礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

関門海底トンネル・出光佐三・鎌田詮一

2018-11-04 06:47:36 | コラムと名言

◎関門海底トンネル・出光佐三・鎌田詮一

 山田秀三郎著『罪悪と栄光』改訂版(大日本皇道会、一九七〇)を紹介している。本日は、その三回目。
 同書は、全七編から成るが、本日、紹介するのは、第七編「懺悔と栄光」の末尾にある「秘録夜話」のうち、「関門海底トンネルの功績」と題する項である(四三五~四三六ページ)。ここで、「鎌田交通課長」とは、陸軍省交通課長・鎌田詮一大佐のことである。

〇…関門海底トンネルの功績
 やはり、鎌田交通課長時代のこと。
 今をときめく、石油界の一匹狼、出光佐三〈イデミツ・サゾウ〉氏は、北九州出身の貴族院議員であった。地元民は、下関――門司間の海底貫通道路建設の熱望を抱いた。そして、鉄道省港湾局当局に運動したが、海底貫通工事は、不可能であろう、との見解であった。しかし、この大計画は、本土と北九州を直通する利便が、多大であるので、地元民は、あきらめきれず、更に猛烈に運動を展開し、出光議員は、地元を代表して、陸軍の威力に頼ることにした。国土交通問題の担当官は、鎌田交通課長であったので、出光佐三氏は、鎌田大佐に、諒解を得るべく懇請した。
 工兵作業工事は、アメリカ連隊で実地研修し、また、理論上では、世界の権威、イリノイ大学で学んだ鎌田銓一氏である。単なる課長ではなかった。――鉄道省当局は、海底トンネルは、技術上難点があると反対意見であった、というが、鎌田課長は、決して至難な工事ではない、と見解し、かつ、日本交通上、関門トンネルは、軍事上の運輸にも緊要であり、ぜひ、完成したい熱情を持っていた。それで、公正に判断して、出光佐三氏の請願を容認し、正式手続に踏み切った。一時は反対した鉄道当局は、陸軍当局が賛成ならば、その軍の威力――同調せざるを得なかった。
 かくして――
 陸軍省鎌田大佐の断、遂に、関門トンネル道路の建設工事着工の推進となり、下関側と、北九州地元は歓声を挙げた。
 ――地元のために、献身的努力した出光議員は、難関を突破し、心から満足した。
 鎌田銓一氏と、出光佐三氏との奇縁、戦後もまた、鎌田氏は、米将官の信頼のもとに、出光興産の再建に対して、できる限りの便宣を計った。そして今日の隆盛の端緒をなした。

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