者担当)。今回刊行するものは、その初版の写真覆製である。
 このたびの再刊に際しては、右の「律令研究史」を附載し、更に昭和四十一年以後現在に至る「律令研究史続稿」を増補したいと思ったが、律令研究史の執筆は既に年老いて其の事に堪えない。仍って〈ヨッテ〉その一端を伝えるものとして、皇学館大学助教授清水潔氏が、『日本歴史』四六五号に掲載せられた書評『瀧川博士米壽記念会編〝律令制の諸問題〟』を紹介しておく。『律令制の諸問題』は、昭和五十九年五月廿六日、私の米壽を祝って、十九人の著者の知友、門弟が執筆して献呈してくれた一冊の單行本である(東京、汲古書院刊)。清水氏は、その目録を掲げ、その主なるもの数篇に対して簡單な評言を加えている。その評言の中には「東洋史上全体の中で日本の律令制を把握すべきことは、瀧川博士年来の主張である。」とか、「律令の法典としての基礎的研究に飛躍的進展を遂げたのも、瀧川博士の功績によるところが大きい。」とか、「律令條文間の矛盾、重複など「律令の枘鑿〈ゼイサク〉」を指摘された瀧川博士の先駆的業績」といったような文があって、本書の価値に言及するところが尠く〈スクナク〉ない。
 半世紀以前、私が蒔いた律令研究の種は、この半世紀間に大きく成長し、今では毎月刊行される数種の学術雑誌に律令関係の論文が一篇もない月はないという盛況を呈しているのである故に著者は古代史家からは「律令の家元」と称せられ、諸著を贈り來たるものその数を知らず、それに一々礼状を書くことは、今や著者の毎日の大きい仕事になっている。
 著者は長生きの御蔭で、五十年前の旧著の再刊をこの眼で見ることが出来る。まことに有難度いことと、感謝感激している。是れも神助の致すところであろう。初版はこれを父の靈に捧げたが、このたびの再版はこれを母の靈に捧げる。著者が長生きしてこの喜びを悦び得るのは、母が著者を丈夫に産みつけ、大切に育ててくれたお蔭である。母シナは大和小泉藩(片桐藩)の藩士船木又兵衛の二女、明治元年生れである。資性穎悟〈エイゴ〉、博覧強記にして克く〈ヨク〉舩木家重代の家学有職故実の学を伝承した。著者が弱年にして法制史家として一家を成し得たのは、その家学に負うところ鮮し〈スクナシ〉としない。享年五十八歳。晩年天理教に入信し、その權少講義となって、布教に狂奔した。
 今回の再版に当っては、出版社との交渉等、一切の事務は、著者の愛弟子である嵐義人(現職、文部省教科書調査官)が、これを代行して呉れた。なお又、嵐君は、著者の喜壽に際し、その「著作目録」を作成して呉れたが、この度はそれを増補して巻末に附載して呉れるという。著者に印刷せられた「著作目録」のないことは大きな缺陥であって、時々知友からそれを督促されている。その事、実現せらるれば、著者の悦びは倍加されるであろう。
 株式会社名著普及会から著者の旧著が再刊されることは、今回に始まったことではない。会長小関貴久君は、著者の著作ならば何でも出版しようという肚〈ハラ〉で居てくれるらしい。私にとって、それは何よりも嬉ばしい〈ヨロコバシイ〉事である。学者が如何に素晴しい論著を製作しても、それを公刊してくれる出版業者が居なければ、その学説は江湖に拡がらない。恩師黒板勝美博士は、『新訂増補 國史大系』の出版に際してその出版社のみならず、その印刷職工までも宴席に招いて厚くもてなされた。著者もその顰み〈ヒソミ〉に做つて出版業者を享く遇したいと思う。擱筆に当つて一言小関氏に対しても謝意を表する次第である。
  昭和六十三年三月吉日       瀧川政次郎識す

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