◎おまえは教団の裏を知りすぎた(麻原彰晃)
東京新聞3月16日(日)朝刊三面には、「地下鉄サリン30年 無期懲役囚の手記」の三回目が載っている。本日は、その後半の一部を紹介しよう。
地下鉄サリン30年
無期懲役囚の手記 ③(全5回)
【前半、割愛】
私が一度、教団から逃げ出したのは93年2月でした。連れ戻され麻原の前に連行された私は、現世に戻る意志を示しました。そんな私に麻原は「おまえを戻すことは私にとって大きな賭けをすることになる」「おまえは教団の裏のことをあまりにも知りすぎた」などと恫喝【どうかつ】する言葉を浴びせた後、にっこりと笑って「一緒に死んでほしかったんだが…」と語りました。
杉本はのちに公判の意見陳述で、逃げ続けても「いずれ殺される」「教祖とともに進むしかない」と思った、と述べている。
この時、すでに教団は坂本弁護士一家、脱会を申し出た出家信者を殺害していたのですが、私はそれを知りませんでした。しかし、なぜかこの時、私は予感めいたものを感じたのです。
当時、私は麻原の真の恐ろしさを知りませんでしたが、翌年〔1994〕、身をもって知ることになりました。それが私が関与させられた2人の出家信者殺害事件でした。麻原は自分や教団に都合の悪い者の口封じ、粛清を躊躇【ちゅうちょ】なく実行させます。しかも情け容赦な<、残忍、残虐に。もし私が現世に戻っていたら、口封じの対象から免れることはできなかったはずです。
教団から去るべき時期は90年に教団が総選挙に出馬し惨敗したタイミングでした。当時、同じ部署にいた人で決断できた人がいましたが、私にはできませんでした。本当に後悔しきれません。【以下、割愛】
東京新聞3月16日(日)朝刊三面には、「地下鉄サリン30年 無期懲役囚の手記」の三回目が載っている。本日は、その後半の一部を紹介しよう。
地下鉄サリン30年
無期懲役囚の手記 ③(全5回)
【前半、割愛】
私が一度、教団から逃げ出したのは93年2月でした。連れ戻され麻原の前に連行された私は、現世に戻る意志を示しました。そんな私に麻原は「おまえを戻すことは私にとって大きな賭けをすることになる」「おまえは教団の裏のことをあまりにも知りすぎた」などと恫喝【どうかつ】する言葉を浴びせた後、にっこりと笑って「一緒に死んでほしかったんだが…」と語りました。
杉本はのちに公判の意見陳述で、逃げ続けても「いずれ殺される」「教祖とともに進むしかない」と思った、と述べている。
この時、すでに教団は坂本弁護士一家、脱会を申し出た出家信者を殺害していたのですが、私はそれを知りませんでした。しかし、なぜかこの時、私は予感めいたものを感じたのです。
当時、私は麻原の真の恐ろしさを知りませんでしたが、翌年〔1994〕、身をもって知ることになりました。それが私が関与させられた2人の出家信者殺害事件でした。麻原は自分や教団に都合の悪い者の口封じ、粛清を躊躇【ちゅうちょ】なく実行させます。しかも情け容赦な<、残忍、残虐に。もし私が現世に戻っていたら、口封じの対象から免れることはできなかったはずです。
教団から去るべき時期は90年に教団が総選挙に出馬し惨敗したタイミングでした。当時、同じ部署にいた人で決断できた人がいましたが、私にはできませんでした。本当に後悔しきれません。【以下、割愛】
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