礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

代用燃料車の燃料としてのトウモロコシ(雑誌『汎自動車』より)

2012-09-09 05:14:44 | 日記

◎代用燃料車の燃料としてのトウモロコシ(雑誌『汎自動車』より)

 あいもかわらず、代用燃料車の話で申し訳ないが、雑誌『汎自動車・技術資料』一九四三年四月号(通巻二四〇号)に、「窮余の一策大発見 新代用燃料の登場」という興味深い記事が載っていたので、紹介したい。

 窮余の一策大発見
 新代用燃料の登場
 兼ねて元満洲大陸科学院研究室の浅川〔勇吉〕博士と関東軍の小野〔盛次〕技師に依つて考案されたジヤライノール石炭瓦斯〈ガス〉発生炉は其の後、幾多の研究改良の結果遂に快心の最新型を完成したので、過般〔さきごろ〕新京、奉天、撫順間の運行試験を一週間に亘つて各関係官並に業界代表の参加の下に各種の状況下に於て厳重なるテストが行はれ、その結果は頗る〈スコブル〉好成績を以つて終了したが、此処〈ココ〉に本発生炉の有する性能が更に優秀なることを如実に証明し得た云はば思はぬ拾ひ物をした挿話がある。
 それは文字通り窮余の一策大発見とも云ふべきものであつてその大要は次の如きものである。即ち右運行試験の途中で、試験車が不幸にして燃料不足のため公主嶺付近で停止して仕舞ひ〈シマイ〉、携行して行つた燃料も全部使ひ果した後なのでその補充に企く困憊〈コンパイ〉し、止むなく近くの国立農事試駿所から石炭か薪の補給を依頼したが相憎〈アイニク〉手持ちなく進退全く極まつた状態にあつた時、偶然にも同試験所の庭隅〈ニワスミ〉に冬の燃料用として積み重ねてあつた玉蜀黍〈トウモロコシ〉の実を取つた後の幹ばかりのものを見付け出し、不取敢〈トリアエズ〉これを燃料として一時の運行に間に合せようと云ふことになつて、一本の幹を半分にして薪代用として使用してみた処、不思議や俄然玉蜀黍の威力を発揮して薪〈マキ〉や石炭も遠く及ばぬ好調を示し、此処に大発見の端緒を得た訳け〈ワケ〉なのである。
 即ち普通薪や石炭ではワン・チヤーヂで平均40粁〈キロ〉乃至50粁の走行であるのが、この玉蜀黍の幹は優に70粁の走行粁を示しその差20%以上で、また出力も他の代燃車〔代用燃料車〕が低速で登坂し得る勾配〈コウバイ〉を楽に中速で登坂出来ると云ふことである。然も〈シカモ〉この燃料が単なる炉辺〈ロバタ〉の燃料として使用されてゐた玉蜀黍で立派に役立つ新燃料として登場し得る途〈ミチ〉が開かれたことは、怪我の功名としては素晴らしい大発見で、満洲の代燃対策は勿論のこと支那大陸から仏印カンボヂヤ方面でも大いにこれが利用を奨励し得れば、その効果は大なるものがあらうと、運行試験の結果より得た副産物の偉大なのに関係者一同大いに驚嘆且つ歓喜してゐると云ふ。
 発生炉の優秀性と玉蜀黍の新燃料は大いに内地代燃界にも示唆する処大なるものがあらう。

 これに対応するものとして、『汎自動車・技術資料』一九四三年五月号(通巻二四二号)には、「大陸科学院型石炭自動車の試験結果について」という詳細な報告が載っている。この報告には、報告者が五名連記されており、これによって、先の記事に出てきた浅川博士が元大陸科学院・工学博士の浅川勇吉で、小野技師が元関東軍参謀部鉄道官の小野盛次であることがわかる。他の三名は、大陸科学院の水谷寿・外水有光・田畑元十である。
 報告には、ジャライノール褐炭という言葉が出てくるので、これは石炭の名前のようである。記事にあった「ジャライノール石炭ガス発生炉」とは、ジャライノール褐炭仕様の石炭ガス発生炉ということなのであろう。なお、ジャライノールとは、内モンゴルの地名あるいは炭鉱名と思われるが、今ハッキリしたことは言えない。
 資源の枯渇が深刻な問題になっている今日、こうした記事や報告も、何かの参考にならないかと思い、紹介してみた次第である。

今日の名言 2012・9・9

◎今次の戦争は生産力戦であり技術戦である

 社団法人自動車技術協会理事長・長谷川正道の言葉。『汎自動車・技術資料』1943年4月号(通巻240号)の巻頭言(長谷川正道執筆)に出てくる。「技術優秀なる国が此の競争に勝利を占め戦勝への一大誘因をなすものなることを吾人は銘記せねばならぬ」。この時期にもかかわらず、「精神論」に走っていない。さすがは技術者というべきか。

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