礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

正字とは、阿米を天、都知を地と書く類

2023-05-03 00:32:03 | コラムと名言

◎正字とは、阿米を天、都知を地と書く類

 三浦藤作の『古典の再検討 古事記と日本書紀』(日本経国社、一九四七)を紹介している。
 本日は、その十一回目で、第二章第五節の〔一〕の前半を紹介する。文中にある〔 〕は、原文で使用されていたものである。

   第五節 「古事記」の文体及び訓み方
「古事記」の文体 「古事記」の文体は、一種の特殊な漢文体とでもいつてよからう。全部漢字で書いてある。当時はまだ片仮名も平仮名もなかつたから、すべての記録にみな漢字を用ゐたものと思はれる。「古事記」は漢字を用ゐて漢文体に書いてある。しかし、純粋の漢文ではないい。漢字の音訓を仮りて国語をそのままに表はしたところもある。漢文と漢字を用ゐて表はした国文とを混用した文体である。太安萬侶の序の中にも「已に訓に因りて述べたるは、詞心に逮ばず。全く音を以て連ねたるは、事の趣更に長し。是を以て、今、或は一句の中に、音訓を交ひ用ひ、或は一事の内に、全く訓を以て録【しる】せり。」とあるやうに、国字のない昔、漢字を用ゐて国語を表はすためには、かうした文体によらなければならなかつたであらう。
 漢文の語格によつて記されてゐる例を挙げて見よう。
 〇名其子云木俣神。
 〇懐妊臨産。
 〇足示後世
 漢文でありながら、古語の格に等しいものもある。その一例。
 〇立天浮橋而指下其沼矛。
「古事記伝」に曰く、「立ノ字又指下ノ二字を上に置るは、漢文なり、されど尋常のごとく宇のまゝに読て、古語に違ふことなし。」
 大体はかうした漢文で書いてある。
漢字を用ゐた国文は、表現が複雑である。「古事記伝」には、古言の記し方を四種に分け、㈠仮字書【かながき】、㈡正字【まさもじ】、㈢借字【かりもじ】、㈣以上の三種を交へたもの等が挙げてある。仮字書とは、その言をいささかも違へざるもの、正字とは、阿米〈アメ〉を天、都知〈ツチ〉を地と書く類、字義が言の意に当れるもの、借字とは、字義を取らず、その訓を借りて異なる意味の語を表はすものである。以上の三種とこの三種の混用との外に、「又所由ありて書ならべる一種あり。日下【くさか】・春日【かすが】・飛鳥【あすか】・大神【おほみわ】・長谷【はせ】・他田【をさだ】・三枝【さきくさ】のたぐひ是れなり。」といつてゐる。
「古事記」の本文中より二三の用例を挙げて見る。
 〇久羅下那洲多陀用幣流〔くらげなすただよへる〕
 〇塩許袁呂許袁呂邇画嗚而〔しほこをろこをろにかきなして〕
 〇我子者不死有邪理〔あが子は死なずてありけり〕
 歌謡の類は悉く字音を以て記してある。萬葉仮名とは趣を異にしてゐる。その一例。
 佐韋賀波用 久毛多知和多理 宇泥備夜麻 許能波佐夜藝奴 加是布加牟登須
 〔狭井河よ 雲たちわたり 畝火山 木の葉さやぎぬ 風吹かむとす〕
 参考のために「萬葉集」中の歌を一首次に
 布士能嶺乎 高見恐見 天雲毛 伊去羽計 田萊引物緒
 〔ふじの嶺を 高みかしこみ 天雲も い行きはばかり たなびくものを〕
「古事記」の文体は、漢文の中に国語を混用した特殊な漢文であるから、漢文から観れば甚だ拙劣なものともいはれよう。アストン(W.G.Aston)は、「日本文学史」の中に、「文章は奇異拙劣なる和漢混淆体なり。思ふに、この書の成りし事情こそ、この書のかくも奇体なる文体をなしたる理由の一部を説明すべし。」と評してゐる。【以下、次回】

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