礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

江南文三によって平易に訳された法華経

2012-12-01 05:47:46 | 日記

◎江南文三によって平易に訳された法華経 

 昨日、高円寺の古書展で江南文三〈エナミ・ブンゾウ〉という人が書いた『日本語の法華経』(大成出版、一九四四)という本を入手した。江南文三という名前に何となく聞き覚えがあったのと、売価が三〇〇円という廉価だったからである。
 あとでよく見ると、序文・高村光太郎、装禎・津田青楓である。発行部数は、三〇〇〇部。この本は、江南文三が、「妙法蓮華経の二十八品〈ホン〉を全部、われわれの不断使つてゐる誰にでも分かる日本語で書き直したもの」だという。江南文三の著書とも言えるし、江南文三訳の「妙法蓮華経」とも言える。ちなみに、奥付には、著者・江南文三とあり、表紙・背表紙などには、「日本語の法華経 江南文三訳」とあった。
 インターネットで少し調べて見ると、これはなかなかの「掘り出し物」であることがわかった。少なくとも、国会図書館には架蔵されていない。戦後の一九四六年には、柏書房から再刊されており、また一九六八年には、大蔵出版〈ダイゾウシュッパン〉から復刊されている。大蔵出版は、一九八八年にも新訂版を出しており、これは、今でもアマゾンに在庫がある(二四一五円)。
 また、「日本の古本屋」で検索してみると、某古書店は、「カバー・正誤表付き」の一九四四年版に、六八二五円という値段をつけていた(もっと安いところもあった)。昨日、私が求めたものには、カバーがなく、正誤表もついていなかったが、なにしろ三〇〇円だから文句は言えない。
 まだよく読んだわけではないが、非常に平易でこなれた日本語訳になっていることだけは確認できた。
 少し、引用してみよう。以下は、「妙法蓮華経化城諭品〈ケジョウユボン〉第七(まぼろしの町)」の初めのほうで、お釈迦さまが歌っている場面である(一〇五ページ)。
 
 斯う〈こう〉被仰つて〈オッシャッテ〉から、もう一度繰り返して被仰らうとお思ひになり、歌にして斯うお歌ひになつた。
「昔と言つても大変な
昔の昔のその昔、
大通智勝〈ダイツウチショウ〉さまと言ふ
仏〈ホトケ〉が此の世に住んでゐた。
大千〈ダイセン〉世界の十億の
諸国のなかの形ある
ものをのこらずすりおろし、
墨汁〈スミシル〉にして筆につけ、
千の諸国を通つては
小さな点を一つうつ。
それをたびたびくりかへし
とうとう墨がつきたらば、
今まで通つた国国〈クニグニ〉を、
点があらうが無からうが、
みんな集めて粉〈コナ〉にして、
粉の一つが一時代〈ヒトジダイ〉。
斯う考へた長さより
長い年月〈トシツキ〉その昔、
大通智勝さまと言ふ
仏が死んだわけなのだ。
でも、この釈迦のこの眼には、
さう言ふ仏の死んだのも、
死んだ当時のありさまも、
その儘〈ママ〉はつきり映る〈ウツル〉のだ。
釈迦の門弟、わかつたか、
映つたものをその儘に
見る眼を具へた〈ソナエタ〉仏には
遠い昔も見えるのだ。

 地の文も、歌の部分も、非常に平易な口語体で訳されており、特に、「歌」の部分は、七五調で翻訳されている。ことによるとこれは、大変な名訳なのではないかという気がしてきた。【この話、続く】

今日の名言 2021・12・1

◎読誦して水の疎通するやうに心の爽かなのをおぼえる

 高村光太郎が、江南文三訳の「妙法蓮華経」を評した言葉。江南文三『日本語の法華経』(大成出版、1944)の「序」にある。読誦は〈ドクジュ〉と読む。上記コラム参照。

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