◎名著『安芸三津漁民手記』とその「序」
山本有三の「ふりがな廃止論」については、もう少し述べたいことがあるが、これはしばらくおいてから。
先日の古書展で、『戦争とふたりの婦人』と併せて購入した本に、進藤松司〈シンドウ・マツジ〉著『安芸三津漁民手記』〈アキミツギョミンシュキ〉がある。
この本は、一九三七年(昭和一二)に、アチック・ミューゼアム(当時の表記は「アチック ミユーゼアム」または「アチツク ミユーゼアム」)から刊行されたもので、「アチック ミユーゼアム彙報」の「第十三」にあたる。付図四枚が付いて、定価三円であった。
同書は、戦後の一九六〇年(昭和三五)、角川書店から復刊された。以前、この角川書店版を読んだことがあるが、残念ながら「付図」がついていなかった。一九三七年版は、もちろん国会図書館等で閲覧可能だが、国会図書館の場合は、「モニター」上での閲覧となる。
その『安芸三津漁民手記』の函入り完全本が、目の前にあった。付図も、袋にはいった状態で函に収まっていた。恐る恐る売価を確認すると、わずか1050円。安い、安すぎる。本屋さんは、この本の価値を知らないのか。しかし、知らなかったからこそ安く買えたのである。
この本の「序」がよい。初めの部分を引用してみよう。
漁撈に関する図版に不明の箇所が幾つかあつたのでそれを聞きがてら丁度出来上つたゲラ刷を持つて未だ見ぬ友進藤松司君を安芸三津に訪ねたのは今春四月初めであつた。数日気の雨がカラリと晴れた上天気で三津駅〔安芸三津駅、現在の安芸津駅〕で下車した時はうららかな朝日が三津の町〔広島県賀茂郡三津町〈ミツチョウ〉、現在の東広島市安芸津町〈アキツチョウ〉三津〕や裏の山手、停車場〈テイシャバ〉等残る隈〈クマ〉なく一杯にあたつて鮮やかな色を映じて居た。駅には橋がないので列車が出てしまふのを待つて線路を越して一段下にある開札口へ降りて行くと其処〈ソコ〉の柵に黒無地の着物で赤ら顔の青年が立つて居た。之が進藤君だなと直感して駅員に切符を渡すと同時に先方でも之れかなと云ふ顔付で見て居る。同君に名乗〈ナノリ〉を上げて見ると果してさうであつた。広島から来る様に約束した礒貝〔勇〕君の列車はもうあと十分足らずで着く筈故〈ハズユエ〉先づ之を待つことにする、開通後間もない新しい駅〔安芸三津駅の開業は一九三五年〕であることば開札口の手すりの木肌にも待合室のコンクリート敷にも腰掛にも亦駅前広場の未だ落付〈オチツキ〉きらぬ玉砂利の足ざはりにも、付近の売店に見えて何れ〈イズレ〉もあふれるばかりの春光に映えて〈ハエテ〉すがすがしかつた。進藤君と二言三言話して居る内に上り列車が入つて来て元気な礒貝君がニコニコして降りて来た。礒貝君も進藤君には初対面である。三人して町へボツボツ歩く。松司君は明治四十年生れ故今年三十一歳であるがもつと若く見えた。漁撈家ににしては理智的な面差し〈オモザシ〉で落ち着〈オチツキ〉があり口数の少い、畏怖も阿諛〈アユ〉もない素直な態度が先づうれしかつた。
夜行で来て未だ朝食を接て〈トッテ〉ない自分は空腹であつたしどこかでと思ひつつも町を歩き乍ら〈ナガラ〉話をして居る内にせまい三津はもう町はずれに来て居た。手近かのうどんやへ飛び込んで三人で支那蕎麦をすすり乍ら進藤君の本著書〔安芸三津漁民手記〕について話を交す〈カワス〉。「之がゲラ刷〈ズリ〉」と差し出すと同君は受けとつて暫時見て居たが初めて云つた言葉は「あんなにきたない原稿がこんなにきれいなるんですか」であつた。凡そ〈オヨ〉誰でも自分の書いたものが活字になる時は云ひしれぬ愉悦と殊にそ牝が初めての経験の時は驚異とを感ずものだ。進藤君の此の時の言葉は之切り〈コレッキリ〉だつたがその面持ちには何を云へぬ喜悦と驚きと同時に自分の所作に対しての極めてハンブルな反省と謙遜とが顕はれて居て自分も礒貝君も同君の心持ちにほほゑましい共鳴をしたのであつた。礒貝君と話をして居る我々の声は同君には全く無関心の存在であつたらしい。その後の約二、三十分同君の眼はゲラ刷から全然離れなかつた。それもその筈である。漁撈家として又杜氏〈トジ〉として生活する同君の主要生業である漁業関係の各事項を自己の困苦の体験と知識とから織り上げて忙がしい生活苦しい労働後の僅かの時間を克己〈コッキ〉して割いて書き上げた原稿である。一字一句に生活はにじみ出て居る。同君が暫時三昧の境に入つて読み耽て〈フケッテ〉居るのは傍眼〈ハタメ〉にも美しくもありうれしくもあつた。実際本書は進藤君の血と汗で書かれたものなのだ。単なる資料でもなければ外来者の観察でもない。同君多年の苦心の結晶であり漁撈家としての現実の叫びであり又同君の体験を通じて吐露〈トロ〉された瀬戸内漁民の理想と希望でもある。我々は本書が単に優秀なる資料としての価値意外に進藤君の本心から出る叫びに耳をかさねばならぬ。【後略】
この「序」を書いたのは、アチック・ミューゼアムを主宰していた渋沢敬三である。引用した部分を読んだだけでも、この本の価値がわかる。また、この本の著者・進藤松司の人柄がわかる。同時に、この「序」は、財界に身を置きながら、民俗学に強い関心を抱き、多くの民俗学者を世に出した渋沢敬三という人物の温容な人柄を髣髴とさせるのである。
今日の名言 2012・11・5
◎あんなにきたない原稿がこんなにきれいなるんですか
漁撈家にして民俗学の徒であった進藤松司の言葉。1937年(昭和12)4月、渋沢敬三から『安芸三津漁民手記』(同年12月刊)のゲラ刷りを渡された進藤は、暫時それを眺めたあと、このように言ったという。上記コラム参照。
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