礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

日下部文夫氏の遺稿「UBIQUITOUS ユビキタス」

2018-05-17 03:06:18 | コラムと名言

◎日下部文夫氏の遺稿「UBIQUITOUS ユビキタス」

 二〇一五年一二月三日および四日のブログで、日下部文夫〈クサカベ・フミオ〉氏の「言語の起源について」(『月刊言語』第六巻第四号、一九七七年四月)という論文を紹介した。
 このときは、日下部文夫という言語学者について、正確な情報を得ることができなかった。しかし、昨日になって、同月四日のコラム「能記も所記も同時に存在する(日下部文夫)」に向けて、斎藤ユカリさんからコメントをいただき、「日下部文夫 コトバのひろば」というホームぺージが開設されていることを知った。
 早速、閲覧してみた。その冒頭には、次のようにあった。

このホームページは日下部文夫(言語学者・1917~2014)の遺稿 UBIQUITOUS を公開するのを目的に設けられたものです。九十歳を過ぎても研究を続け、パソコンに向かい、発表できる形にまとめようとしていました。読んでいただけたら幸いです。

 同ホームページは、「◇日下部文夫の履歴」、「◇日下部文夫の論文リスト」、「◇UBIQUITOUS ユビキタス」の三部によって構成されている。
 まず、「◇日下部文夫の履歴」を参照してみた。非常に詳細な履歴になっている。いま、これを紹介することは控えるが、これによって、日下部文夫氏が、二〇一四年二月一四日に、九七歳で亡くなられていたことを知った。
 その遺稿である「UBIQUITOUSユビキタス」は、相当な量に及んでいる。とりあえず、「42 万葉集から音節を見る」のところを読んでみた。
 まず、「マエオキ」として、〝この話は、演繹的に「万葉集」の頃の音韻を仮設した上で、当時の語形を音節で捉えれば、いわゆる字アマリが解消されることを示すモノです。〟という一文がある。
 音声学上の専門的な議論が、しばらく続いたあと、「字アマリが解消される」例として、万葉集の歌が、次々と引用される。ここでは、ふたつだけ紹介する。

 3952 Mmue が いへ に いくり の もり の フヂ の はな いま こむ はる も つね かくし みむ

 一般に、「妹が家に 伊久里の杜の 藤の花 今来む春も 常かくし見む」という表記で紹介されている歌である(白文は、「伊毛我伊敝尓伊久里能母里乃藤花伊麻許牟春毛都祢加久之見牟」)。「妹が家に」の、「妹」を「いも」と読むと、「いもがいへに」と字アマリになってしまう。これについて日下部は、「妹」の読みは、「Mmue」であって、したがって字アマリにはならないと説くのである。

 2301 おし ゑやし こひじ と すれど あきかぜ の さむく ふく よ は きみ を し ぞ mmeph

 一般に、「よしゑやし 恋ひじとすれど 秋風の 寒く吹く夜は 君をしぞ思ふ」という表記で紹介されている歌である(白文は、「忍咲八師不戀登為跡金風之寒吹夜者君乎之曽念」)。「君をしぞ思ふ」の「思ふ」を「おもふ」と読むと、「きみをしぞおもふ」と字アマリになってしまう。これについて日下部は、「思ふ」の読みは、「mmeph」であって、したがって字アマリにはならないと説くのである。
 私は、音声学にも通じておらず、古代日本語のことを知らず、また、万葉集もほとんど読んだことがない。しかし、ここで日下部文夫が述べていることに、リアリティと説得力を感じた。

*このブログの人気記事 2018・5・17(9位に極めて珍しいものが入っています)

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