礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

文庫から叢書に、さらに全集に、再び文庫に

2014-05-17 04:00:47 | 日記

◎文庫から叢書に、さらに全集に、再び文庫に

 昨日の続きである。小川菊松の『出版興亡五十年史』(誠文堂新光社、一九五三)の第一部「出版界興亡の跡」の「二三、文庫本の流行と回想~結末は地獄落しの危険もある」より。本日が三回目(最後)。

 岩波文庫のように巻数が揃うと、その中の優秀なものを抜萃しても、随時に集合広告が出来るから、宣伝費は割合安くつくであろう。しかし二千数百巻中の、目ぼしいもの数百巻だけのストツクを刷り置きするだけでも容易なことではあるまい。何も他所の台所を頭痛にする必要はないが、文庫本は生命が短ければ短いで、地獄落しの憂き目を見なければならないし、生命が長ければ長いで、こういう人知れぬ苦労がある。出版業者として考えさせられるものがあると思う。
 さて叢書本の歴史を回想すると、前言つたように、古くは大型、中型、小型本共、多く文庫の名を用い、稀に「全書」とか「叢書」とかしたものがあつたが、文庫というと、古いものを集大成しただけの感もあり、女性的に、軽い感じもするので、大正期に入つてからは、叢書の称が多く用いられ、稀に「大系」「大成」(冨山房の「漢文大成」の如く)「集成」等の称が用いられた。また故人の遺著を集めた「全集」は、警醒社の「大西博士全集」、博文館の「紅葉全集」「樗牛全集」等が早い方で、共に明治三十七、八年から四十年へかけて出ているが、その後、学界や文壇の物故者が多くなると共に、その全集が相ついで発行され、昭和時代に入つてからは「全集」や「選集」が特に目立つて多くなつたのはよいとして、著者がまだ健在であるのに、その全集が出るに至つては、聊かどうかと思われる。ところで、叢書ものの称が、こういう推移を辿つて来た今日、急に文庫ものが多くなつたのは、「岩波文庫」の依然として老衰を見せない、頑健な存在ぶりに追随しようとする出版界の通弊たる模倣性の抬頭でもあろうが、それが自然に、大時代の名称への逆行となつて、歴史は繰返すの一文句通りになつたのも面白い現象である。それはともあれ、「新潮文庫」「市民文庫〔河出書房〕」「アテネ文庫」「角川文庫」等も大した売行きで、新にまた「創元文庫」も出現し、ここもと出版界は、文庫本流行の形で結構だが、乱発となつて、地獄落しの痛ごと〈イタゴト〉が出来ぬよう切に祈るものである。

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