礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

柳田國男、「保守主義」を語る(1943)

2015-02-23 05:22:25 | コラムと名言

◎柳田國男、「保守主義」を語る(1943)

 今月二〇日のコラム「原田実氏の『江戸しぐさの正体』を読んで」では、「伝統」が捏造されるという問題を扱った。この問題に関しては、柳田國男が、たしか、そういった発想に立って発言していたような記憶がある。
 はて、どこで柳田は、そうした発言をしていたのか。二、三日、あれこれ調べているうちに、ようやく判明した。「民間伝承について」という座談における発言であった。この座談は、雑誌『文藝春秋』の一九四三年(昭和一八)九月号に、その記録が載っているもので、柳田のほかに、評論家の浅野晃、および民俗学者の橋浦泰雄が参加している。
 この座談の中で、柳田は、次のようなことを述べている。引用は、『柳田國男対談集』(筑摩叢書、一九六四)より。

 柳田 保守ということの悲しいことは、最近しか学べないことです。たとえば明治の初めの国粋保存主義なんかそうですね。もどるにはつい近い時にもどるしかない。それで古いといえば天保かそこらの時です。唐桟〈トウザン〉の羽織を着るとかなんとかいうのが保守なんです。一番面白い例は、対等条約を結びたいために日本が欧米化したのは明治十八、九年ですが、その時に「日本新聞」が起って国粋保存主義を唱える人があって、とうとうそのために鹿鳴館の舞踏会とか、ああいうものが潰されてしまったことがある。その時私の兄〔井上通泰〕は十八、九の大学生でしたが、それが東京から郷里に帰ってきた。その時のいでたちを見ると、雪駄〈セッタ〉を履いて日傘をさして着物をきて袴を穿いてきた。どうしてそんななりをしているかというと、国粋保存主義の考えからです。ところが、今から考えると、雪駄が入ったのは新しいことなんです。昔は雪駄なんて履物はない。藁草履はあったかもしれないけれども、しかし表向きの履物ではない。幕末から明治にかけて海外に派遣された公使連中も藁草履は持っているが、雪駄なんか持っていない。袴といえば、現在われわれが穿いて〈ハイテ〉いる袴のような襠〈マチ〉の高い袴は昔からありはしない、もう袴の製作がまるでちがっている。日傘は第一男がさすなんてほとんど想像のできないことなんです。
 保守主義というとそういうふうになりがちなんです。それは反動と認めることはできましょう。また時によっては社会を新たにして行くためには、反動また反動で小さい反動が繰り返されることによって世の中が平らになって行くから、それはいいことだけれども、そんなものにもどることによって昔のものを探るんだったら大間違いだ。そんなのは歴史の知識の足りない人がすることで、もし良心のある研究家だったら、時世というものはまず変遷するものだということを認める。明治には明治の生活がある、大正には大正の生活がある。その中には軽薄というか、せぬでもいい改革をしたり、また人の真似をするだけの改良もあるかもしれませんが、大体において時代時代の要求があって変っている。だから、もどることもあるけれども、ちがった方に行くということを認めることですね。それが一番大事なんです。それをすっかり知りさえすれば、将来の変化を加減することができる。これからどう変って行くということをいい方に向けることができる。これが歴史の学問をほんとうに忠実にやらなければならん大きな理由だと思う。また人力で如何〈イカン〉ともできぬ変遷と人力でできる変遷とある。これさえ認めて行けぼ、今後世の中を導いて行ける。一つ前にもどりさえすれば古に帰るとか、そう考えるのは歴史の無知といった方がいい。歴史のほんとうの効用を知らないんです。われわれが古いことを一所懸命やっておりますと、見もしないで、あれは保守主義でやっているのだと思う。そうして私が白足袋や袴を穿いているせいかもしれないが、非常に古風なことが好きだからやっていると思っている。私は古いことを正確に知らなければならんと固く信じているけれども、世の中がそうやたらに古い所にもどって行くものとは思っていないんです。現在はもどるようなことがちょいちょいありますが、しかし、ほんとうに点検して見ればもどってはいない。ただ昔と似寄った〈ニヨッタ〉原理の新しいものに変って行っているんです。だから、そういう心持は、なんでもかんでも新しくしたがるという軽薄な風潮を制限する傾向としては非常にいい傾向で、改良の芽だということは言えるけれども、それ自身をもって文化運動の終局のように見る考えは是正しなければならない。軽薄といえば、前でも軽薄なんです。殊に江戸時代の下期はかなり軽薄なんです。そんなところにもどったって仕様がない。もどるにはおよそ善し悪しの批判をしなきゃならん。善し悪しの批判もなかなか容易にできないかもしれないが、結果がよかったか悪かったかぐらいはわかるから、その結果に基いて悪いものはやらない。
 たとえば明治になってからの改良の中にもいくらもそれがありますね。足袋なんてものははかない者が多かったのが、大きな足袋の製造工場ができて、木綿というものが普通になってしまうと、足袋をはかなかったら貧乏と思われたりなにかするのがいやだから、猫も杓子も足袋をはく。足袋だけに要する木綿でも相当なものだ。それで皮膚が弱くなっちゃって、今では足袋をはかなかったらかぜ引きが多くなるだろう。米だって、米を食わないと不幸のように考えさせたのは最近の事実でしょう。【以下略】

 ついつい引用が長くなった。ここでの柳田の主張は、きわめて明白である。しかも、非常に鋭いところを衝いている。特に、下線を引いた部分などは、嚙みしめるべき指摘ではないだろうか。
 要するに柳田は、保守主義者たちが陥りがちな発想を示しながら、彼らをたしなめているのである。ここで柳田が指摘している保守主義者たちが陥りがちな発想というのは、別の言い方をすれば、「伝統の捏造」ということになるだろう、と私は受けとめたのである。

今日の名言 2015・2・23
 
◎殊に江戸時代の下期はかなり軽薄なんです

 柳田國男の言葉。座談会「民間伝承について」(1943)における発言。上記コラム参照。このように言って柳田は、ひとつ前にもどれば、それでよいと考えている「保守主義」者たちに釘を刺している。

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